「エルミタージュの緞帳(どんちょう)」 2001/8/15 小林和男著

イメージ 1 ニュースでモスクワからいつもリポートしていたNHK海外特派員のエッセイです。ソ連崩壊時の詳しい事情が書かれていて、あまり触れることの少ないロシア事情を知ることができて面白いです。
 世界を変えたゴルバチョフの改革は、パンティストッキングが不足して、国内ではどうしても品質の良い製品を作ることができなく、大量に海外から品物が入り始めたことがきっかけとなりました。それから10年経っても女性が欲しがるようなストッキングは生産されず、石油や天然ガスを輸出した金で海外から輸入しています。その後のゴルバチョフの情報公開と言論の自由の政策は、旧体制維持には厄介なものとなり、バルト三国併合の独ソ不可侵条約秘密協定が暴露されて独立につながるなど、深刻な問題を引き起こしていきました。また、国営の農地では誰もまじめに生産しようとせず、農業はソ連のアキレス腱となっていました。耕地面積の3%にも満たない自留地から、鶏卵の40%、ジャガイモの3分の1が生産されており、その解決策は農地を農民に返すことでした。
 しかし、70年近くに渡って続いてきた軍需産業中心の中央統制経済は、いくらゴルバチョフが強力でも、23年で簡単に変わるはずもありません。しかし国民はせっかちでした。ゴルバチョフの改革政策が思うように進まかったのは、停滞した社会の改革にはみんな賛成しても、当時の社会指導層が共産党の官僚から国営企業経営者、農場支配人など、共産主義独裁体制の中で力を得た人たちで、改革が進んで競争が行われれば確実に力を失う人たちだったからです。圧倒的な国民の人気の中で面と向かって反対することはできませんでしたので、面従腹背で、裏では一生懸命ゴルバチョフの足を引っ張っていたのです。1989年にベルリンの壁が崩壊した時、ソヴィエトの守旧派の人たちは「ソヴィエトが一方的に譲歩し、代わりに何も取っていない」と、シュワルナゼ外相の外交政策国益に反すると攻撃を始め、不満を持っていた人たちが牙を剥きます。それに秘密警察、治安機関、軍と共産党の保守派が加わって、一斉に陰湿なシュワルナゼ攻撃を始めたのです。ゴルバチョフはそれを守るべき立場でしたが、この時に面従腹背の保守派と妥協してしまったのです。そのために、東西対決の冷戦の歴史を変えたシュワルナゼは辞任に追い込まれ、盟友を守り切れなかったゴルバチョフはさらに人気を落とし、最後には妥協した面従腹背の連中にクーデターを起こされて、ついに政治の表舞台を追われることになったのです。
 ソ連の崩壊時には、共産党の建前を説き、何でも規制する側にあった人たちが、さながら沈没船からネズミが逃げ出すように、党の方針を笑う側に回り始めて、共産党の支配が崩れていきました。その風潮の中で際立った特徴は、国の方針を決めていた共産党中央委員会の幹部や工場管理者、農村を社会主義の名の下に国営化、集団化してすっかり荒廃させてしまった人たち、世界の現実を歪曲して国民をだまし続けた新聞やテレビのジャーナリストたち、だれも責任を取ろうとしないことでした。自分たちがつい昨日までやってきたことへの反省もなければ、「すべてを共産党のせい」にして、責任を取る気を微塵も感じさせませんでした。そのツケを今でもロシアは払わされています。クーデターやチェチェン戦争でも責任を問われ罰せられた者は一人もないどころか、首謀者たちは国会議員や地方の知事になって堂々と公的活動をしています。大統領も強大な権限を有していますが、国営企業や軍人に給料が何ヶ月も支払われなくても、年金生活者に年金が渡らずにいかに困窮しようとも、大統領に責任が及ぶことはありません。権限があっても責任がない社会、それが今のロシアの姿ですが、もとはと言えば共産党幹部が共産党時代の責任を取らなかったためです。
 著者は、このような世界を二分したソ連という超大国が崩壊して、新生ロシアが誕生していくという歴史の変化を現地でつぶさに見ることができ、非常に幸運だったと言っています。しかし、日本に帰国してみると、ロシアからの報道で、ロシアはつまらない駄目な国という印象が日本のみなさんに定着してしまっていました。その責任の多くはテレビの報道にあります。
確かにロシアという政治や民族の争い、駄目な経済や国民生活の辛さを多く伝えてきましたので、そのような印象が強く残っても仕方がないのかもしれません。しかし、ロシアをそれだけで判断されては困ります・ロシアには何より優れた人材がいて、優れた技術があり、暮らしの苦しさなどということでは到底判断できないような、文化を大切にする人がいます。有名なエルミタージュ美術館の隠された劇場では、金色の王冠を戴いたロマノフ家の紋章である「双頭の鷲」の緞帳が静かに守り抜かれていました。300年続いたロマノフ王朝を倒して労働者農民の天下となり、レーニンの命令で最後の皇帝一家は皆殺しにされました。革命政権は皇帝の威光が残るものはすべて抹殺したかったはずです。そんな時代は長く続くはずがないと、芸術品を壊したくないと考えた人たちが、相当な危険を伴って偉大な美術品を守り続けたのです。ロシアという国は、付き合えば付き合うほど得体のしれない懐の深い国だと筆者は感じ、本書が「エルミタージュの緞帳」と名付けられたのです。
 最後に、ブレジネフが全盛だった時の小噺です。通りで酔っ払いが「ブレジネフはバカだ!」とわめいていたので、警察官が駆けつけて、社会の秩序を乱した容疑でぶち込みました。裁判が行われて出た判決は「終身刑」と厳しく、男が酔っ払って騒いだだけだと抗議したところ、裁判官は「国家機密漏洩罪だ」と言い渡しました。(侮辱罪ではなく、知られてはならない国家機密=ブレジネフがバカだ、を漏らした重罪)