瀬戸内芸術祭の豊島観光

瀬戸内芸術祭の豊島に行き、今度は対岸から屋島や五剣山を見返しました。
7:41高松港 豊島フェリー1330円
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イメージ 28:16豊島 家浦港着
8:30電動自転車レンタル 4時間1000円
電動自転車に初めて乗ったが、とても楽でいいものだ。登り坂が楽々と進んでいける。これなら父さん母さんに買ってあげたい。
快適にどんどん進み、下り坂から棚田が現れ、その向こうに真っ青な海が見えてきて、またまた絶景だ!
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豊島美術館目指すが、9時前で若い女の子たちが軽自動車でどんどん出勤してくる。9時開館かと思ったけど、開きそうな気配ないので先に進むことにした。
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9:00イオベット&ボンズ
イメージ 79:10心臓音のアーカイブ前  10時からの開場で時間まで静かな浜で待つことにする。
イメージ 8砂浜に座っている二人の外国人女性が様になっている。
イメージ 9何てことのない流木もオブジェのようだ。
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10:00 心臓音のアーカイブ開場 510円 世界中の心臓音を集めている人の作品で、暗い空間の中で「ドクッ!ドクッ!」という動悸の大きな音を聞く。なんかスリラーハウスのようだ。
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10:30豊島美術館 1540円 広い敷地の気持ち良い遊歩道を巡って受付に行くと、靴を脱いで順番に建物内に案内される。これだけなのだ。でも、不思議な感じのする空間だ。
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唐櫃岡地区
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イメージ 1411:10青木野枝
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11:20ささやきの森 休み
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11:40岡崎展望台
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いつもあの向こうから豊島を眺めていましたが、今日は反対側から五剣山(八栗)、屋島を見晴らしました。やはりこの山々は存在感があります。
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12:05家浦港レンタサイクル返却
12:30豊島横尾館 510円
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中に庭があるのですが、置石が真っ赤に塗られていて、室内の絵も含めて、横尾ワールド全開でした。
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12:40ARUEI ランチ1300円
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女性が一人でやっていて、左上の前菜に使っているクリームチーズの味が絶妙で、褒めると、自分でいろんなものを混ぜてアレンジしているとのことでした。パスタもいい弾力です。
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13:20針工場 休み
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1時間半前には、あの山の上の展望台から瀬戸内海を見晴らしていました。
イメージ 2514:00家浦港発 770円
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14:30宇野港
15:45 発 四国フェリー690円
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高松港に戻ってきました。屋島がいつもの姿で見えます。
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16:50高松港

オリックスオープン戦とまた天満食べ歩き

オリックスファンの知人とオープン戦を観戦し、そのあとまた天満の食べ歩きしました。
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私はオリックスフアン(不安)ですが、今年は若手で有望な選手がどんどん出てきているので久し振りに楽しみになっています。山本投手や吉田正尚外野手はいずれメジャーリーグに行く器だと思うし、まだ高卒二年の西浦選手はやたらチャンスに強く、これは王者カープとの一戦を見ないといかんのです。
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野球観戦なら焼そばと生ビールは欠かせません。それを買いに行く間もなく、これも超優良助っ人になりそうなメネセスのヒットの後に吉田正尚の場外ツーランであっという間に先制しました。ピッチャーは今誰も打てない山本だし、もう勝ったようなものです。そう思って焼そばと生ビール買いに行って戻ると、二回の表にはなんと山本投手がマウンドにいません。アクシデントか?いやな予感はこの時から始まります。良かったのは、怪我ではなく、登板間隔が詰まっていたので一回限定だったようで安心しました。さらに、次に投げた小林投手があの強力カープ打線を六回まで何と一安打に抑えます。追加点とれば王者カープに楽勝の展開です。
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でもやはり甘くありませんでした。オリックスも二回以降はまったく打てず、そろそろ嫌な予感がしてきました。そうこうして七回、もう小林はここまで完璧だから、いい印象のままリリーフに変えろよ!と思うのですが、投球数で考えてるのか続投です。先頭の曲者の菊池選手がしぶとくヒットで出塁し、次のバッターのファーストゴロをラオウ杉本選手がファンブル!ランナーためて回してはいけない四番の鈴木誠也です。案の定、ここ一発のスリーランホームラン!一瞬で逆転され、その後はいつものダメックス。反撃できずにそのまま敗戦しました。やはり今年もダメックスかも。
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そのあと反省会で天満に行きます。
人気の「穴場」天満店は、17時の開店時間に行きますが、予約ないと入れませんと断られます。ここは驚くほど安くてうまいと評判の居酒屋で、寿司が名物です。

やむを得ず次に「春駒」に行きますが、ここもいつも行列ができているのですが、17時過ぎなので余裕でテーブルに入れました。3人でめちゃくちゃ寿司食べて8500円と、ひとり3000円切ります。人気のわけです。

締めは「生海老バルorb」。一度行きたかった海老名物のバルです。
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ここもかカウンターの端っこにかろうじて入れました。
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お客さんが水槽のイセエビを手づかみでとっています。これを調理してくれるのでしょうか?
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ここは一杯だけ飲み足りないからと入りましたので、2品と3杯飲んで3100円でした。やはり天満の人気店は旨い上に、とにかく安いです!

「日本人はなぜ謝り続けるのか」  2008年8月10日 中尾知代著

 「日本人はなぜ謝り続けるのか」  2008810 中尾知代
  最近の韓国による戦争時の賠償要求に日本人は辟易としている。
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あまりにも一方
的で、何だかんだ因縁つけてとにかく金が欲しいのかとも思ったりする。しかし、イギリスも戦争時の捕虜の取り扱いが酷かったことについて日本に対して非常に悪い感情を持っている。末端の日本兵は捕虜取扱いの国際条約など知る由もなく、十分な栄養も与えずに過酷な労働をさせ、頭を下げなかったりしただけで殴る蹴るの暴行におよび、それでも服従しなければ平気で虐殺した。捕虜の辱めを受けるなら自決を選ぶ文化も災いしたが、上官の影に隠れて宦官のように弱いもの虐めする国民性も否定できない。皆が武士道を曲げないほど成熟した人間でもなかったのだ。どこまで酷いことをしたのか、我々現代日本人も事実をきちんと知り、自省しなければならないのだ。我々は原爆やシベリア抑留の被害者だけなのではなく、多くの無実の外国人を虐殺した加害者でもあるのだ。
イギリスはブレア政権、日本は橋本政権時の天皇訪英時の際に、何とか和解しようと努力していたことがあった。その時はイギリスのマスコミも日本叩きに沸騰していたことを覚えているだろうか。戦争責任をきちんと謝罪していないと声を上げているのは韓国だけではないのだ。日本人との感覚のギャップはどこにあるのだろうか?

日本においては、出征するほとんどの一般庶民にとって、戦争に参加するかどうかは、その正当性を問うたり、意味を考えたりするようなものではなく、「お国のため」の義務だったのではないか。また、映画「戦場のメリークリスマス」を作った大島渚監督のように、日本人は戦争を天災のように、一過性の自然現象であるかのように受け取りがちだ。だから、台風が過ぎ去ればまた普通に生活を始めるように、戦争も、それが正しいのかどうか考えたりしないし、いろいろ文句は言わず、なぜ起こったのかも振り返りはせず、「水に流すべきもの」と思ってしまう。
それに対して英国には、「正しい戦争」という意識がある。様々な国を相手に幾多の戦争を経験してきた英国にとって、今のところ第二次世界大戦は最近の戦争の中では正しい戦争とするべき理由があり、正しい目的に沿って行った正義を守る戦いだというのが公式的な位置づけである。直接的な敵がナチスだったことも考えれば、それもある程度理解できる。そのため、日本が戦争を起こさなければ自分たちの仲間、英国の若者たちは死なずに済んだ、「お前たちが戦争を起こしなんじゃないか」「戦争をするにしても、ちゃんとルールを守れば捕虜は死なずに済んだ」という気持ちが強い。だからその分だけ「植民地をめぐる攻防」という意識が少ないのである。捕虜であった英国人にとって「自分らを動物のように扱ったには日本政府で、天皇ヒロヒトの責任がある。彼の息子はアキヒトで、今は父親が持っていた権力がないというかもしれないが、今日の日本政府はヒロヒトが僕らにしたことに対して、日本政府の名においてなされた残酷さに対する負債と責任を受け入れないといけない。この論理性は無茶なことではなく、受け入れられるものだ。」と考えている。また、英国は何百年も前から大英帝国がやったことを謝っているのだから、日本も問題に真っ直ぐ向き合って「ごめんなさい。戦争で酷いことをやったのは私たちの知らない世代です。そうして、彼らがやったことを彼らは謝ります。」と言うべきだという英国人もいる。その人たちはそれを受け入れるだろうし、それで物事に片がつき、そこから新たに物事が始まる、と考える。
 日本側が元捕虜の謝罪や補償の要求に釈然とせず素直に謝れない背景には、主に四つの問題がある。①BC級戦犯が戦勝国の一方的ないい加減に裁かれた問題、②降伏後の日本兵捕虜の扱いの酷さやシベリア抑留の問題、③英国をはじめとする列強の帝国主義と長年の植民地問題の責任、④アジアに対する列強の分割の過去を問う意識、である。ただ、日本が気を付けなければならないのは、「あちらも悪いことをやっているのだから、こちらを責める権利はない。」と突っぱねたり、「お互い様」と相殺することであろう。日本の過ちは認め、相手の振る舞いの間違いも正せるような正々堂々とした態度を構築することこそ大事だろう。必要以上に苦しめた部分について明確に謝る範囲を決めて謝ったからと言って、日本に対する原爆・空襲の非人道性や、英国の植民地主義を免罪する必要なないと思う。だから、こちらが捕虜を非人道的に扱ったことなどの実態を認めない、あるいは知らないままでは、あちらのマイナス面を指摘する資格も減じていることだけには気を付ける必要がある。個々のイギリス人までが、ソ連の日本人に対する責任を感じることはないからだ。捕虜問題と、ソ連のシベリア抑留者問題を「お互い様だ」と相殺する考えは英国人にはないのだ。
 だからすべきなのは、今後は徹底した実態調査を幅広く進めることが肝要であり、その結果をまだ生きている元捕虜に届けることだ。彼らが一番「なぜ、あのようなひどい扱いを受けたのか?」を知りたがっており、彼らにこそ知る権利があるのだ。対象者は亡くなりかけているのだから、できるだけ早い対応が望まれる。具体的には、真実解明、被害者の苦痛に対する治療費ほか、全国民に過去の事実を知らせる教育である。

「今度は逆ルートから前山・昼寝城・女体山経由大窪寺へ」2019年3月11日

「今度は逆ルートから前山・昼寝城・女体山経由大窪寺へ」2019年3月11日
 再び結願所大窪寺を目指しますが、今度は長尾の前山方面からの逆ルートで女体山を登ります。
10:56 JR志度駅発 さぬきコミュニティバス200 志度駅からは五剣山を右横から、正面からとは違った急な山頂部分が見えます。
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11:47 前山 山王バス停
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イメージ 3実家の旧お墓のあとをお参りすると、私の人の気配を避けたのか、大きな野生の猿が道路を横切っていきました。うちの父が申年生まれなので何か因縁を感じます。
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イメージ 6前山は人気のない田舎集落ですが、今日は麓は太陽がさんさんと照って、なんか映画の懐かしいシーンの中を歩いているような雰囲気でした。
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12:40 林道の昼寝城入口 ここは戦国時代に東讃岐一体と小豆島を領地としていた寒川氏の居城です。なぜこんな奥地の辺鄙な山上に居城を作ったのかということについて、もともとこの辺りが古代から鉱物資源や、行基が開いた一大信仰地であったことで多くの人が集まっていた場所だったと説明されています。
イメージ 11昼寝城の名前は、その寒川氏が四国を統一する長曾我部軍の大軍に攻められた時、山上の城の桜の木の上で昼寝をしていたという伝説からの命名です。実際にこの山上近辺には多くの桜が自生しており、昼寝の桜として今でも対岸の道路から花見されています。本当は敵軍を逃れて桜の木の上に隠れていたようですが。
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13:00 昼寝城山上 急峻な斜面を20分登った山上は100mくらいの平地が築かれており、一番瀬戸内海方面の見晴らしのいいところに寒川社の祠が設置されています。そこから落葉している桜の木の枝越しに瀬戸内海方面を望むと、屋島、五剣山(八栗)が真下に見え、その先には小豆島もよく見えます。なるほど、ここからなら領地内がよく見渡せるから城を築いたのだなと実感できます。
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13:18 再び林道に戻る
13:30 太郎兵衛館 香川大学農学部の研修所だったようですが、今は使われていないようです。
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そこから先週通った分岐に合流し、逆コースを登っていきます。
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女体山まで約1キロ弱です。
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イメージ 19左右に巻いて登ってくる林道を横切ると、そこからは急峻な斜面の登りとなり、最後に女体山上まで続く岩の斜面となります。
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屋島、五剣山、そしてこの女体山と、八十八か所は存在感のある岩場を要した山に作られています。
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14:1514:40 女体山頂上 絶景の眺望です。先日は霞がかかって遠方がよく見渡せなかったのですが、今日は雨上がりで風が強いためによく見えます。屋島、五剣山がしっかり見えます。
イメージ 25高松市街方面も良く見えます。
イメージ 26志度湾周辺が正面に見えます。
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小豆島が地形図通りに見渡せます。
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まさにここは東香川の絶景眺望ポイントです。
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14:50 鳴門大橋展望台標識 尾根を走っている林道を10分ほど東に歩いていくと、鳴門大橋展望台と壊れかかった古い標識があり、その尾根に少し登ると鳴門方面が見えます。
イメージ 30ただ、鳴門大橋がどれかはよくわかりませんでした。
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15:06 大窪寺下山口 また尾根の林道を西に戻り、さきほどの女体山から大窪寺への下りの分岐に出て、そこから一気に下山します。
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ここからのみちはきちんと整備されています。山の南側に入ると先ほどの強い北風が遮断されて無風となり、ぽかぽかと太陽に照らされて気持ちのいい山歩きとなります。
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しかし、あまりにも山をなめすぎていて、女体山山頂で飲んだビールの酔いが回ってきたのと、バスの時間に合わせて急いでパンパンと降りたために躓いて前のめりに転んでしまいました。岩場でなくて助かりましたが、左手の手のひらをずるっと剥く怪我をしてしまいました。あと少しの慎重な我慢ができない人生をここでも体現しました。
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15:25 大窪寺 今日は団体のお遍路さんがいて、そこに交じって一緒に般若心経を唱えました。
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ちょうど13本のバスの最終便が迫っているので、急いで降りて土産物屋でビールとつまみを買ってバスに乗りました。今度は逆コースを歩きましたが、落葉で見晴らしのきくこの時期の女体山はお薦めです。
15:51さぬきコミュニティバスに乗車200
17:05 JR志度駅

「大窪寺から女体山へ」2019年3月5日

 屋島、八栗(五剣山)と来れば、東讃岐から見える南方の高峰は八十八番札所大窪寺を有する女体山です。麓の方から見ると南方に連なる矢筈山系にあります。
10:56 JR志度駅200
さぬき市からコミュニティバスに乗って大窪寺を目指します。平日はどこまで乗っても200円と安いのですが、乗客はおばあさん二人連れだけです。バスは停留所の案内もまったくなく、地元民で勝手がわかっているのが前提か、運転手はどこで降りるのかも聞きもしません。それどころか、道ですれ違ったトラックの運転手と窓越しに「運転手募集しとったみたいやな。行こかな。」と運転手が話し込むありさまで、それほど待遇が悪いのかと心配します。
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大窪寺には途中で休憩したり、いろんな場所を遠回りしたりして、1時間ほどで着きました。さっきのおばあさんは降りようとして乗車賃を入れますが、運転手から160円しかないと指摘され、「そうかいの。200円入れたつもりよったけどな。」とすっとぼけます。どうしたらそのような間違いできるのか。確信犯だとしか思えません。
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12:05 大窪寺
天気が良いのですが、平日で参拝客は他に見当たりません。
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後ろに岩の高峰がそびえる本堂にお参りして、奥の院から女体山方面に登り始めます。
12:22 奥の院登山口
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少し登ると、上の方からものすごいテンション高そうな女性の声がします。デンマークから来た体格のいい女性が下りてきます。人に出会ったのが嬉しくて仕方ないような雰囲気で、How are you?と話しかけられました。どこから来たのか聞いたら、87長尾寺からだそうで、女体山頂上からの眺めが素晴らしくて感動し、しばらくそこにいたそうです。元気でねとお互い励まして別れましたが、朝からずっと歩いて登ってきて、人気の少ないこの田舎を一人でずっと!遠い世界の果てからこんなところまで来るほど八十八か所は価値があるのかと再確認します。さらに、こんなところに女性一人で来てもまったく危険がない、そのような日本の素晴らしさも再認識しました。
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急登ですが、道は整備されていて、30分ほどで頂上林道に出ました。
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そこからさらに少し登ると頂上です。
イメージ 713:02 女体山頂772m
イメージ 10快晴で絶好の日和で高松から東讃岐がすべて見渡せるのですが、もう昼過ぎなので霞がかかってきていて、屋島や五剣山ははるか前方にうっすらと見えるくらいです。位置的にはやはり真正面なので、午前中の空気の澄んだ時間に来た方がいいようです。
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 時間があるので、この矢筈山系最高峰の矢筈山へ往復することにしました。小さいころに来た時に、矢筈山への道にはツゲの木が左右に連なっていて、雰囲気よさそうで興味そそられたことを思いだしました。
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でも現実は、のこぎりの歯のような狭い尾根をアップダウンし、とても気持ちのいい道ではない上に、せっかく着いた頂上は木に囲まれて展望が効かずにがっかりでした。
13:26 矢筈山頂上788m
イメージ 14早々に元来た道を引き返します。
13:45 再び女体山頂
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ここからは一気に下っていきます。大窪寺からの登りですれ違った男性が、私のサンダルを見てそれじゃ下れないほど厳しいと心配しましたが、そうでもありませんでした。
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頂上の大きな岩が連なる尾根の岩石を降りていくのですが、
10分もしないうちに岩場の急降下は終わり、普通の登山道に戻ります。
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14:03 林道出合い
イメージ 18頂上までの林道と交差しながら、登山道はまっすぐ降りていきます。
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14;12 林道合流
イメージ 2014:23 太郎兵衛館分岐
イメージ 21ここからは郷里の前山集落ではなく、四国のみちが通じている譲波集落の方へ進みます。
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14:56 譲波休憩所
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集落には捨てられたような古い民家が数軒あるだけで、人気がなくてタイムスリップしたような感じです。
15:21 来栖バス停 さきほどの女体山がはるかかなたにそびえています。
イメージ 2415:28 前山集落 谷あいに棚田が広がっていますが、ここも人の気配がありません。田舎の集落はほんとうに寂れてしまい、いずれもとの自然のままに戻るのでしょう。
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前山ダムが見えてきました。もう目的地の道の駅はすぐです。
イメージ 2815:48 道の駅ながお
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イメージ 31バスが来るまでに何か買おうと売店に入ります。なかなか興味をそそられるようなものがないのですが、地元の野菜や果物がたくさん並んでいるので、5個入って150円のはっさくを買いました。あとで食べたらプリプリで美味しく、大正解でした。でも、勘定をしようとしたら、歩くのがやっとこさの腰が曲がったおばあちゃんが次のお客さんが来たからと急かされ、のろのろと商品積み上げたレジに戻り、5660円と言われたら、「そんなに買いよったかなぁ」と一つ一つ出して確認しそうで、さらに時間かかりそうで困りました。売店のおばさんが「そうや!花とか買うたきん!」と有無を言わさず会計してくれて助かります。どちらにしてもここは16時で閉店なのです。
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時間が止まったような田舎を花粉にまみれて歩いた一日となりました。
16:10 さぬきコミュニティバスに乗車200
17:05 JR志度駅

今度は85番の八栗寺

今度は85番の八栗寺です。
奥に見える左手が屋島、右奥が五剣山(八栗寺)です。
イメージ 19:50 五剣山を古高松南駅から見るとこんな感じで、弘法大師が修行でここに来た時に、天から五つの剣が降ってきたという由来だそうです。左の四つは天に向け尖ってますが、親指のように離れている右端の五つ目は台風や地震?で昔に崩落してしまったと思います。でも、市街地から近い、ここも珍しい景観です。
イメージ 2古高松南駅から左手には先日の屋島東斜面が壇之浦に沿って連なり、冠ケ嶽が迫っています。
イメージ 310:00 八栗に行く途中に源平の屋島壇之浦の戦いで、義経を矢から守って身代わりで亡くなった佐藤継信の墓があります。東北平泉から義経に従ってきた忠臣です。平安時代に遠い国からここまでやってきて、大将のために命を落とした、なんか切なさを感じます。
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 イメージ 5さて、五剣山がどんどん近づいてきます。八栗寺は左四本指の下中腹あたりにあります。標高375メートルしかないのに、近くで見上げると物凄い高峰に見えます。左手にある290mの屋島よりは100mくらい高いですが。
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10:30 八栗寺登山口の手前にうどんの山田屋があります。
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10:36 八栗ケーブル山麓駅です。すぐなので表参道を歩いて登ろうと思っていましたが、ケーブルの女性職員に大きな声で「乗りますか~ぁ!」と聞かれて、気が弱いので思わず「は~ぃ!」と答えてしまいました。そして走り寄り、乗車賃を支払おうと思い料金聞きます。「往復?」と聞かれ「片道!」と答えると、「560円」、「高っ!」、でも仕方ありません。小銭多いので1110円差し出すと、ケーブルが発車しようとして窓口のおばさんも焦って暗算ができません。結局、電卓をたたきなおして550円のお釣りをくれました。そして走り込んだケーブルはなんとレトロな風貌でしょうか!
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ケーブルはバスできた団体高齢者のお遍路さんでいっぱいでした。
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浅草の花屋敷遊園地にでもタイムスリップしたような電車の風貌です。
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五剣山の中腹にいくつも伽藍が立ち並んでいます。
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ここは神仏習合の名残が色濃く残っています。境内いたるところにに鳥居が堂々とそびえているのです。神様は一つで、それを宗派によって違う方向から見ているだけだと考えればいいのかもしれません。
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10:50 本堂の真後ろに五剣山がそびえています。
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10:57 本堂の先からは出迎え弘法大師の向こうに屋島高松市街が見渡せて絶景です。
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我が家の古高松南駅が中央に見えます。
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再度、五剣山を振り返り、裏参道志度の方に向かって降りていきます。
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もう春が来て菜の花が真っ盛りです。ここ牟礼、庵治地区は花崗岩御影石)で有名で、イサムノグチも創作活動にいそしんだ場所。石の里なので、いたるところに石の彫刻が置かれています。
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12:20 裏参道志度寺の方向にずっと降りていくと、源平の里むれという道の駅があります。
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中には地元野菜を置いたふれあいマーケットもあります。
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地元の野菜などを安く買えます。
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もちろん売店もあり、土産物がたくさん並んでいます。
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この道の駅の名物は地元産の魚介類の食べられる食堂で、その中でも「ハマチづけ丼」700円が名物です。
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ちょうど御飯時なので物凄い行列です。
イメージ 2312:30 併設の房前公園には地元電車のコトデン旧車両が展示されています。
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12:33 つい1時間半前にいた五剣山が左奥にそびえています。この公園名の房前(ふさざき)とは、藤原不比等の子供の四兄弟長男の藤原房前のことで、讃岐を領地にしていて、若いころに地元の海女と恋に落ちた悲しい伝説があります。讃岐(香川)は平安時代の昔からたいへん重要な国で、菅原道真も出世街道のために大臣になる前に出向していました。
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今日もおだやかで真っ青な瀬戸内海でした。
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「屋島の魅力④」2019年2月24日 游鶴亭から長崎の鼻

屋島の魅力④」2019224日 游鶴亭から長崎の鼻
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豊島方面

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女木島・男木島

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ハンセン病で有名になった大島

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これから目指す長崎の鼻
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整備された下山道の階段

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中腹にある洞窟、海賊の物見台・根城との説も

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屋島一周道路との分岐

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長崎の鼻の上に鎮座する木里神社

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長崎の鼻への下り階段

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長崎の鼻砲台跡

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砲台跡から游鶴亭を見返す

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長崎の鼻からすぐ近くに見える女木島

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先端部直下の海

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大島方面

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豊島方面

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屋島東海岸の昔保有していた畑跡

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保有畑跡の下の海岸から大島越に小豆島方面
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菊王丸墓所に戻ってくる
 
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