今度は85番の八栗寺

今度は85番の八栗寺です。
奥に見える左手が屋島、右奥が五剣山(八栗寺)です。
イメージ 19:50 五剣山を古高松南駅から見るとこんな感じで、弘法大師が修行でここに来た時に、天から五つの剣が降ってきたという由来だそうです。左の四つは天に向け尖ってますが、親指のように離れている右端の五つ目は台風や地震?で昔に崩落してしまったと思います。でも、市街地から近い、ここも珍しい景観です。
イメージ 2古高松南駅から左手には先日の屋島東斜面が壇之浦に沿って連なり、冠ケ嶽が迫っています。
イメージ 310:00 八栗に行く途中に源平の屋島壇之浦の戦いで、義経を矢から守って身代わりで亡くなった佐藤継信の墓があります。東北平泉から義経に従ってきた忠臣です。平安時代に遠い国からここまでやってきて、大将のために命を落とした、なんか切なさを感じます。
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 イメージ 5さて、五剣山がどんどん近づいてきます。八栗寺は左四本指の下中腹あたりにあります。標高375メートルしかないのに、近くで見上げると物凄い高峰に見えます。左手にある290mの屋島よりは100mくらい高いですが。
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10:30 八栗寺登山口の手前にうどんの山田屋があります。
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10:36 八栗ケーブル山麓駅です。すぐなので表参道を歩いて登ろうと思っていましたが、ケーブルの女性職員に大きな声で「乗りますか~ぁ!」と聞かれて、気が弱いので思わず「は~ぃ!」と答えてしまいました。そして走り寄り、乗車賃を支払おうと思い料金聞きます。「往復?」と聞かれ「片道!」と答えると、「560円」、「高っ!」、でも仕方ありません。小銭多いので1110円差し出すと、ケーブルが発車しようとして窓口のおばさんも焦って暗算ができません。結局、電卓をたたきなおして550円のお釣りをくれました。そして走り込んだケーブルはなんとレトロな風貌でしょうか!
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ケーブルはバスできた団体高齢者のお遍路さんでいっぱいでした。
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浅草の花屋敷遊園地にでもタイムスリップしたような電車の風貌です。
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五剣山の中腹にいくつも伽藍が立ち並んでいます。
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ここは神仏習合の名残が色濃く残っています。境内いたるところにに鳥居が堂々とそびえているのです。神様は一つで、それを宗派によって違う方向から見ているだけだと考えればいいのかもしれません。
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10:50 本堂の真後ろに五剣山がそびえています。
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10:57 本堂の先からは出迎え弘法大師の向こうに屋島高松市街が見渡せて絶景です。
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我が家の古高松南駅が中央に見えます。
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再度、五剣山を振り返り、裏参道志度の方に向かって降りていきます。
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もう春が来て菜の花が真っ盛りです。ここ牟礼、庵治地区は花崗岩御影石)で有名で、イサムノグチも創作活動にいそしんだ場所。石の里なので、いたるところに石の彫刻が置かれています。
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12:20 裏参道志度寺の方向にずっと降りていくと、源平の里むれという道の駅があります。
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中には地元野菜を置いたふれあいマーケットもあります。
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地元の野菜などを安く買えます。
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もちろん売店もあり、土産物がたくさん並んでいます。
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この道の駅の名物は地元産の魚介類の食べられる食堂で、その中でも「ハマチづけ丼」700円が名物です。
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ちょうど御飯時なので物凄い行列です。
イメージ 2312:30 併設の房前公園には地元電車のコトデン旧車両が展示されています。
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12:33 つい1時間半前にいた五剣山が左奥にそびえています。この公園名の房前(ふさざき)とは、藤原不比等の子供の四兄弟長男の藤原房前のことで、讃岐を領地にしていて、若いころに地元の海女と恋に落ちた悲しい伝説があります。讃岐(香川)は平安時代の昔からたいへん重要な国で、菅原道真も出世街道のために大臣になる前に出向していました。
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今日もおだやかで真っ青な瀬戸内海でした。
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