「広島第二県女二年西組」 1988年 関千枝子著

   イメージ 1副題が「原爆で死んだ旧友たち」で、爆心地から南に1.1kmのところに、広島第二県女二年西組が建物疎開作業のために動員されていました。参加したのは教師3名、生徒29名で、生徒の平均年齢は14歳、28名が原爆投下の86日から20日の間までに死亡しました。この日の動員に欠席して生き残ったの6名の中に筆者がおり、彼女が同級生一人ひとりの亡くなっていった状況を調べた本です。原爆投下すぐに即死したのであればまだしも、多くの人が大やけどを負い、しかも、人間かどうか、皮膚かどうかもわからないくらいに悲惨な状態になって数日かけて亡くなって行く様は、ほんとうに地獄絵です。顔は真っ黒に焦げてパンパンに膨れ上がり肉親でもわからないくらいで、助けるほうも、その変わり果てた有様に涙しか出ない。道にもどこにも黒焦げの遺体で溢れかえり、みんな水道のまわりに積み重なって、水を求めて口だけがひょっとこのような形になっている。広島は被爆者で溢れて生き地獄となっていました。
 前述の「銃を持った民主主義」で、アメリカが日本を新型兵器の実験場にした経緯を読みましたが、罪のない一般人をこれほどまで多数実験台にしたこと、そしてその現場がこのようなとんでもない地獄と化したこと、これをアメリカ人に是非知ってもらいたいと思いました。
 しかし、原爆だけでなくその前の大空襲で甚大な被害を受けても、いまだ戦争を止めようとしなかった軍部、刺し違えてでも止めなかった指導者、もっと言うと戦争へと突き進ませた責任者たち、まずは彼らの責任を日本人の中ではっきりさせるべきなのではないでしょうか。「お国のため」と信じさせられて、逆に国を不幸にし、他国を侵略する片棒を担がされた。仮に「一億総玉砕」して守った国には、そこに何が残るのでしょうか?司馬遼太郎は、ムードに流され熱狂し易い国民性を指摘しました。しかし、この戦争や悲惨な出来事は国民全員が反省するべきものなのだということで済ませていいのでしょうか?もちろん二度と過ちを犯さないためにも、一人ひとりが安易に周りの意見に迎合せず、自分の考えをしっかり持つことも大事です。しかし同時に、当時の指導者たちに結果責任を厳しく問うことが必要なのではないでしょうか。死ねば悪人も神様になり、その人が特攻を命令して死地に向わせて殺した部下や、罪もないのに原爆で亡くなった被害者と一緒に祀られる、そんなけじめのないことでいいのでしょうか。明治以来の軍国主義政策を推し進める精神的中核であった「靖国」に、原爆被害者まで英霊として祀られるのは矛盾してないのでしょうか。この本に書かれている14歳の「この子たちをこんな目に遭わせたのは誰だ!」と絶叫したくなります。この子らをこんなむごいめに遭わせながら、いまだ「国体維持の保証があるか」と降伏を長引かせて小田原評定をやっていた戦争指導者たちに限りない怒りを覚えます。