「木々を渡る風」 2002年 小塩 節著

イメージ 1  ドイツ文学者で著名な小塩氏が、ドイツを中心にヨーロッパを木々に結び付けて、深くておもしろい紹介をしてくれます。例えば、古都ハイデルベルクはローマ軍の駐屯地でドイツでも最古を誇る大学町ですが、あまりにも美しいので対戦中に連合国は一発の爆弾も落とさず、戦後はここに米軍のGHQが置かれたそうです。空襲されなかった京都と似ていますが、哲学の道もここから由来しています。周囲のきれいな樹海は、ドイツで権威の高い営林署が樹種の画一性を排し、三百年サイクルで育てているそうです。杉が良いといえば日本中に植えてしまうような、感情的に極端になりがちな日本とは大分違います。かつてフェニキアは、地中海船隊を作るためにレバノン杉をことごとく切り出して、そのあとに植林しなかったために国は滅びました。ギリシアも同じです。ルターが「世界が明日滅ぶと言われても私はきょうリンゴの苗木を庭に植える」と言ったくらい、ドイツ人の植林に対する意欲は民族的な本能のようです。
詩人ゲーテは、亡くなる時に虚空に手を挙げ、指先で「W」の大文字一つを書き、そのあとにピリオドの点を刻むように打ったそうです。屁理屈好きのドイツ人学者たちは「世界(Welt)」を説こうとしたのではないかと言いますが、筆者は名前「Wolfgang」の頭文字にピリオドをつけて生涯を閉じた、見事だと解説しています。
ドイツの5月を「妙に美しい五月、花がすべて咲き誇る時、僕の心に愛が花開いた」というハイネの詩とシューマンの曲に例えて共感し、その風のさわやかさは信州も似ていると形容します。ただ、ヨーロッパ人一般の欧州中心主義の傲慢さと余りにも強い自己主張は、我々日本人は共有する必要はないと結んでいます。
アイルランドライン川上流の南西ドイツやフランス、北イタリアに広大な領土を持っていたケルト人の生き残りで、イギリスの侵略征服を受けたので対日対独感情がいいそうですが、何千年もかけてできた泥炭層から作ったモルトに欠かせないピートを使う、そもそもウィスキーの原産地なのだそうです。
 樅の木をクリスマスツリーとし、きよしこの夜を歌う習慣はドイツからです。北国の厳寒の中でも樅の木だけは力強い常緑が変わらないので、この木には神の霊が宿るのだと考えたのです。ローマ帝国の軍隊やラテン文明からキリスト教を学んだ後にも、彼らゲルマン人は樅の木を尊ぶ心を失わなかったそうです。それに1812年にザルツブルク近郊の寒村で作られたきよしこの夜が、わかり易い言葉と音楽であっという間に全ヨーロッパに広まったのが由来だそうです。
 また、ドイツの森には下草がないそうです。何万年も前の大氷河がすべての樹木や下草を絶滅させ、長くツンドラにした寒さのせいです。雪を被ってもそっと耐え、身をしならせて抗わず、いつしかそっと静かに払い落として立ち直る、あの弾力性に満ちた若々しい竹というものがなく、そこに日本文化の特性を感じたそうです。