「マネーチェンジャーズ」1978年9月26日アーサー・ヘイリー 永井淳訳

イメージ 1「自動車」「ホテル」「エネルギー」「ストロングメディスン」などを書いたアーサー・ヘイリー企業小説です。特別なスーパーヒーローが出てきて問題を解決したり推理小説でもないのに、どんどん話に引き込まれ、面白くてあっという間に読んでしまうような小説です。この「マネーチェンジャーズ」は銀行を舞台にしているのですが、老舗オーナーの死去に伴っての二人の頭取候補の争う大銀行取締役会の風景、アメリカの金融政策との関わり、取引先大企業の内幕や政治も巻き込んだスキャンダル、偽造クレジットカード問題、大企業融資と株式持ち合いのからくり、グラススティーガル法まで出てきます。そして、そこに働く人の人間模様、アメリカの財政金利政策から銀行カウンターで働く末端の女性職員まで、よくここまで綿密に描けるなと感心するほかありません。普通にこれだけの内容を詰め込まれたら、もううんざりと投げ出してしまいそうです。しかし、階層が違う人々の日常が別々に進行しつつ、発生した問題が実は最後に絡み合って最後にはすべてが見事な結末に結び付くのです。この構想力、そして銀行以外にも自動車産業、ホテル業界、エネルギー業界、薬品業界、そして政治の世界など、あらゆる分野の小説を書いており、それがいずれの分野にも非常に精通した内容となっています。
 このようなベストセラー作家となったアーサー・ヘイリー氏がどういう経歴の持ち主かというと、1920年にロンドン北のルートンという工業都市で工場労働者を父に持って生まれました。労働者に本は不要だと叱言をいう父をしり目に、町の図書館から手当たり次第に本を借り出してはそれらを貪り読んだそうです。成績は数学を除いて優秀でしたが、家庭の事情から高校進学をあきらめ、新聞記者になるのが希望でしたが学歴で採用されません。そんな事情を一変させたのが戦争で、空軍に志願して採用されます。その流れで戦後に空軍省の機関誌の編集の仕事にありつきました。ただ、戦後の英国の食糧事情は悪く、イギリスに見切りをつけて戦中に過ごした北米大陸のカナダに移住します。移住後も職を渡り歩きますが、1955年の春に出張先からトロントに帰る飛行機で、もしも正副パイロットが同時に病気になったらどうなるかという着想で執筆し、「危険への飛行」としてカナダ放送に送ったものが、1956年に放映されて画期的な大成功を収めたのです。1957年にはそれを小説にするよう勧められました。その後、脚本の仕事を続け、テレビで好評を得たものを小説化します。新たに病院の取材をしたうえで、自分の手で小説に書き改めたのが「最後の診断」で、これが実質的な処女作となり、ベストセラー作家アーサー・ヘイリーが誕生したのです。
私は、中学や高校時代に自宅に置かれていた戦国武将の本や日本文学ばかり読んでいました。このような現代の企業小説を早くにたくさん読んでおけばよかったなと思います。実社会に出てどのような仕事に就きたいか、そのためにはどのような学校に進んで何を学ぶべきか、真剣に考えるきっかけになったかもしれません。いまさら後悔しても間に合いません。