「月と六ペンス」1959年9月25日モーム著 中野好夫訳

イメージ 130年近く前に知人から最もお勧めと教えられて読んだ本で、非常に面白いという印象が残っている本です。翻訳した中野好夫氏による解説では、モームジュネーブでの諜報機関の激務に健康を害して、1918年スコットランでのサナトリウムで静養中に書き上げられたもので、画家ポール・ゴーギャンの伝記から暗示を受けたものだそうです。出版されるとたちまち英米両国においてベストセラーとなり、この名声によって前作「人間の絆」も読み直されて、小説家モームの地位が不動のものとなった作品です。この中野氏の判断では、その芸術的至純さは「月と六ペンス」は「人間の絆」の高さに及ぶものではなく、あらゆる意味で通俗的興味をモームが見事に狙い当てていると言います。勇敢にプロットと「やま」を利用し、巧みに読者の興味を捉えるということを最も見事に実践した小説だと評価しています。モーム自身も通俗作家だということを認め、「僕は批評家たちから、二十代は残忍だと言われ、三十代には軽薄だと言われ、四十代にはシニカル(皮肉)だと言われ、五十代ではちょっとやると言われ、現在六十代では皮相だと言われた」と酒々として書いている。回想録の中では、読者というものは作者をイリュージョンの霧の中に置きたがるものだと冷笑しながら、いかに金のために通俗小説を書いたか、自作の内訳話を平然と述べたてている。ただ、シェイクスピアモリエールも、果たして通俗作家でなかったのであろうか。しかし、かかる通俗性の皮を一枚一枚剥いでいった後に、モームの場合、果たしてラッキョウの皮を剥くように何一つ残らないのでしょうか?中野氏は、モームの作品は一切の通俗性という皮を剥ぎとってしまった最後に、人間の不可解性という、常に最後の核にぶつかると言います。人間は彼自身さえどうにもできない、複雑極まる矛盾の塊で、動機は決して理知のよく説明し尽くせるような単純なものではない。いわば永遠の謎なるものとして人間の魂を描くこと、これが彼の一生を通じてうたい続けている唯一の主題です。その他の点でモームがいかに通俗作家であろうとも、彼はこの最後のぎりぎりにおいて、文学永遠の主題と必死に取り組んでいるのだそうです。「月と六ペンス」という題名は、スタンダールの「赤と黒」のごとき象徴的意味を持つもので、「月」は、人間をある意味での狂気に導く芸術的創造情熱を指すものであり、「六ペンス」は物語の主人公が弊履のごとくかなぐり捨てたくだらない世俗的因習、絆等を指したものであるらしいそうです。
主人公は楽しい家庭と、世間並みにはなに不足ない幸福な生活とを捨てて、パリに渡って絵描きになりました。それを諭されると、「僕は昔のことは考えない。問題は、ただ永遠の現在なんだ。」「それで幸福なのだ。」と答えます。「君からどう思われようと、そんなこと、僕は屁とも思わない。」
主人公の書いた画を一目見せられて、「ただちにその美を認め、偉大なる独創性に驚嘆したと言いたいところだが、芸術のみが与え得る特有の感動を少しも感じなかった。それまでおよそそのような絵を見たことがなかったし、何よりもまず技巧の稚拙さに驚いた。皿に盛ったオレンジの静物は、第一に皿が一向に丸くなく、オレンジに至ってはすっかりいびつなのに面食らった。色は色で恐ろしく生々しいし、とにかくすべてがとてつもない不可解な茶番としか思えなかった。彼などが最も早い一人として開拓の足を踏み入れた新天地で、いまでこそ絵画の革命だと世界中の承認するところであるが、当時はまだ天才のほんの黎明期にしか過ぎなかったのだ。面食らうばかりで、わからなかったが、むろん何の印象も残らなかったわけではない。なにかそこに、表現を求めて苦しんでいる新の力といったものを感じないわけにはいかなかった。それらの絵は、確かに何か知るに値するものを語っている。そこには何か途方もない大きな秘密のようなものが暗示されており、とにかく見る人の心をひどくいらいらさせる、自分でも分析しきれない感動なのだ。結局、彼から受けた印象を要約して言えば、なにかある心の状態を表現しようとして、死の苦しみを嘗めている人間ということであった。」
タヒチにおいては、すべての事情が彼に幸いした。周囲には彼の霊観を実現するのにぜひとも必要な条件がことごとく揃っていた。いわば肉体を離れ、ひたすら新しい棲み家を求めて漂泊し続けていた彼の精神が、この島で初めて自己を見出したのだ。この島影だ、即座に思った。ここだ、僕が一生探ね歩いていた場所は。近づいてみると、何だか初めての場所だという気がどうしてもしない。故郷のような親しさを感じ、そうだ、確かに前にもこの島にいたことがあると、そう言いたくなるのだ。彼を捉えていた情熱は、いわば美の創造という情熱だった。それは彼に一刻として平安を与えない、絶え間なくあちこち揺すぶり続けていたのだ。いわば神のようなノスタルジアに付き纏われた、永遠の巡礼だったとでも言おうか。彼の内なる美の塊は、冷酷無比だった。世の中には、真理を求める激しさのあまり、目的を達することがかえって彼らの拠って立つ世界を根底から覆してしまうような結果になる。そういった人間がいるものだ。彼の絵には、何か恐ろしいまでの魅力があった。それはまったく言語を絶した驚異と神秘で、見る者が自分にもわからない、むろん分析などできるはずもないある異様な感動で胸いっぱいになってしまったのだ。まさに世界の創造を目の当たりに見たものが感じたであろうような、不思議な畏怖と歓喜とを感じた。すばらしい、官能的な、そして情熱的な絵であった。そのくせそこには、思わずぞっとさせるような恐ろしい戦慄があった。いわば自然の隠れた深淵に潜り込み、迷うことなく、そこに、美しい、だが同時に恐ろしい秘密を掴み出した男の作品であった。何か原始的な、そして恐怖に充ちたものがあった。もはや人間のものではなかった。なんとなく漠然と、悪魔の呪術とでもいったものを思い出させた。いっさいの人間の肉体美への賛歌、あるいは荘厳で、非情で、美しくて、そのくせ残忍な自然に対する礼賛でもあった。ほとんど恐ろしいまでに、空間の無限と、時間の悠久とを思わせるものだった。毎日身近に見ている物すべての中に精霊と神秘が潜んでいるように見え、同じもの見る目がすっかり変わってしまった。男女の裸体の群像にも、土なる人間であることには変わりないが、そこには人間の真裸な原始的本能の姿があった。そして人はそれを恐れた。つまり、自分自身をそこに見たからだったのだ。