「ルネサンスとは何であったのか」塩野七生

イメージ 1ルネサンスと言えば、レオナルドダヴィンチやミケランジェロなどの芸術家に目がいきますが、それよりも大きな視野で文明の歴史的転換点であったことが勉強になります。
それまでの一千年間、天国は信じるものによってのみ開かれているというキリスト教の価値観を疑うことを封印されていたところに、見たい、知りたい、わかりたいという欲望が爆発したのがルネサンスの本質だそうです。
 そのルネサンスの生まれる土壌を整えたのが、宗教家の聖フランチェスコと政治家のフリードリッヒ2世だそうです。ローマ皇帝テオドシウスによって宗教がキリスト教だけと決められてから、一神教で他の宗教は禁止され、聖職者が力を持ち、自己保存のために異分子を異端裁判や魔女狩りで排除しました。告解を怠ったとか、金曜日に肉を食べたなど、犯した罪ごとに罰を定め、それを加算していくと一生かかっても贖罪は償えない長さになり、地獄を脅しに信心深い人たちを長きにわたり従わせてきたのです。ローマ法王は軍事力を持っていませんでしたが、「聖務禁止」や「破門」によって他の誰とも関係をもてなくするという強力な武器を持っていました。聖フランチェスコはその既存概念を取り払い、虚心に聖書に接すればイエスの教えは愛と優しさに満ちたものであったと庶民に説きました。それを誰でもわかるイタリア語で伝えることで、聖職者による宗教の独占(ラテン語)を突き崩したのです。修道院に入らなくとも、キリスト教の決まりをも守って自分に向いた仕事をすればいいとし、キリストの教えを守るなら金儲けも結構、稼いだ金を修道会に寄付してくれれば病人や孤児、貧困者への福祉に使われるのだから神への奉仕になると、人々に選択の自由を与えたのです。これが、特に十字軍遠征で活性化していた商人や手工業者などの新興階級に急速に広まっていきました。もう一人の鍵となる人物がフリードリッヒ2世で、数ヶ国語を操ることができた国際人である彼は、法律や税制、官僚機構を整備し、通貨制度を整備して経済を振興させました。また、ローマ教会の影響から離れた大学を作り、学問芸術分野でも改革を行ないました。十字軍遠征でもイスラム勢力と講和を結び、エルサレムに誰もが自由で安全に巡礼できるようにしたのですが、当時のキリスト教会からは中世最大の反逆者と異端児扱いされました。しかし、その視野の広さが、中世から脱しつつあった後のヨーロッパ諸国の形成に大きく影響を与えたのです。
 ルネサンスは、まずはじめにフィレンツェ、そしてヴェネツィァで花開きます。このような都市国家は、膨大な資金が世界中から集まるローマ法王庁の財務を請け負うことで経済発展の基礎を作りました。また、十字軍特需による経済力の向上が人口増につながりました。フィレンツェメディチ家の支配していた60年の間に驚くほど多数の芸術家を輩出したのは、当主のコシモが自分自身の感覚や好みや視点に執着しない、広い視野の持ち主であったことが幸いします。マキアヴェッリは、当時としては画期的な政治と宗教の分離を、「君主論」でリーダーはいかにあるべきかという具体論を通じて提唱しました。
 フィレンツェの後にルネサンスの中心になったのがローマで、メディチ家出身のローマ法王レオーネ10世の治世に、ローマにはレオナルドダヴィンチ、ミケランジェロラファエロ3人とも滞在し、法王宮殿内で創作に従事しました。ルネサンス精神にいったん染まってしまえば、ローマには古代からの高い技術による遺構や芸術が依然として残っており、人々が古い既成概念から解き放たれると、身近に古代に作られた驚くような造形美の像が身の回りに転がっていたので、フィレンツェよりも断然有利だったのです。しかし、その後の1527年の「ローマの掠奪」では、ルネサンス色に染まったカトリック教会を危機から救い出すために自由ではなく締め付けが必要と異端裁判の嵐が吹き付け、反動宗教改革が起こりました。マキアヴェッリの著作は禁書、ミケランジェロの裸体には腰布が描き加えられ、ガリレオは地動説を撤回せざるを得ない時代がやってきたのです。ヨーロッパの他の地方で行なわれていた異端裁判の猛威が16世紀半ばについにローマにまで及びました。フィレンツェは共和国としては1530年に崩壊したのに対して、ヴェネツィア共和国1797年まで続き、ルネサンス運動の最後の引き受け手となりました。東方交易の重要な中継地点として栄え、他国から、特にローマ法王庁からの干渉を排除し、自国の独立を守ろうとしました。具体的な利得を考えての自由と独立の堅持で、言論の自由が保障されているので文化を改革した出版業も隆盛し、ここでは異端裁判も魔女裁判もありませんでした。ヴェネツィアを代表する芸術家はティツィアーノで、街中に張り巡らされている運河に反射する陽光の影響を受けた多様な色彩に特徴があり、彼の描く人物像はその人の人生までも感じさせるもので、ヨーロッパ中の王侯貴族からの依頼が絶えなかったそうです。ここでイタリアのルネサンスは最後の花を咲かせ、その結果、ヴェネツィアの街全体が現に見るような一大美術館になったのです。
このようなルネサンスの作品に対して、虚心に耳を傾け、偏見にとらわれずに考え、得た想いを自分自身の言葉で語ってみたらどうでしょう。日本語の「心眼」で、これさえ実行できればルネサンス精神を会得できたことになります。これこそが、ルネサンスが時代や民族、宗教の違いを超越して、普遍性を持つことができた理由なのです。