「現代を見る歴史」 1987年9月9日 堺屋太一著

イメージ 1 堺屋太一氏の昔(1987年)の名著です。太古からの歴史の中に、当時の現代に起こっている似たような例を探し、その後どうなったかを検証しています。
 例えば第3章では、「数世紀の間、新しい大地にこの国を創造したのは信心深い素朴な農民であったが、今はそんな影もなくなっている。都市は壮大な建造物と華やかな行事で飾られ、異国の風俗も数多く見られる。本土では自営農民が次々と没落し、土地は少数の大規模経営に集中されている。都市の工業も衰退したばかりでなく、働くほとんどの人がかつての奴隷の子孫か海外からの移住者だ。本来のこの国の人々は、屋内の座業ばかりを求めるようになったのである。しかし、誰もがそのような座業に適した能力を具えているとは限らない。そのために失業者は多く、国に“パンと娯楽”を要求し、労働時間は減って休日は建国当時の2倍にまで増えた。この失業者と休日の増加で暇つぶしの娯楽は盛んであるが、次第に刹那的快楽を提供するだけのものに成り下がり、美術も奇妙な不均衡な造形が流行し、女たちの化粧はどぎつくなっている。何よりも問題なのは家庭の崩壊と性風俗の退廃である。男たちは相手構わず浮気するのみばかりか同性愛のような性的倒錯も咎められず、女たちの性的紊乱もそれに劣らない。また、金を持ちや政治的野心を持つ女性も珍しくない。離婚も多く、子供を持ちたがらないから人口は減少して、より多くの外国人移住者を必要とする。かつては愛国心に燃えた市民が無敵の強さと厳格な規律の軍隊を構成していたが、現在は強欲な傭兵集団となっている。装備が優秀なために軍事大国と信じられているが、辺境の小国に敗北してからは大いに疑わしい。」これを一読すれば、まさしく現代のアメリカだと錯覚しますが、ギボンやモンタネッリが描く紀元3世紀頃のローマ帝国の様相なのです。20世紀後半の今日、古代ローマ帝国の役割を果たしているのはアメリカなのです。ローマは、過去のしがらみにとらわれることなく、ギリシャの進んだ文明を広い国土と豊富な資源に適用できるような恵まれた条件を備えていましたが、そのような「偉大なローマ帝国」の後に来たのは、経済的にも文化的にもはるかに低い水準にあった北方蛮族の軍事的活動と、東方の宗教であったキリスト教の普及でした。北方蛮族はローマ帝国の経済と政治を破壊し、キリスト教は古代の合理的精神を失わしめました。同じように「偉大なるアメリカ」が没落すれば、輝かしい近代文明それ自身も衰える可能性は大きいのです。問題はその後に興る次代の文明が何であるかで、我々が今為すべきはアメリカを云々することではなく、工業社会に代わる新しい社会のあり方を探ることではないだろうかと堺屋氏は問いかけています。
そのようなアメリカの軍事力の傘の下で、経済的に大きく発展してきたのが日本です。これから 日本は何を目指すべきでしょうか?経済面での優越性を突出させることが現実的であり、世界にはそのような例も記録されています。1013世紀にかけて中国本土の大部分を統治した宋帝国です。北方の強国“遼”のみならず、その後の“金”や西北部の“西夏”に対しても毎年多額の歳幣を支払うという屈辱外交に甘んじ、最後にはモンゴルによって南海に没しました。このように300年という長期にわたった王朝としては類例を見ないほど弱兵劣軍の国家でしたが、産業経済は過去の水準とはけた違いに発展し、その後何百年も上回ることができなかったと言われるくらいでした。このような安全との見返りの歳出が増えようとも、経済が成長している間は何とかやっていけました。ところが、11世紀中頃から貨幣に使う銅や代替物の鉄に対する実需が高まって悪性のインフレを引き起こし、さらに建国以来100年を経過して各種の機構が老朽化・官僚制が硬直化して利権が絡み合ったために、自由経済の活力が失われました。ダメ押しは、やがて銭くらいでは満足しない「軍事突出国」モンゴルが出現して、「安全を金で買う」政策も破綻しました。このような宋王朝300年の歴史は、今日の日本に多くの示唆を与えます。すべての面で一流にならなくとも、経済のみに突出して大きな成功を成し遂げられる道があることです。「弱兵の経済大国」として生きるには、国家財政の15%(今日に直すとGNP3%位、年間10兆円以上)という、多額の費用を安全保障のために惜しまずに支払う覚悟が要ります。そして、相手の言いなりではなく、正確に必要額を見極める広範な情報網と冷静な判断力が必要で、経済大国たることに満足し、それ以上の野心を持たない理性と忍耐も必要です。宋は北方民族の人口過剰を防ぐために大量の移民を受け入れ、差別することなく就労と蓄財の機会を与えることで、軍事侵攻の意欲を削ぎました。さらに、突出した経済力を維持・発展させるために常に自由競争の活力と技術の革新に努めねばならないので、これを阻害すような固定化した官僚機構や、衰退産業の保護は避けなければなりません。
 1987年当時のバブル前夜の世界経済と、大恐慌直前の1920年代末には多くの共通点があります。発展途上国の累積債務問題、石油をはじめとする一次産品の需要停滞と価格低下、円高ドル安の為替変動、保護主義の台頭、欧州の高失業率、米国の慢性的農業不況、南北間の経済格差、基軸通貨アメリカの膨大な貿易赤字という国際経済間の不均衡など、世界経済は多くの困難な問題を抱えています。にもかかわらず、一方では技術革新や財テクをめぐる華やかな話題、円高による重厚長大産業の不況とは裏腹に、株式市場は活況で、マンションやビルがどんどん建ち都心の地価は急騰していました。「病める実態と華やかな虚構」―これは危険な兆候で、しばしば大恐慌の前兆です。大恐慌1920年代末も今も共通している根源的な問題は、各国間の生産と需要の大きなアンバランス、国際的な貿易の不均衡、これによる過剰な国際流動性の発生で、その当事者たる貿易黒字国、1920年代の米国、1980年代後半の日本に、その問題の本質に対する理解と危機感が欠けていることです。日本の出している貿易黒字は凄まじく、20世紀に一国が世界輸出の5%を超える貿易黒字を出した例は、1928年の米国と1980年のサウジアラビアしかなく、いずれもその後に世界的不況になっています。日本の貿易黒字は相対的な規模でも絶対金額でもこの先例を上回っていて、国際経済の循環を危うくするものなのです。最大の赤字国である米国の責任もありますが、問題なのは誰が悪いかということではなく、このまま貿易の不均衡が拡大すれば、それに耐えられなくなる国が保護主義に走り、自由貿易最大の受益者である日本が最大の損失を被ることは明らと言います。円高は手段であり、真の目的は生産を減らして需要を増やすことなのです。
 第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約体制は、ドイツからの「天文学的な賠償金」という国際的不均衡を前提にし、その取立てはドイツのインフレを激しくしてより困難な状況にしました。一方、アメリカでは戦争ブームで産業が拡大し、膨大な対外債権を持つようになってお金がたまり、景気も良くなりました。誰もが将来の発展の継続を信じて、それに遅れまいとして先物買いという投機に走り、企業は設備投資に狂奔して信用創造が拡大し、行き場を失った資金が実態のない投機に流れて1024日木曜日(ブルーサーズデー)の大暴落につながりました。アメリカのGNP3割以上減少し、建設支出などはピークの6分の1に落ち込み、失業率は20%近くになって賃金が平均6割にカットされました。欧州でも同様に20%以上の失業率になり、特にドイツは30%と特に破滅的で、このような経済的破滅が後のナチスやフランスの左翼人民戦線政府の誕生につながることになったのです。このような大破局の原因は、まずは急激な大量の資金の引き揚げで、もう一つは各国の経済政策の失敗です。需要が減退しているにもかかわらず、財政均衡を重視して必死に財政支出を抑えようとしていました。さらに、各国が不況の深刻化とともに産業保護のための輸入制限に走ったことも重要で、相互国の報復による保護主義は輸出市場を失わせて、かえって経済を停滞させました。この結果、世界貿易は3分の1まで縮小して、どこの国も自国内で資源と食料を自給せざるを得なくなり、勢力拡大のための軍事的対立が激化して第二次大戦を招いたのです。このような失敗を繰り返さないように、アメリカが全世界の生産力の2分の1を占める極端な状況で、「強すぎるアメリカ」と「弱い他の国々」の格差是正のために、アメリカは戦勝国としての賠償金請求を放棄したばかりか、マーシャルプランによって「弱い国々」に対して計画的な多額の援助を与えて積極的に身銭を切りました。もう一つ重要なことは、アメリカが軍事負担を一手に引受けたということで、これが西欧や日本の軍事負担を大幅に減らして経済活動に専念できるようにしました。これに対して日本は稼いだ資金を世界に還流させる発想がありません。1920年代の米国に似ています。日本の貯蓄率は18%と諸外国の10%前後よりも著しく高いですが、1920年代の米国も20%近くありました。万が一にも不況が到来すれば、大規模な財政支出による内需振興が行われるのでしょうが、必要な経済政策が確実かつ大胆に行われるかどうかは疑わしいところです。財政政策が金額のみで議論されて、支出を公共事業に集中して設備過剰の分野に需要を付加するだけでは、生産過剰を温存するだけの結果になりかねません。自国の産業を犠牲にしてまで規制を廃止して保護主義を抑えることができるのでしょうか。重要なことは、消費の拡大=基礎的不均衡の是正です。日本人自らが貧困感と被害者意識を捨てて、大不況によらない貯蓄過剰を解消できるかどうかなのです。
  以前から世界には貿易摩擦は存在していました。しかし問題は、日本社会に巨額の貿易黒字を生む供給過剰・需要不足の構造があり、さらにそれを補強するような政策・制度、それを支持する精神風土が強固に存在することです。250年前の享保時代以来の「節約と勤勉を正義とし、消費と安逸を堕落とみなす倫理観」が需要拡大にブレーキをかける、このような日本文化が批判されているのであり、昭和の初期も同じような問題の抜本的改革を怠ったために、気がついた時にはどうしようもできずに戦争に突入したのです。危険を感じ始めている大切な時に譲歩と改革ができず、世界との対立を拡大する方向に進めば、同じ過ちを繰り返すことになりかねません。第一次大戦による戦争景気で急膨張した日本経済は、戦争終結によって極端な需要不足に陥りました。これを対外輸出によって解消しようとしたために、他の工業国の警戒すべき競争相手になりました。民族主義の高揚とともに、猛烈な輸出拡大と軍備の拡張に走る中で、米国の対日移民制限と海軍軍縮問題が日本人の神経を逆なでし、勤勉な日本人の過信と反米感情の高まりをもたらしました。中国人の怨嗟の声にも、英米などの警告にも耳を貸さなかったのは、日本人の倫理観の単一性に関係しています。日本自身の行為を別の尺度で批判するような倫理観の多様性に欠けているのです。日本的正義の押し付けは極めて迷惑なことであり、相手国の損失は考えずに、被害を被るような外国の要求には激怒します。日本軍は終始戦略的思考を欠いており、日清・日露戦争の幸運な勝利で勘違いしたのです。東条英機は部下思いで信望が厚かったのですが、誰それの面目を重視するだけで、全体の総合調整ができませんでした。企業で言えばせいぜい支店長止まりの人材が「世界を敵」にする戦争に導いてしまったのです。このような人物を、陸軍大臣や総理大臣、そして全権を委ねる立場までにした日本の政治・社会の体質こそ問題なのです。自由と民主主義を標榜する他民族国家アメリカは、いかにも享楽的で分裂症的に見えますが、享楽主義は冒険心に通じ、分裂症的外見は個性の尊重を意味し、いざ戦争になったときに、これらの良さが十分に発揮されました。これに対して日本人の精神主義と統制の強さは、客観的評価の欠如と多様性の排除に繋がり、戦争においては想像力を欠き、相手の出方も読めませんでした。日本の工業製品の生産力と競争力が優秀であることは事実でしょう。しかしその原因を日本の労働の質と技術の優秀さのみに帰するのには危惧を感じます。それを支えているのは、高度成長の結果としての終身雇用によって培われた企業忠誠心と相互の仲間意識です。もし経済の基調が崩れ、人口構造が変化して終身雇用が崩れたら、労働の質の優秀さは続くのでしょうか?また、細部を重視し過ぎると、各部分の人の意向が重視されて全体調整が困難になります。全体のために部分を犠牲にするような者は、非常冷酷のそしりを受けて権力の座には就けません。その反面教師のような存在がまさに東条英機であったわけです。例えば、自動車の輸出はどんどんやる代わりに農産物の自由化は進めましょうということができません。通産省農水省の一部の利害を超越した国益を考えた統一的な決断ができないのです。日本の政治家や官僚が、全体の利益のために部分を捨てるような、優れた将軍の器量を発揮できるかどうかが、この国がかつての誤りを繰り返さないための必要条件と言えます。