「決断の条件」 昭和50年6月20日 会田雄次著

イメージ 1 ちょっと古いですが、40年前の名作です。甘えの世界に住んで「馴れ合い」で事が済んで行くのは日本のような同質社会内部だけですが、これからは異質な海外社会と密接な関係を持っていかねばならないので、イエスかノーの明確な意思表示も必要になってきます。意思決定即ち悪とされるような日本だからこそ、あえてヨーロッパでさえ一部の人々から悪魔の書とされるマキャヴェリを中心に例示して、意志決定の条件をあげています。 
・私たち日本人は、ほとんど決断や選択という能力を持たないのではないかと思うほど「優柔不断な国民」である。一人の時には極度にシャイで、常に仲間を求め、流行に弱く、絶えず身体を動かしていないと不安になる。権威を背景にすると極度に傲慢で、それを失うととたんに貧弱、卑屈になる。つまり、強気に弱く、弱気に強い、島国根性から来た奴隷根性の国であるのだ。これは、閉鎖された孤島という地理的条件と、米作りに全力を投入してきたことに原因がある。北限の稲作であるために7,8月の高温に賭けるという忙しい農作であることと、極度の多収穫品種という特徴が、たえず気ぜわしく落ちつかぬ国民性も、隣近所にいつも気を使わねばならぬ社会環境もこのように生まれてくる。このような国民性は、高度工業社会においても同じように再生産された。しかし、状況を考慮せずに世界に盲目的な生産と販路拡張を続けていく態度には限界がある。日本人に最も欠けている冷静な現状把握と決断が必要で、選別、切り捨て、転換といった困難な決断によって苦境を開いていかねばならなくなる。
・民衆を真の味方にできるのは権力者だけだ(マキャヴェリ)すぐれた学者であった天満の与力・大塩平八郎は心から民衆の身を思う男で、天保七年に暴動に立ちあがった。しかし、大阪の民衆が立ち上がらず、たった8時間で鎮圧されてしまう。大塩が君主でもなければ権力者でもなく、部下にもめぼしい人材が少なく、何もできないであろうことを民衆が見抜いていたからだ。能力がないから大衆、平社員、若者たちが協力しないのであって、誰も味方しなかったから負けたという言い訳は原因を取り違えているに過ぎない。
・相手に対して考慮を払わずに済む完勝はない(マキャヴェリ)どうして謙信は敵に塩を贈ったのであろうか。北条や今川との同盟が一時的なものであり、塩断ちが永続しないであろうこと。苦痛が大きくなれば信玄は自分に降伏するよりもかつて結んだことのある北条か今川と和睦するかもしれない。それよりも先に敵に恩を売っておけば、敵地民衆の自分に対する信望は大きくなり分断策になると判断したのかもしれない。普通の人間は、自分のやり方が成功している時にそれを変える気にはなれない。本当の能力者とは、先を冷静に読み、万人が反対するにもかかわらず、先手を打って、成功しつつある方法を変える決断ができる人間である。
・人は父親を殺された恨みはすぐ忘れるが、財産をとられた恨みは忘れない(マキャヴェリ)事を決するときは、自分の行動の結果、誰々に利益がどのように行き渡るか、誰がどのような損害を受けるかを充分に考え抜いて行わねばならない。要は決断し、人を動かそうとする時は、人々への欲望充足への配慮が必要ということだ。
・指導者を欠く大衆は烏合の衆である(マキャヴェリ
日露戦争日本海海戦で奇蹟としか言えぬ大勝を得たのは、まずロシア側の旗艦がまずやられて司令官ロジェストウェンスキー将軍が重症を負い、艦隊行動が混乱しきって日本艦隊に袋叩きにされることになったからである。指導者を叩くが勝ちというのは根本原則で、指揮者を探すことに全力を挙げるべきである。
・人間いかにいきるべきかにこだわるな(マキャヴェリ)日本は言論にはなはだ寛容な国民である。矛盾した意見を連発しても、予言が外れても、変節しても世間は一切それを咎めない。日本の世論をリードする大新聞がころころとその立場を変えても何とも言われないのだから不思議である。明治は伊藤博文や山形のような二流・三流の志士たちによって建設されて確かに矮小化した。一流の志士は同様の狂信者と刺し違えて非命に倒れたが、そうすることで明治日本を気狂いの手に渡して崩壊させることを阻んでくれたのだ。だからこそ人間社会はここまで存続して繁栄してきたのである。現実の重要性から目をそらして理想という美しいが無責任な世界へ逃げ込む人間は、組織もろとも社会から否定される。
・加害行為は一気にやり、恩賞は小出しにせよ(マキャヴェリ明智光秀が敵地住民の民心を獲得するのが上手であった。若い頃逆境に立ちってひどい貧乏暮らしをしたためか、人の温情に感激深くなるとともに、ケチになっていた。だから恩賞を出し惜しみし、自分で思い切ったつもりでも過少に過ぎた。反省癖があるので、それに気づいて結局はちびりちびりと追加していくのだが、そのことがかえって人心収攬にプラスするという幸運を招いた。逆に信長は光秀に大領地をやりすぎ、あとで丹波・近江を没収したために謀反を招いてしまったのである。
・亡命中の人間の言葉を信じるな(マキャヴェリ)日華事変について、外務省からの容易な敵ではないという情報を元に不拡大方針をとっていた近衛政府は、奥地で独自の調査に当っていた陸軍によって押し切られた。しかし、陸軍の得た情報の多くは新政権からドロップアウトした連中からのものであった。つまり、亡命者に限らず、不平居士も含めた広い意味で落ちこぼれた人間の言うことを信じてはならないのだ。信長も秀吉も家康も、亡命者や謀反人、内通者の意見をよく徴した。だが彼らが成功者として残ったのは、その意見の裏づけをとったからだ。その情報が一致しない限り動かなかった。
・忠義な使者は大切にするな(六韜文伐)日露戦争のとき、秋山真之参謀はいつも一枚上手で行く戦法を取った。相手が銀を出だしてきたら金を出すという風に。ただ、軍艦や戦争とは違う。偉い奴が出てきてもおいそれとうまくは対応できない。ここでは、偉い奴が出てこないよう、出てきても機能しないようにさせるべきなのだ。それが外交交渉に入る前の外交計略なのである。私たち日本人の一番の欠陥は、偉い人が胸襟を開いてくれたり、へりくだって応対してくれると、いっぺんに感激してしまう。そして無意識のうちに裏切り者の役割を果たしてしまうことになるのだ。その欠点をさらけ出さぬため、大物、偉材とは決して腹を割って付き合わないこと、小物だけを相手にすること、小物政治家たちが大物気分で出かけていって手玉に取られて日本にずいぶん損を与えている。
・小忠を行うは大忠の賊なり(韓非子)最初の直感こそ大事にすべきなのだ。その予感を大切にして、それを分析することが重要で、それを養うためには歴史に学ぶことが一番であろう。特に19世紀風の物語的な歴史叙述、それも詳しい古典が良い。司馬遼太郎の「坂之上の雲」のように、小説家の思考が歴史の事実を超えていない程度のフィクションを含む歴史小説でも良い。ある経営者は新聞の社会記事を見て「俺ならこうする」といつも事件の当事者の行動と違う方法を考えると教えてくれた。犯人の言いぐさやしぐさが報道されると、それが記者にどのような影響を与えたかを考えるのだ。これは素晴らしい直観力の養成法であると私は思う。
・功なきを賞するは乱のもと(韓非子)功績ないものに賞を与えると人民はつけ上がり、過ちを罰しないと平気で悪事を働くという意味だ。日本では、賞与であったものを年末手当てなどとやってしまったことが戦後の「大失敗」だった。休んでも、ストをやって働かなくても賞与はもらえるし、働いても増えるわけではない。故なき「善政」は国民をつけ上がらせるだけである。
・臣主の利は相ともに異なるものなり。(韓非子)管理者の覚悟として重要なのは、安易なヒューマニズムだとか連帯だとかに逃げないという決心である。愛情に満ちた意思決定などありはしない。冷酷無残か、あるいはふらち極まる人間であってこそ、はじめて意思決定が可能になるのだ。近代社会における人間の教育とは個人に独立能力を与えること、つまり孤独に耐える人間を作ることに存する。日本人には教育に対するこのような認識が完全に欠如している。
・謙虚の美徳によって尊大を打ち砕くことはできない(マキャヴェリ)こちらが誠心誠意なのに相手がそれに応じてくれないと、やたらと腹を立てて相手を悪と決めつけることも問題である。どのように応えるかは相手側の勝手である。躍進を続けている日本は、世界中の嫉妬感や反感憎悪につつまれている。今後の日本外交は途方もない困難の中を歩むと思われ、卑下をし続けていると実力がないと見なされて軽蔑される。悠然と礼儀正しくは構える。だが、絶対に譲歩・妥協してはならない。相手の企みを見抜いたら、こちらの力は乏しくとも断乎として戦う決心をしなければならない。相手はそのときはじめてこちらを尊敬する。
・将に五危あり(孫子)「孫子」は意思決定の際の条件として、必死になりすぎるな、生命だけは助かろうと考えていると命は助かっても捕虜になること、短期ですぐ怒る人間は軽蔑されて、人に利用されるだけであること(福島正則のように)、潔癖症の人間は名誉に弱く、これを傷つけられると逆上して冷静な判断ができずに、みすみす相手の術中に陥ってしまう。愛民とは民のつけ上がりへの迎合ということの代名詞でもあり、管理職として企業の利潤増大、会社の発展のみを目指して意思決定を行う時、愛民に反して反社会的行動と知りながら選択しなければならない辛さを乗越えなければならない。