「森と文明の物語」

イメージ 1 かつて、古代の人々は森に囲まれて生活していました。現在はほとんど砂漠のイメージのある中東でも、かつては樹齢6000年以上のレバノンスギが聳えていました。これはマツの仲間の針葉樹で、樹高は30m以上に達し、材質はたいへん硬くかつ腐りにくいので、船材やマストには最適だったのです。メソポタミアで都市文明が誕生した5000年前は、それまでの温暖期から寒冷期への気候の大規模な変動期で、中東やアフリカには夏雨が降らなくなって乾燥し、深刻な砂漠化が引き起こされました。人々は水を求めて大河のほとりに集まり、都市文明誕生の契機となったのです。乾燥化と砂漠化は人間を取り巻く自然環境を悪化させ、さらには牧畜民の連れてきた家畜が森を食い荒らし、現代の地球環境の危機はこの頃のレバノンスギの森の破壊から始まったとも言います。

  著者は土の中に含まれる花粉の化石を調べることで、かつて存在したであろう森の証拠を見つけます。1500013000年前までは乾燥したところに生育するアカザやヨモギの花粉が高い出現率を示し、草原が多く、樹木の花粉ではアスサリエ山の斜面でレバノンスギが多く見らます。それが13000年前からはナラの花粉が急増し、気候が温暖化・湿潤化して森が拡大しました。ところが1万年前からナラの花粉が急減し、代わりにマツの花粉と人間の活動を示す炭片も急増し、人間によってナラの森が破壊されたのです。8500年前頃からはオリーブが植えられ始めてレバノンスギも減少し、6700年前にはほとんど消滅しました。ナラの森も5000年前にはほとんど伐り倒されて花粉も激減し、森が消滅した斜面から表土が侵蝕されて湖を埋めたようで、水湿地性植物の花粉がオリーブとともに急激に増えました。エジプトなどの王がレバノンスギを争ったと思われるよりはるか2500年も昔の6700年前にレバノンスギは伐り尽くされてほとんど消滅していたのです。5000年前に森の神フンババを殺して森を破壊したギルガメッシュ王は、「やがて森はなくなり、地上には人間と人間によって飼育された動植物だけしか残らなくなるだろう。」と予言しました。地中海のクレタ島に繁栄したミノア文明も、太平洋のイースター島も、その森を破壊しつくした時に崩壊したのです。その後、地中海ではミケーネ文明が栄えますが、農耕や牧畜の発達で人口が急増して著しい森の破壊が進んだことが花粉の推移からもわかります。ミケーネ文明が崩壊すると、それまでの農耕により土壌の栄養分と保水力は低下してしまっており、落葉ナラやマツ、あるいはオリーブしか生育できない荒地に変わってしまいました。だから、人々はムギ類の代わりにオリーブを栽培しました。オリーブは、夏は暑く乾燥し、冬は温暖で雨が降る地中海沿岸の気候が生育に最も適しています。オリーブ油の利用で食物を揚げて調理することができるようになったため、硬くて食べられなかったものを暖かくかつ消毒を施して安全に食べられるようになり、食糧事情を大きく変化させ、ギリシア文明の発展の基盤をもたらしました。
 一方、地中海では魚が取れません。日本が黒潮親潮に囲まれてたくさんの魚が取れるのに対して、魚の量が非常に少ないのです。それは豊かな森が失われたことが大きな原因の一つです。プランクトンを育てるような栄養分を含んだ水が海へと流れなくなり、それが地中海を痩せ海にしたと言われます。
 南ドイツでも同様で、現在はどこまでも耕された麦畑と牧草地が広がっていますが、かつてこの大平原はヨーロッパブナやナラの大森林に覆われていたのです。中世には城壁を一歩出れば、森の神や妖精や悪魔がいると、人々は自然に畏怖を感じながら暮らしていました。シーザーのガリア戦記では、60日間歩いてもまだ森の端に出られないと記されているくらい森は深かったのです。そのような森が、1618世紀に中世の修道院を中心とする開拓によって破壊されてほとんど消滅しました。
 新大陸の中南米でも、金銀に代わって利益を上げるサトウキビ栽培が森林を破壊しました。森を伐り拓いてサトウキビ畑を作り、それだけでなく、サトウキビから搾り出した液汁を煮立てるために大量の木材を燃料として消費して、現地人を酷使するとともに、森の破壊は酷くなる一方でした。私たち日本人が、明治以来憧れてやまなかった近代ヨーロッパ文明の繁栄の基礎には、アメリカ大陸やアジア、アフリカの自然の収奪と、奴隷貿易という人間の支配と搾取があったことを忘れてはなりません。
 大型哺乳動物が姿を消した西アジアの大草原とは異なり、日本列島では食物が豊富でした。四季折々に豊かな森の恵みがあり、他人のものを収奪する必要性が薄く、所有の概念は強くならず、社会的不平等も顕在化しませんでした。そのために富の蓄積の上にたった強大な権力者も誕生せず、縄張りよりも棲み分けを優先する平和で平等な社会が長い間持続したのです。1万年近くにわたって縄文文化を維持、発展させることを可能にしたのは、自然との共生と平等主義に立脚した社会システムを持っていたからです。そのような縄文人たちが持っていた森の時間認識を、現代の日本人、とりわけ山村の人々は体験的に理解できています。稲作農耕社会を代表する里山の森です。農耕の開始は文明を飛躍的に前進させましたが、同時に世界の大森林の大半を消滅させ、とりわけ羊や山羊などの家畜と穀物栽培をセットにした麦作農業地帯の森林破壊は急ピッチで、家畜は若葉を食べて森の再生を不可能なものとしました。しかし日本の里山は、ヨーロッパの家畜と同じ役割を日本の農耕社会の中で担っていたのです。ヨーロッパでは森が一方的な破壊の対象だったのに対し、日本人は森を核とした地域システムを確立し、森の生態系を自らの文明系の中にたくみに取り入れることに成功しました。ただ、石油・ガスの普及により里山の生産物である炭の価格が暴落して、里山を核とする地域システムを根底から揺るがすことになっています。里山の崩壊は日本文化の基層を形成してきた森の文化の断絶をもたらします。森の時間はレジャーの中だけになり、里山と森の関わりが地域社会を維持するための基本的な生産活動と深く結びついていた時代の共生と循環の自然観が、急速に忘れ去られようとしているのです。
 人類を森林破壊に駆り立てるきっかけは、農耕の開始でした。農耕の開始は、人間に富の貯蔵の必要性と、富を所有することの楽しみを教えました。できるだけお金を貯め、できるだけ人より早く出世して、できるだけ立派な家に住みたい、権力を手に入れたいという、現代の誰しもが持っている欲望に人間を目覚めさせたのは、農耕開始によって始まった富の蓄積だったのです。この欲望に引きずられて人間は殺し合い、人間同士の支配と搾取のとめどない醜悪の増幅作用が始まりました。さらに、人間の自然支配を肯定し、人間と自然のみでなく、自然の中にさえ階級支配を持ち込む宗教が3000年前ごろ誕生しました。それは人格的一神教で、神の下に人間を、人間の下に自然を置くという自然征服型の階級支配の概念がいっそう強固に支持されたのです。自らの信ずる神が唯一絶対であり、他の宗教を邪教であるとみなす階級支配の概念は、人間や民族、国家だけでなく、自然認識にまで適用されました。森に住む魔女や蛇たちは、この宗教の下、徹底的に惨殺されました。暗黒の森は破壊されなければならなかったのです。この自然征服型の人間中心主義に立脚した階級支配の文明は、15世紀の地理上の発見を契機として世界中に蔓延しました。
 農耕誕生以降の人間の歴史を振り返ると、人間は森との関わりにおいて同じ過ちを何回も繰り返しています。文明が発展し、人口が増加する、すると森林資源が枯渇し、文明が衰亡するということを何回も繰り返してきたのです。もし我々人類がこれまでと同じ生き方をするならば、新たな森を見つけなければならないのですが、地球上にはもうそのような未開のフロンティアはなくなりました。無限の資源の存在を前提とした文明では、もはややっていけないのです。どうすればいいのでしょうか?それは、われわれ人間が欲望をコントロールする手段を見つける以外にはないのです。
  この危機に直面して、われわれは日本の森の文化の伝統を、いま一度思い起こす必要があるのではないでしょうか。破滅を回避する新たな技術がいまだ見えないとするならば、幸福の価値観、欲望の価値観を変えることによって破滅を回避するしかありません。私たちは日本の縄文以来の文化の伝統の中に残された、森の文化の価値を再認識する必要があります。森の文化の根本原理である共生と循環、そして平等主義に立脚した新しい文明を創り出すことが必要なのです。