「料理人の休日」1987年4月25日 辻静雄

「料理人の休日」1987425辻静雄
イメージ 1 辻調理師専門学校創始者辻静雄氏のエッセイです。フランス料理を作るという職業に従事する場合、日本人の多くは見習いからの道程を経るのが習わしですが、読売新聞のサツまわりから転向するというズブの素人から始めた異色です。仕事中たまたまアメリカの学生がやってきて、料理学校を見たいというので知り合ったのが奥さんです。その後、奥さんの父がしきりに転職を勧め、ある日突然料理学校の先生になり、当時ひと皿五十円のカレーライスや三十円のラーメンしか食べたことがない著者に、仏文科出身だからとフランス料理を勉強してくれと言われ、ラルース社から出ていた「美味学大辞典」を突き付けられました。その月からお金はいくら使ってもよい、なるべく早くフランス料理を覚えて下さいと気の遠くなるような課題を与えられたのです。
早稲田の仏文出身ですが、読み書き、話すの三拍子揃ってまったく使い物にならないレベルだったそうです。ただ、大学では文学史や哲学、小説の勉強が大半を占めていて、フランス人の日常生活についての講義が皆無に等しかったそうです。もし反対に、日本文学を勉強する外国人が、徳島県がどこにあるのかも知らずに、たこ酢もしょっつるも聞いたことがない、味噌汁も知らないといったら、我々はよくそれで日本文学を研究できるものだと訝しく思うでしょう。著者のフランス語の勉強はこうした言葉と、それが指す物との差を縮めることから始まったそうです。フランス料理というものは、いつの時代に、どんな人が、フランスのどこで、どんな食べ方をしていたかという面から取り上げていきます。もちろん自分の手で作り出してみなければならず、慣れない危なっかしい手つきで包丁を握るもさることながら、自分が手習いしているこの方法は、なぜ必然的にこうでなければならず、他のやり方なり、順序なりは、どうして考えられないのだろうかという疑問に絶えずつきまとわれました。肉の掃除も、ナイフのとぎ方ひとつでずいぶん楽になります。このようにフランス料理にまるわる諸問題を取り上げていくと、日本ではまだ誰も手をつけていない世界がいくつか未開拓のまま残っているということに気付き、型にはまった仕事で勝負しても当時の著者の立場では不利ということもわかってきました。フランス料理の歴史を調べる関係上、ヨーロッパの通史、各時代の風俗史にも興味を覚え、それこそ芋づる式に、関連事項はすべて納得のいくまで調べます。フランスの前のガリア戦記を読み、二千年前のイタリア料理と今日のイタリア料理を比較し、南フランスの料理を絶えず意識することが、フランス料理ということであり、中央集権化が進んだ十八世紀のヨーロッパの生活状態を学び、料理の技術の縦の歴史を調べることは、そのままある一時期コックさんだった作曲家リュリの話にもつながる・・・というような芋づる式です。知識欲は旺盛な方がいいし、ものを調べるという習性を持ち続けた方がいいし、自分の持っていないものを持っている友人や先輩に囲まれて、その人たちの優れた頭脳の恩恵に浴することが一番嬉しいことだと信じています。
世界で一番いいレストランはどこか?と聞かれれば、リヨン近郊40キロのヴィエンヌという町にあるレストラン、ピラミッドで、ここから二十世紀のフランス料理を背負って立つ多くの俊秀が育って行きました。フランス料理の技術の歴史を勉強すれば勉強するほど、この料亭で起こった数々の奇蹟が、今日のフランス料理をかくあるものにしたと信じざるを得ないそうです。食べ歩きというのは考えるほど容易なことではなく、もし他に立派な職業をもっていて、今くらい西洋料理の味がわかるようになっているとしたらどんなに幸福な人生かわからない、人間は楽しみにすることを職業にしてはいけない、セックスの場合を考えれば一目瞭然で、音楽家も画家も素人でいる方がどれだけ楽しいかわからないとも言います。
筆者は暇さえあれば、何かかかわった料理を作ってみたいと試行しています。ただ、料理中に味を見るので、作り上げた頃には改めて自分が食べる意欲が無くなっているし、料理は作る過程だけでなく、誰に食べて頂けるのかという最終目的がないと、いい材料を仕込み、腕によりをかけて仕事してみたいという気持ちになれません。そこで、どなたでも気軽にいらして下さる人が著者の家の食事に集まることになります。このような時の料理は営業用ではないので、材料費も人手もおかまいなしなので、会心に近い仕上がりとなります。料理人風情では近付けない、日頃から畏敬の念を持って眺めている作家の方々の謦咳に接することができるのも楽しみとなります。丸谷才一氏の言葉の奥に蓄積されているものに驚嘆したり、開高健氏の解説には同席している人が食後になぜか納得済みの心境となり、阿川弘之氏の豪快な食べっぷりに、もし時代が時代なら海軍士官には恐れ多くて側にも寄れなかっただろうにとか、多くの著名人が著者の料理を楽しんでします。
ワイン選びで日本人はすぐ上等な銘柄を求めます。カバンと言えばルイヴィトンだ、グッチだと一流品を買いたがるのと同じです。しかし、フランス人がいつも優雅に銘醸ワインで食事していると思ったら大間違いです。彼らはワインがなければ食事が始められないのは事実ですが、そんなに結構なものを食べているわけではなく、毎日、ローストチキンやポタージュの残り物を温め直して食べている程度です。タイユヴァンやラセールなど、1回に300フラン(当時15千円)するような一流レストランにでかける人はごく限られていて、そんなに払って飲み食いするような贅沢はしません。15フラン(当時750円)でフルコースを食べられるビストロがたくさんあるのです。何年物のワインだ、赤だ白だと言っているのはごく限られたブルジョワだけで、魚料理に白ワインだ、肉料理には赤ワインだといい出したのもここ2百年くらいのことで、それまでは何でもよかったのです。何年物のヴィンテージのことを言い出したのもこの百数十年のことで、それまではワインを寝かせておいたらおいしくなることを知らなかったようです。だから、ワインのラベルが読めないから恥ずかしいと考えるのは間違っているのです。我々の生活の中で値段を気にしないで飲めるというのがリーズナブルなので、ワインとくればすぐフランス料理のフルコースというのではありません。値段を気にしないでというのはやはり千円どまりで、ちびちびやって友人と語り明かし、そのワインに合った食べ物を見つけようと、ジャガイモを揚げてくれという具合に、ほっかほかのいもをフーフー言いながら食べて、白ワインの冷たいやつを飲む、それで「うめえなぁ」って、これでいいはずです。ワイン通になる一番の近道は、フランスに行き機会があれば、あちらでじゃんじゃん安いワインで構わないので飲むことだそうです。いろいろ言わずに何でもいいから飲み、いつも飲む癖をつけていると、そうすればだんだんわかってきます。なにしろ数を飲まなくては始まらないものだそうです。
フランスのコックさんが日本と違っている点は、お客さんを喜ばせようとするガッツです。お客さんの顔を覚えている、ボーイさんも名前も商売も奥さんの名前まで覚えていて、何が好きかまでも覚えています。だからちょっと間違ったものを作るとボーイさんが飛んできて、あの人はあれが嫌いですよと教えるように、ボーイさんとキッチンの連絡が密なのです。日本ではこれが全くゼロに近く、お客さんの状態に合せて料理を出すというプロに徹した人間が必要なのです。料理は作って食べて頂くもの、作りさえすればいいというものではありません。それは一体、いつ、誰に食べさせるのか、その誰は、どんな体の調子でその食卓に向かうのか、その人はどんな気分の時にどんな食べ物を欲しがるのかを、一番先に身につけなければいけません。極言すれば、料理に一つの決まった作り方などというものは無く、その家庭で、その時の経済状態によって、どんな材料を買うことができるのかというのがスタートなのであって、そこで初めてどんな料理にするかという選択を余儀なくされています。