「古文書の面白さ」 1984年11月20日 北小路健著

イメージ 1日本エッセイストクラブ賞受賞作だからと買ったたくさんの蔵書の中で、本の題名から古文書の難しい引用がたくさん出てくるのかと勝手に思って最後まで手をつけずに残っていた一冊です。しかし、整理のつもりで読み始めたら何と面白いこと!
著者は会津若松に大正2年(1913年)生まれましたが、小学1年(大正9年)に父のいる大連に家族ともども渡ります。それからはむしろ大陸が故郷となり、昭和6年には逆に東京高等師範学校に留学するような形となり、源氏物語を中心とする古典文学に精進してきました。戦争の影が忍び寄る中、また満州の新京(現在の長春)に戻って職に就きます。ところが満州で敗戦を迎え、侵入してきたソ連兵士により1万数千冊の全蔵書を焼き払われてしまいます。敗戦後の外地で這いずり回るように日々の糧を得て生き永らえます。「満州生まれで一良民として安心して暮らしてきた身が、敗戦という悲運にぶち当たり、関東軍からも国からも見離される羽目となってしまったのか。もしかしたら、日本の近代史はたいへんな誤謬と罪悪を内包しているのではあるまいか。真実だと教え込まれてきたものが、実はひどいまやかしだったのではないのだろうか。私なりにこのことを探究してみなければならない。新しい時代にもし生き続けるのなら、まずそれをしなければならぬ。」と考えました。新京から母を捜しにさらに危険な大連に向いますが、そこで一時拘留された時に、隣には有名な大谷光瑞氏が収監されており、大谷探検隊の貴重な話も聞くことができました。ソ連が進駐してきた敗戦後の満州で、どのように人々がしのいでいたのか、どのように日本に帰国できたのか、たいへん生々しくて本書のほぼ半分のページまであっという間に進みます。
引揚げ後も苦難は長く続きますが、いつしか著作活動に入ったときに、手始めに選んだ明治期の自由民権運動史の福島事件を研究し、そこから遊女や差別についての問題へ進んでいき、本書の後半は、かつて読んだ島崎藤村の「夜明け前」の研究に没頭します。他人の論説を鵜呑みにするのではなく、それらに導かれつつも、現地を調査し、現物を確かめ、文書の原典に目を凝らしながらの長い旅を続けます。街道が次第に整備され、施設が増し、交通そのものが社会全般に大きく機能していくのは、何といっても江戸時代に入ってからです。したがって、集める文献もその時代が主となるのです。そうして明治期のあの驚くべき活力が、実は江戸時代に既に用意されていたものであると強く意識するようになり、江戸時代の広範な諸相に目を向け始めたのです。思いもかけず手付かずの古文書が夥しく発見され、それらを丹念に読み重ねることの中から、創意創見はおのずと湧いたそうです。古文書が現に残っているという事実は、それを守り伝えてきてくれた人の心の温かさに支えられてのことです。文字を書くことも人間の営みですが、それを伝存して今に至らしめるということもまた人の営みです。故人は、そういう人々の温かさに包まれて墨痕の中に長く静かに埋まってこられたのです。それを掘り起こして正しく読み解くこともまた重要な人間の営みに違いありません。そのような古文書の面白さを語ることは、筆者自身の経てきた道と密接に関わらざるを得なかったと結んでいます。