「経済学で現代社会を読む」1995年2月20日

イメージ 1ロジャー・レロイ・ミラー、ダニエル・K・ベンジャミン、ダグラス・C・ノース著 赤羽隆夫訳 日経新聞


本書の原題をそのまま訳せば「公共的争点の経済学」で「応用経済学」の分野に属するが、経済学の入門編から応用実践論まで読者に一編に学ばせてくれる極めて経済効率の高い書です。エコノミストは、民主社会における市民がより良い政策選択を成し得るよう、様々な代替案の各々について、それらが社会のどれだけのコストを課し、その結果どれくらいの便益をもたらすかという点を明らかにしてくれます。

1,すべての便益はコスト無しには実現されません。実際にかかる経費だけでなく、それにより諦めなければならない機会費用を重視します。

2,すべての政策には受益する者がある一方で、被害を受けるものも存在します。だから万人に異論なく受け入れられる解決策というものは存在しません。
3,経済学はことの善悪を判断するものではありません。
4,可能な政策(代替案)のいずれかを選択するかは、結局、民衆主義社会の市民であるあなた自身の判断によります。その際に、それぞれの政策の経済的帰結(費用・便益)を冷静に比較秤量した上で、選択決定することが市民として賢明な態度です。


第1部 経済分析の基礎





 この世は希少性の世界で、私たちは現在持つ以上に所持したいと望んでいます。ただ、希少性が存在すると、すべてをいっぺんに増やすことはできないから選択が必要となります。何かを増やしたならば、他の何かをあきらめなければならない。良い成績を上げたいと望む学生は例えば映画を見に行く時間を削らなければならない。この場合、成績と娯楽との間にトレードオフの関係が成立しています。米国食品医薬品局(FDA)で決定されているトレードオフを例に見ると、新薬のテストを現在以上に徹底して行なうように命じたならば、新薬が安全かつ効果的である可能性は高まるが、新薬認可を遅らせることになり、その薬で治癒する可能性を何人かの患者から奪ってしまうかもしれません。生き延びるのは誰で、死ぬべきは誰であるか、これが私たちが直面する苛酷なトレードオフです。犯罪防止の手段を強化しようと思うなら、他の予算費目、たとえば学校教育費などを犠牲にしなければなりません。


2部 供給と需要 

 需要と供給はエコノミストの最も基礎的で一番有用な道具です。価格が低ければ低いほどその商品に対する買い手の需要は大きくなり、価格が高ければ高いほど生産者からの供給量は増大します。需要と供給の法則が統合されると、自発的な交換取引から生ずる莫大な交易の利益に光が当てられます。例えば、禁酒法時代に政府がアルコール飲料を非合法化した時、アメリカ人はビールからハードリカーへ乗り換え、泥酔するまで呑む時間が多くなりました。また、麻薬撲滅の努力が大都会で多発する銃撃騒ぎを引き起こしたり、麻薬常用者に過剰服用をもたらしています。

 農産物の余剰は通常、需要量と供給量が等しくなる均衡価格を上回る最低価格を連邦政府が設定することが原因となって発生しました。高価格は農民に消費量以上の生産を奨励し、その結果が農産物余剰で、今日納税者に年々約200億ドルと消費者に100億ドルのコストを強いています。


第3部 市場構造 

 現実には完全競争の条件は常に満たされているわけではなく、独占のような場合があります。独占は民間企業に焦点を当てて議論されることがほとんどだが、政府も舞台に登場し得ます。保険制度改革を装って、いくつかの大きい州の政府が自動車保険会社に保険料の引き下げを強要し、保険を継続できた運転者は保険料負担の軽減という便益を得ました。ところが、値下げは保険会社の利潤を減少させるので、一部の運転者に対しては保険契約を解除したり、新規契約を拒否したりする原因となりました。だから、州政府のこうした行動は保険会社と保険契約を拒否された運転者の双方に不利益をもたらす結果となったのです。


第4部 社会問題 

 社会問題は大き過ぎて私たちの理解能力を超えるものであるが、いくつかの顕著な事実が初歩的な経済分析と結合した時には、何が真の問題であり、またこの問題に関して何が可能で何が可能でないかということを白日の下に晒してくれるような奇跡を起こしてくれます。

 アメリカ国民は史上類を見ない速度で高齢化しており、公的年金および医療保険の費用をどう賄ったらよいかということと、増大する税負担を担うことのできる現役の勤労者が減少していくという問題が生じています。アメリカは、高齢者の生産能力を活用する新しい道を探求しなければならないし、時には高齢者に対してきっぱりと自活の道を選ぶよう求めなければならなくなります。そうでないと、今日の大学生たちは、遠からず能力を超える財政的負担に押し潰されることになりかねません。

 死刑の経済学では、私たちは殺人に対する犯罪者側からの需要が他の財の需要と変わらないということも見出します。殺人のコストを高くすると殺人の数は減ります。死刑は殺人のコストを高めるので、死刑執行は殺人数を減少させます。殺人犯を処刑することで将来犠牲者となる可能性のある数多くの人々の命が救われます。このことが、死刑が良い公共政策だということを意味するかどうかについて経済学に回答する能力はありませんが、私たちが為すべき選択は、どういった政策が実現可能な適度の改善を最小費用で達成できる手段を提供するかを決定することに帰着することになるのでしょう。


第5部 社会問題 

 売り手および買い手の独占は、競争の成果とは著しく異なる結果を生み出し、競争条件下の交換取引からの利得よりはるかに小さくなります。

 廃棄物処理の経済学では、ゴミも私たちが消費する物品と何も違っていないということを伝えます。人気のフットボールチームなら全国の至る所の都市から誘致を歓迎されるが、ゴミはそうではありません。なぜゴミは処分される以上の速度で集積してしまうのか。ゴミ問題とは、実はゴミに適切な価格付けが行なわれていないという問題なのです。つまり、ゴミを生産する消費者や企業にはゴミ回収に十分な費用が請求されていないし、ゴミが投棄されるゴミ埋め立て場にも十分な対価が支払われていないという問題なのです。正当な対価が支払われる限りゴミ処理業者は必ず現れます。大気汚染は所有権が議論の焦点となります。空気は皆の所有物だと考えがちですが、実践的帰結は誰の所有物でもないとの前提で人々が行動することになり空気を過剰利用して大気汚染を招きます。空気の「バブル」に対する所有権を定義し、かつ権利行使を認めることは可能であり、バブルの所有者は第三者にその所有権を売却することを含めて適切に利用できる仕組みが出来上がれば、汚染されていない空気の利用者たちはできるだけ効率的に利用しようという誘引を持つことになります。


第6部 政治経済学 

 政府の政策に要するコストは常に見積もりより高くなり、便益は常に見積もりより低くなります。連邦の「燃料効率」規則を順守するため何百万ドルもかけて自動車の設計換えをするというのだから、連邦規制の効果は時にはかなり高くつくといえ、連邦燃料効率基準はメーカーに車の小型化を強いることになったため、自動車が衝突事故に弱くなってしまい、毎年3000人ものアメリカ人が交通事故死していると推計されるのです。


第7部 国際経済 

 国際分業の経済学で見るように、経済統合の進展は大きな利得獲得の期待とともに、重大な損失を被るリスクにも道を開くものです。欧州、北米、およびアジアにおける経済的統合が進み貿易障壁が次第に削減されていくにつれて、各国は自国の最も得意とする分野で最善を尽くすことから利益を引出し、その結果すべての関係国の市民たちの所得と消費は増大していきます。しかし、これらの経済的巨人たちが域外諸国に対して威圧的な貿易障壁を構築したりなどしてお互い同士背を向けあうようなことにでもなれば、彼らが目指す国際競争からの「保護」なるものも、実は彼らの国民全体の経済的福祉に対する重大な侵害にしかならないのは確かでしょう。保護主義が優勢になった時に被る可能性のある巨大な損害は、保護主義の“不”の経済学で例証しています。米国の雇用を外国との競争から「救済する」努力の一環として、関税や数量割り当てが発動された結果はどうなるでしょうか。長期的には、外国との競争から米国の労働者を効果的に保護することはほとんど不可能であることと、そうしようとする努力がかえってアメリカ人全体の生活水準を引き下げるばかりでなく、他のアメリカ人の雇用をも犠牲にしてしまう結果となります。ここから得られる教訓は、競争は国内におけると同様、国際的な分野においても利益があるということです。単一の世界~経済統合の経済学では、将来の見通しを述べています。交易圏の単位が大きいほど、貿易から得られる交易圏の内部利益は大きくなります。世界規模の通信や金融取引、それに資本移動が容易になる中で、以前は大国にのみ留保されていた貿易からの利得を、今では国の大小を問わず、すべての国が享受できる日が近づいているのです。国境が競争に対して閉ざされることがない限り、すべての国々は商業と貿易の成長する世界に参加するのです。その世界とは、相互に利益のある交換取引によって単一の、協力し合う統一体へと一体化され、急速に一つになろうとしている世界のことです。