「新説・明治維新」

「新説・明治維新 201641 西鋭夫著
私たち日本人は、何かを追求する時にすぐ妥協して、「これでいいだろう」「まあ、いいや」と考える癖がついてしまっているのではないか、それで誰も責任を取らないと警鐘を鳴らしています。
 イギリスでは、1750年ごろから第一世界大戦の始まる1900年ごろまで大英帝国の「黄金時代」を迎えていました。地球の4分の1はイギリスの植民地で、そこに世界の全人口の3分の1が住んでいました。まさしく「太陽の沈まない国」ということです。そのイギリスは中国のお茶と硬い陶磁器が大好きでどんどん輸入しましたが、その代金としてインドで製造したアヘンを売り、中国をアヘン中毒にしてしまったのです。イギリスの綿織物をインドへ、インドのアヘンを中国に、そして中国のお茶や陶器をイギリスにと、東インド会社を使って三角貿易したのです。当時の世界の7つの海を牛耳っていた英国艦隊の年間予算の半分は、インドアヘンで賄われていました。そのアヘンの弊害に抗して勃発したのが1938年からの第一次アヘン戦争で、2年もかかって中国で抵抗する人々を殺しまくり、結果、南京条約という不平等条約を結んで香港と莫大な補償金(平成の金額で34兆円、フランスにも7兆円)を支払わせました。その後の第二次アヘン戦争が終わったのは1860年で、1894年に日清戦争の頃には中国国民はアヘンに毒されて戦う気力がない状態だったのです。
 明治維新でヒーローとして知られている坂本龍馬ですが、あれほど全国を自由に行き来したのに、その費用はいったい誰が出したのでしょうか?維新の志士たちが武器を仕入れていたのは長崎のグラバーで、中国の広東で第1アヘン戦争の影の仕掛け人として会社を立ち上げたジャーディン・マセソン商会の長崎支店長でした。そのグラバー邸の2階に大きな隠し部屋があることが1987年に見つかり、幕末の脱藩浪士がそこに集まっていたのかもしれません。英国は中国(アヘン戦争)でもインド(セポイの乱)でも戦争をして、たくさんの英国将兵を失っています。次に日本ということになった時、自国の人間を犠牲にするよりも、その国の中どおしで戦わせる方が賢明なやり方だと考えたのかもしれません。幕府と薩長土を将棋の駒のように操り、内乱を扇動して両者を消耗させた後、薩長土を勝たせて「日本を取る」と話がついていたのではないでしょうか。そうして勝海舟と西郷の会談によると言われる江戸無血開城で政権が移譲されます。新政府として使いたい江戸を焼いて欲しくないのは、イギリスも同じなのです。官軍の勝利によって英国は、皇居を見下ろせる一等地に大使館を建て、新政府と交易と金融を手に入れて、すべての指南役となりました。
 このような「維新」を「正義・善」と崇め、「鎖国」を「悪・劣」と見下し、徳川幕府を無能者だと決めつけられていますが、維新77年後の太平洋戦争敗戦まで戦争に明け暮れる道を突き進みます。「脱亜入欧」「文明開化」「富国強兵」の鑑とした大英帝国は、模範とすべき国だったのでしょうか。徳川幕府250年もの長い間平和を維持したのは偉業ではないでしょうか。今の日本でも「国際化」「グローバル化」が叫ばれています。しかし、日本国民の洗練された美学や道徳を破棄させて「世界標準に合せましょう」と洗脳されているようです。日本の黄金時代は、貴族が全盛で和風文化が花開いた平安時代でもなく、金持ちの商人たちが道楽三昧を尽くした元禄時代でもありません。日本人が数千年かけて創り上げた精神文化の遺伝子、すなわち「国民性」というべき品性と道徳が融合した美学、それは世界に二つとない我々の品性です。阪神淡路大震災東日本大震災福島原発放射線被害、悲惨な状況にもかかわらず、暴動も打ち壊しも起こらず、日本人は誇りと秩序を大切にし、他人を思いやり、全力でお互いを助け合う。世界は日本人に脈打つ美学と道徳心を目の当たりに見、この品性に圧倒されました。150年前に欧米列強が殺そうとした武士道は生きているのです。悲劇の繰り返しにもめげず、日本国民は愚直なまでに美学と道徳を大切にします。その日本人を世界中が認めます。日本の黄金時代は目の前だと筆者は言っています。