「アシェンデン」1994年12月5日モーム著河野一郎訳

 イメージ 1第一次大戦時にモーム自身が英国の秘密諜報員としてスイスに派遣され、ジュネーブを根城に各国スパイに立ち混じって活躍した時の経験が骨子となった小説です。モーム自身も、どこまでが実際の体験で、どこからが作り話かすでにわからなくなっていると述懐してます。かつて大戦中、ナチスゲッペルスは、英国人がいかに狡猾で陰謀にたけているかは、この「アシェンデン」に如実に示されていると言ったそうで、英国情報部もスパイ訓練にあたってまずこの本を読むように命じたこともあるそうです。 
ミサイルも人工衛星も飛び交わさず、007のような秘密兵器も盗聴器も登場しないこのスパイ物語はいかにも悠長な印象ですが、革命の起こっている非常時のロシアでビジネスにこだわって身の危険にも鈍感なアメリカ人、秘密の鍵を握ったまま息を引き取った老婆、豪快であらゆることに頼りがいあるメキシコの将軍が犯した凡ミス、売国奴のスパイの始末など、近頃のテレビのようにドラマチックではないけれど、何かひとひねりがあって意外な結末です。そして、モームの鋭い人間観察が十分に味わえて時代の古さを感じさせません。印象的な文は、長い道中にどのような困難があるかもしれないシベリア鉄道に乗る前に、「物事は案じているほど悪くはならないものだ、というのがアシェンデンの持論だった」です。