妻からの課題図書②「嫌われる勇気」自己啓発の源流・アドラーの教え

この2冊を読めということは、今の私がこの2冊に書いてあるようなことができていないということです。

「嫌われる勇気」自己啓発の源流・アドラーの教え
20131212 岸見一郎・古賀史健著
・問題は過去ではなく、現在の「ここ」にある。この先どうするのかは自分の責任で、今まで通りのライフスタイルを選び続けることも、新しいライフスタイルを選び直すことも、すべて自分の一存にかかっている。
・自分が変われないでいるのは、自分に対して「変わらない」という決心を下しているからだ。いろいろ不満はあっても、未知の新しいライフスタイルを選んでもっと不幸になるリスクを取るより、このままでいることの方が楽で安心なのだ。つまり「幸せになる勇気」が足りていないのだ。
・では、どうすればライフスタイルを変えられるのか?最初にやるべきことは、「今のライフスタイルを止める」と決心することだ。
・失敗を恐れて「やれない理由」を言い続けるより、とにかくやってみて失敗しても、その分前に進める。
すべての悩みは対人関係
・対人関係の中で傷つかないことなどない。踏み出せば大なり小なり傷つくし、自分が他の誰かを傷つけているかもしれない。その悩みを消すには、一人で閉じ籠り、誰とも接しないように生きるしかない。
・権威の力を借りて自らを大きく見せている人、自分の手柄を自慢したがる人は、結局は他者の価値観、他者の人生を生きている。もし自慢する人がいれば、むしろ自分に自信がなく劣等感を感じている。
・自らの不幸を「特別」であるための武器として使っている限り、その人は永遠に不幸を必要とすることになる。
・誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいい。健全な劣等感は、他者との比較ではなく、「理想の自分」との比較から生まれる。
・他者の幸福を「わたしの負け」であるかのようにとらえているから、祝福できないのだ。しかし、ひとたび競争の図式から解放されれば、誰かに勝つ必要が無くなり、「負けるかもしれない」という恐怖からも解放される。「人々はわたしたちの仲間なのだ」と実感できていれば、世界の見方はまったく違ったものとなる。
アドラー心理学の人間の行動面と心理面の目標
<行動面>①自立すること
           ②社会と調和して暮らせること
<心理面>①わたしには能力があるという意識
           ②人々はわたしの仲間であるという意識
あなたが変われば周囲も変わる、変わらざるを得ない。
 
・我々は「他者の期待を満たすため」に生きているのではない。同様に、他者もあなたの期待を満たすために生きているのではないから、相手が自分の思う通りに動いてくれなくても怒ってはいけない。
・「他者の課題」には踏み込まない。助言することはあっても、頼まれもしないのに口出ししてはならない。その課題の責任を最終的に負う人の課題である。自分を変えることができるのは、自分しかいない。
・「自分の信じる最善の道を選ぶこと」その選択について他者がどのような評価を下すのか、これは他者の課題であって、自分にはどうしようもない。
対人関係のゴールは共同体感覚
・他者を仲間だと見なし、そこに自分の居場所があると感じられること。
・「自己への執着」うを「他者への関心」に切替えていくこと。他者によく思われたいからこそ他者の視線を気にしている。これは他者への関心ではなく、自己への執着である。「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方こそ、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルである。自分が世界の中心にあり、他者は「自分のために何かやってくれる人」でしかないのだ。「この人は私に何を与えてくれるか」ではなく、「私はこの人に何を与えられるか」を考えなければならない。それが共同体へのコミットである。
・他人に介入しようとするのは、自分は正しくて、相手は間違っていると思い込んでいるからだ。「勉強しなさい」と命令する親などはまさに典型で、本人としては善意の働きかけのつもりかもしれないが、結局は土足で踏み込んで、自分の意図する方向へ操作しようとしているのだ。目の前に苦しんでいる人を放っておけと言うのではない。介入にならない「援助」をする必要があるのだ。「勉強しろ」「あの大学へ行け」と指示するのではなく、勉強は子供の課題であることを理解した上で、できることを考ええる。本人に「自分は勉強ができるのだ」と自信を持ち、自らの力で課題に立ち向かっていけるよう働きかけ、勇気づける(=援助)。あくまで行動を強制はしない。「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない」課題に立ち向かうのは本人だし、その決心をするのも本人である。
・一番大切なのは「他者を評価しない」ということ。
・人は、ありがとうと言われて、「自分が共同体にとって有益だ」と思えた時にこそ、自らの価値を実感できる。
・誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないにしても、あなたには関係ない。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく、あなたが始めるべきである。
いま、ここを、真剣に生きる
・自己受容し、「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極め、「変えられるもの」に注目するしかない。そして、「変えられるもの」を「変えていく」勇気を持ち、実行する。
・誰かを無条件に信頼しても裏切られるだけだと言ってみたところで、「裏切る」「裏切らない」を決めるのは他者の課題であり、あなたはただ、「わたしがどうするか」だけを考えればいい。
仕事の本質は他者への貢献
・他者貢献とは、わたしを捨てて(自己犠牲して)誰かに尽くすことではなく、「わたしの価値」を実感するためにこそなされるもの。食後に妻が一人で食器の片付けをしている時、夫や子供が手伝ってくれなかった場合を考える。「なぜ手伝ってくれないのか」「なぜわたし一人だけ働かなくてはならないのか」と考えるのではなく、たとえ「ありがとう」の言葉が聞けなかったとしても、食器を片づけながら「私は家族の役に立てている」と考えて欲しい。他者が何かをしてくれるのではなく、わたしが他者に何をできるのかを考えて実践して欲しい。イライラしながら皿を洗っていても家族は近寄りがたい。それよりも、楽しそうに鼻歌でも歌いながら洗っていたら子供たちも手伝ってくれるかもしれない。少なくとも手伝いやすい雰囲気は出来上がる。
・ありのままの自分を受け入れる(自己受容する)からこそ、裏切りを怖れることもなく「他者信頼」することができる。そして、他者に無条件の信頼を寄せて自分の仲間と思えているからこそ、「他者貢献」することができる。さらには、他者に貢献するからこそ、「わたしは誰かの役に立っている」と実感し、ありのままの自分を受け入れる(自己受容する)ことができる。
アドラー心理学を本当に理解して、生き方まで変わるようになるためには、それまで生きてきた人生の半分が必要だと言われている。私が今年56歳になるので、56+(56÷228)=84歳(遅すぎか!)
・目的地がなくとも、「いま、ここ」を実践していれば、それでいい。登山も、山頂に登るのだけが目的であれば、ヘリコプターで行けば5分で到達できるかもしれない。しかし、それで山登りが楽しいのだろうか?充実感は得られようか?「いま、ここ」にスポットライトを当てるというのは、今できることを真剣かつていねいにやっていくことである。例えば大学へ行きたいと思っていても、勉強しようとしないのは、「いま、ここ」を真剣に生きていない態度である。受験がまだずっと先であっても、面倒でも、何をどれくらいしていいのかわからなくても、毎日少しずつでも数式を解いたり、単語を覚える。そこには必ず今日できたことがあるはずで、今日という一日はそのためにあったのだ。目標を達成したとか、大きな目標があったとかには関係なく、「いま、ここ」を真剣に生きてきたかが大切である。どこに到達したかではなく、どう生きたのかが大切で、決めるのは昨日でも明日でもなく、「いま、ここ」である。
アドラーは、「一般的な人生の意味はない」と言う。「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」困難に見舞われた時、「これから何ができるか」考えるべきだと言う。どのような刹那を送っていようが、どんなに嫌う人がいようが、「他者に貢献する」ことを念頭に行動すれば、迷うこともないし、何をしてもいい。常に仲間とともにある。
・世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わり得ない。「わたしの力は計り知れないほど大きい」
アドラーの思想は人の人生を一変させてしまうだけの力を持っている。あとは一歩を踏み出す勇気を持ち得るかどうか、それだけだ。