「がんと向き合って」 2007年4月30日 上野創著

イメージ 1 26歳の朝日新聞記者が、199711月に突然に睾丸腫瘍(癌)だとわかってからの手術と長い抗がん治療の記録です。ちょうど山一證券が廃業して世間が騒然としていた頃です。初夏から患部の異常に気がついていましたが、痛みなどがなく放置していました。11月に会社の定期健診があって、それをきっかけに近所の泌尿器科に診てもらうとすぐに大学病院を紹介され、明日入院、明後日手術と宣告されます。切除手術は容易でも、肺に転移があって悪性だとわかりました。このがんは抗がん剤90%の人に有効ですが、少しでも細胞が残ると数年以内に再発するので、長期にわたり入退院を繰り返すそうです。抗がん剤は、がん細胞だけでなく、全身の正常な細胞も攻撃してしまうので、吐き気、脱毛など副作用が起き、肝臓や腎臓への影響が大きく命に関わります。だから薬の使用量の加減が大切なのです。
 12月に抗がん剤治療を始めますが、初日はまったく変化が無いものの、翌朝から吐き気が始まり、ひどい二日酔がずっと続いて絶えず吐くのを我慢している状態になります。さらに、抗がん剤を入れる五日間は、腎臓に薬が滞留しないように四六時中水分を点滴で流し入れて利尿を促すので、病室からトイレに体を引きずるようにして足しげく通うようになりました。白血球も減るので、元気な人には何でもない病原菌が、抵抗力の落ちた患者に命取りになることもあり、ベッドサイドには空気清浄機を置き、四六時中マスクをして感染予防策を取らなくてはなりません。そのような1回目の抗がん剤投与でしたが、転移した腫瘍に大きな変化は見られませんでした。年末に2回目の投与がされて、再び発熱や嘔吐の苦しい日々が続き、食事の時間が最大の苦痛になるそうです。薬の効果があり、年明けに腫瘍が小さくなっていることがわかりましたが、腫瘍はまだ幾つも残っていて、治療の先は長いと医師に言われます。1月に三回目の投与が行なわれますが、抗がん剤が繰り返し使って効きにくくなるので、通常の三倍量投与してがんを一気にたたく療法となり、さらに苦痛は大きくなります。白血球が増えてくるまでの三週間は無菌室で過ごさねばならなく、20人に1人は肺炎で亡くなるそうです。五日間点滴で薬を入れ、八日目で吐き気が収まり、十日目ごろから白血球が下がり、十八日目あたりでようやく外泊できるという、三週間で一単位の治療です。長野五輪の余韻が残る二月末に結果が出て、腫瘍が三つまで減り、腫瘍マーカー12月前半に300まで上っていたのが、2回目の投与の年末には35まで急落、1月初旬には3.3だったものが0.6(正常値0.1以下)まで激減しました。それでも三つの残った腫瘍が問題で、良性のものならいいが、薬が効かずに残っているがん細胞かもしれません。三月前半は、また苦しい超大量投与が続くかもしれない不安で五回目の治療を受けました。投与から十一日が過ぎたときは、突然「もうたくさんだ」という声が心の中から沸き起こります。白い病室での寝起き、医者への体調説明、蒸しタオルでの体の清拭、検査の結果を気にしたり、点滴、採血、検温、うがい、歯磨き、病院食・・・、もうたくさんだ、止めてしまおう、そんな投げやりな感情があふれ、圧倒的な虚無感が全身を貫きました。いくら努力しても我慢してもゴールがまるで見えない、むしろ悪い結果になることさえもある、それでは気持ちが持ちません。竜巻のような激情は三日間も続き、妻の前ではぽろぽろ涙をこぼし、看護師さんには乱れる心のうちを吐き出し、周囲にSOSを発しました。ただ、そうすることによっていつしか気分も落ち着いて元に戻ったそうです。
 三倍量の抗がん剤の副作用は酷く、腹がぎゅうっとねじ切られるように痛み、便座に座ると水のような便が出て直腸の内壁や肛門がただれて痛みます。便意があるようなないような状態で一日中過ごし、極度の貧血で立ち上がったとたん倒れることもありました。光は刺激が強すぎて、ずっとブラインドを下して暗くし、薄暗い部屋で横向きになって目を閉じ「早く時間が過ぎ去ってくれないか」と何度も何度も時計を見ます。そのような苦しい抗がん剤投与の結果、腫瘍マーカーは正常になりました。しかしCT画像で影が二つ残っており、病理検査の結果次第ではまた治療を続けなければなりません。幸いにも影は抗がん剤で死滅した細胞の残骸で、悪い細胞は残っていなかったことがわかり、7ヶ月間六回に及ぶ抗がん剤治療を経て6月に退院できました。
 しかしこれで終わりではなく、体内から完全にがん細胞が完全に消え去っていないと完治とは言えず、5年以上の経過観察が必要です。月1回の血液検査と、3ヶ月に一度のCT検査を欠かさず受けましたが、人によっては再発の恐怖で鬱になる人もいるそうです。 
退院から十一ヶ月過ぎた翌年の5月、左肺に1cmに満たない白い影が映っていました。再発ですが、早期発見で内視鏡で取れる場所であったのは幸いでしたが、また抗がん剤治療を2クールほどやらなければなりません。あれだけ強い治療でもがん細胞がしぶとく生き残っているという現実ははてしなく重いものです。副作用で白血球が下がり、また無菌室に入りますが、三日目に喉が痛み出して翌日40度まで熱が上り、またもや感染症にかかります。1週間近くもそんな状態に耐えて、ようやく退院できました。それでも さらに1年後、二度目の再発が起こり、薬が効いていない細胞があることを示唆しているので深刻です。内視鏡手術と、通算9回目と10回目の予防的抗がん剤治療を行ない、前回同様、体の不調に引きずられるように気分が落ち込んで、自死さえ頭をよぎります。そんな時に救われたのは、同じ病気で入院している同世代の患者です。同じ境遇の彼らと話したり交流することで勇気付けられたそうです。そのような苦難を経て、三度目の再発は起こりませんでした。二度再発があったのに次がないというのは珍しい幸運だったそうです。著者は、がんになって、花や木々の色、風の匂い、雨の音に心を振り向けられるようになったと言います。鈍感な強者の自分にも気がつき、ベッドの横で付き添っている妻や母親のたわいもない日常的な出来事の会話にさえ喜びを感じ、幸せのハードルが低く感じるのはがんのおかげだなぁと思ったりするそうです。