「貧困大陸アメリカ」 2008年1月22日 堤未果著

イメージ 1  10年前のレポですが、アメリカの現状は我々が想像するようなアメリカンドリームでは決してないことを思い知らされます。国境や人種などを超えて世界を二極化している格差構造と、それを糧としていつの間にか国家を超えて一方的に呑み込まれていきかねない恐ろしい暴走型市場原理システム。サブプライムローンも一種の貧困ビジネスで、そこでは「弱者」が食い物にされ、人間らしく生きるための生存権を奪われ、使い捨てにされています。「教育」「いのち」「暮らし」という、国民に責任を負うべき政府の主要業務が「民営化」されて市場の論理で回されるようになった時、私たちにこの流れに抵抗する術があるのでしょうか。日本にとっても決して他人事ではありません。
アメリカの貧困児童に肥満児が多いのは、家が貧しいと毎日の食事が安くて調理の簡単なジャンクフードやファーストフード、揚げ物中心になるからです。それを補う期待のかかる学校給食も、予算の削減でジャンクフードのオンパレードです。2005年に無料給食プログラムに全米で3000万人超が登録され、この巨大市場に大手ファーストフードチェーンがどんどん参入し、貧しい国民ほど安価なジャンクフードにますます依存していく傾向に拍車がかかっています。   
20058月のハリケーンカトリーナ災害も人災だと言います。FEMA連邦緊急事態管理庁)は2001年に実質的に民営化されており、安全よりも効率重視で管轄範囲を縮小、災害被害を最小限に抑える事前措置事業も事実上廃止されていました。しかし、気象学者の予想通りハリケーンは上陸し、ニューオーリンズの町の80%は水の底に沈んだのです。被害対応も遅れるどころか、再建に貧困層を次々と追い出すような政策が取られ、「やっとニューオーリンズの貧困者向け住宅が片付いてくれた(意図する開発ができる)」ととんでもないことを口にする下院議員も出ました。
トランプ大統領の移民制限も周知の如くですが、そもそもメキシコからの移民が急増したのは1994年のNAFTA北米自由貿易協定)で関税が取り払われて、膨大な補助金に支えられたアメリカ産トウモロコシが大量にメキシコに輸出され、メキシコの貧農たちが職を失ってアメリカに流れ込んだためです。
 公的医療も80年代以降徐々に縮小され、政府は自己責任という言葉の下に国民の自己負担率を拡大していき、世界一高い医療費で中間層は破産します。盲腸手術入院費用で比べれば、ニューヨークは1日の入院で243万円、ロンドンは114万円に対し、日本では34日入院しても30万円を超えることはまずなく、高額医療費制度によって最高自己負担額は8万円強に抑えられます。出産でも、入院すると14000ドルから8000ドルかかるので日帰り出産する人が多く、日本のような出産一時金のような制度はありません。医療保険でも支払いが認められない事態も頻発し、効率や利益を求める競争原理をいのちの現場に持ち込むやり方は、何か間違っているのではないでしょうか。高齢者のための公的医療保険「メディケア」は、社会保障税を10年以上払うと65歳で受給資格のできる制度ですが、毎年100ドルを支払うと医療費の自己負担は20%でよく、60日までの入院も一律800ドルを支払えばいい制度です。しかし、州や病気の種類によって自己負担額は変わり、病院側の対応によってもサポートの額は変わってきます。心臓病や糖尿病などの慢性的に薬を必要とする人には負担が大きいそうです。病院は株式会社化され、保険会社と同じように利益を上げて投資家に還元することが最大優先となり、弱者を切り捨てていく市場原理システムになっています。
 このような貧困層、特に移民たちに、2002年の移民法は軍への入隊と引き換えに市民権取得手続きを始められるようにし、さらに2007年にはビザを持っていない不法移民にも拡大して、教育や医療を受けられるようにしました。兵士不足に悩む軍にとって75万人(適齢者28万人)いる不法移民はまさに宝の山なのです。1973年に徴兵制を廃止したアメリカで、経済的な徴兵制が目に見えない形で貧しい若者たちを呑み込んでいるのです。また、学費ローンに悩む学生の借金の肩代わりに州兵登録を勧める例もありますが、月に一度基地で訓練を受ければいいと言われたにもかかわらず、イラクへ派兵されて18ヵ月拘束されてしまいました。仮に志願して入隊したとしても、新兵の年俸は15千ドル強で、生命保険や軍服代、学費の前金など諸費用が天引きされるとほとんど残りません。2007年現在で350万人のホームレスのうち50万人は帰還兵だそうです。このような帰還兵の大半が、社会保障費を削減し大企業を優先するという新自由主義政策の犠牲になった若者たちの成れの果てなのです。
 グローバル市場において最も効率よく利益を生み出すものの一つに弱者を食い物にする「貧困ビジネス」がありますが、その国家レベルのものが「戦争」です。アメリカは、国の付属機関を次々に民営化していきましたが、戦争そのものも民営化しようとしているように思えます。イラク戦争では周辺業務が企業に委託され、その一つハリバートン社傘下には2005年で48千人がイラクに派遣し、戦争関連事業の売上が7500億円を超えました。派遣者の35%が第三国からの出稼ぎ労働者で、残り65%がアメリカ人です。それは貧困層の若者だけでなく、高すぎる医療保険や失業手当のカット、奨学金枠縮小のあおりをもろに受けた借金まみれの卒業生たちが、巧妙なやり方で戦争に引きずり込まれていったのです。個人情報を握る国と、民営化された戦争ビジネスに着手する企業との間で、人間は情報として売り買いされ、安い労働力として消費される商品となります。派遣された人は戦死しても名前が出ず、戦死者としての数字にすらカウントされません。この顔のない人間たちの仕入先は、社会保障削減政策により拡大した貧困層、二極化した社会の下層部です。当時のイラクは戦争請負業界で「ゴールドラッシュ」と呼ばれていたそうです。
 このような戦争をさせているのは政府だとか国家単位の対立軸ではなく、その遠因は、実は今まで何の疑問も持たずに続けてきた消費市場ライフスタイルなのです。医療従事者が圧迫され患者とともに犠牲になっている最大の原因が、製薬・保険会社の支配する市場原理システムであり、次々に弱者が切り捨てられる医療制度にブレーキをかけるために医学生たちを教育しなければなりません。このようなアメリカの現状が警告するのは、「役所がひどいから民営化」という安易な考え方です。アメリカンドリームから連想する自由や競争が機会の平等を意味していると錯覚し、決して手をつけてはいけない医療や暮らし、未来にかかる教育を市場に引きずり込まれていくことを止められなかったのです。9.11の「テロとの戦い」の下で、一気に進められたのは新自由主義政策で、瞬く間に個人情報は政府に握られ、いのちや安全、国民の暮らしに関わる国の中枢機能が民営化され、弱者を守るはずの社会保障は削減されていったのです。