「銃を持つ民主主義」

イメージ 1近代民主主義の発祥地であるアメリカは、銃による殺人事件が後を絶ちません。その「銃を持つ民主主義」背景を、アメリカという国ができた経緯にまで遡ります。アメリカの民主主義が約4世紀も前のイギリスの過激分子であったピューリタン革命に起源を持っているといいます。1688年の名誉革命の後にできあがった権利章典7章は、国王に対して当時は「自由人」として呼ばれた一般市民が、自衛のための武器を持つ権利を文書で認めさせたものです。常備軍を持つ国王の専制化に歯止めをかけるため民兵組織を制度化して、イギリス立憲君主制の発足をサポートした規定だそうです。この当時として極めて過激な規定は、そのまま大西洋を渡ってアメリカ植民地での民兵制度の基礎となり、その民主主義に「武力行使というDNA」を埋め込んだのです。アメリカ独立はこの民兵部隊によるイギリス国王派遣の常備軍に対する勝利の結果でした。これが、市民の権利として銃の保持を認める合衆国憲法修正第二条となり、アメリカ民主主義のインフラに定着したのです。その後、この「銃を持つ民主主義」は、先住民インディアンの排除や黒人奴隷の差別という影を引きずりながら、「明白な天命」を信じて西へ西へと拡大を続けます。やがて州兵と名前を変えた民兵部隊は、南北戦争を経てアメリカ合衆国軍という強力常備軍の一部となり、第一次、第二次世界大戦、東西冷戦と勝利を重ね、朝鮮戦争での引き分け、ベトナム戦争での敗戦を経験てきました。
アメリカの転機となったのはベトナム戦争で、1968年の大統領にニクソンが当選してアメリカ政治が保守化の傾向を深める分水嶺となりました。ニクソンは、アメリカを「世界の警察官」から国益を追う「一競争者」へと変身させ、中ソ対立を逆手に取った中国との和解という大勝負で世界を変えました。これがその後の東西冷戦終結のタネともなります。敗戦というベトナム戦争症候群にさいなまれたアメリカを、レーガン大統領が登場して自信を回復させます。その東西冷戦一人勝ち後に、ネオコンと呼ばれる政策グループが「自由の帝国」としての責任を叫んでブッシュ大統領イラク戦争に踏み切らせましたが、サダムフセイン政権の追放という「レジーム・チェンジ」には成功したものの、その後の「ネーション・ビルディング」には躓いて、「対ゲリラ戦争」に直面して多くの教訓を示唆しています。
アメリカは空間的に広大なばかりでなく、産業構造の変化が激しく、国民の出身民族構成の変容も大きく、それが政治にも反映されやすいのです。つまり、いまだに「実験国家」という性格が強く見られ、将来の見通しを既存の知識で判断するには十分ではなく、絶えず動静を注視して見極めていかねばなりません。
最後に、著者は日本との関係において、ドイツのドレスデンで行なわれている戦争当事者双方による和解の儀式が、ドイツ同様に東京大空襲や広島長崎の原爆投下という無差別殺人に見舞われた日本でも、日米両国の相互理解を確立するために行なわれて欲しい希求しています。同盟を組むアメリカという国のためにも「ドレスデンの和解」を日本でもやらねばならない、その上での自衛隊国債派遣でなくてはならないと言います。日本中を焦土にする爆撃作戦を実行したルメイ将軍に、日本の自衛隊育成に貢献したと勲一等旭日大綬章授与したことをはじめ、いまだに続く敗戦を終戦、占領軍を進駐軍と言い換える現実直視の回避、硫黄島での1万人以上の戦死者遺骨の未回収、などの日本側でのあの戦争への「けじめ」の欠如は事欠かないのです。アメリカ大統領による広島献花は、その空白を補って余りあり、「アメリカという国」ときちんと向き合うためにも、この大本の「けじめ」をきちんと実現しないといけないのです。しかし、その前に近隣諸国との「歴史問題」をアメリカ頼みではなく、自力で解決しておかねばなりません。