「ミラノの太陽シチリアの月」内田洋子

イメージ 1ジーノの家」に感嘆し、続いて読んだ二冊目ですが、やはりこの人の文章はすごい。何気なく書きはじめからどんどん取り込まれていき、登場人物や風景がみずみずしく生き生きと読み手の中に膨らんできて、あっという展開で物語が終わります。
 解説の田丸久美子氏によると、彼女の文章に圧倒されてため息が出るほどと形容しています。そっけないくらい短いにもかかわらず、興味をそそられて内田ワールドにぐいぐい引き込まれていく書き出しの巧みさに唸ります。そして日常の風景や部屋のしつらえなどがさりげない言葉で見事に描写され、それが緻密な描写が取り立てて言及するべくもない薪や土にまで及ぶのだから舌を巻きます。たとえば「燃えて二つに折れた薪がコトンと音を立てる。湿気が少し残る木片からは薄く煙が上り、燻すような香りが部屋にゆっくり広がる」・・・こんな感じです。そして、始まりの部分とリズミカルの呼応する最後の文には、一筋の希望と深い余韻が漂うのです。なのに自分の感情は好悪すら吐露しないし、犬以外は自分の家族も登場させず、客観性を徹底して守っています。彼女が作品を自分で封印するのは、ジャーナリストという職業ゆえでしょうか。自分から人間に問い出すことをしない控えめな彼女が、生き馬の目を抜くミラノの業界でいかに働き、いかに登場人物の内面に深く肉薄することができるのでしょう?彼女の回答は、「聞こうとするとだめで、例えば街で腰の曲がった老人に一緒に横断歩道を渡ってくれと頼まれて、牛歩で歩く相手と腕を組んでゆっくりエスコートする。その間黙っていると、貝のように口の堅い老人のほうから話し出すそうです。自分の年齢から始まり、息子のこと、その結婚、破綻まで・・・。」ここで出てくる話は、バールで知り合った大学教授から自宅を半分にするから買わないと誘われたり、シチリア青年の結婚式に参加して遭遇した光景、朴訥な駅員の生涯、冬の海辺のホテルで出会ったロシア皇女、遠いところから訪ねてくる人をもてなす祝宴を田舎のレストランで行なうことなど。筆者は家族同然によろず相談に応え、丁寧に人間関係を築いていきます。ミラノの太陽のように人を温め、簡単に上着を脱がせる魔力を駆使するように。これらの話は、筆者がかけた厖大な時間と手間の結晶なのです。そして、ノンフィクションのはずなのに、朴訥な駅員の遭った不幸な事件と、それに対する会社の温情ある措置には思わず浅田次郎の小説のようにじわっと泣かされるのです。