「病院で死ぬということ」

イメージ 1平成2年に、文集文庫より出された本です。当時は終末期医療についてのことがあまりよく周知されておらず、どうしても無駄な延命治療などが行われてしまうような状況にあったことを、医療現場からの視点でとらえたものです。山崎医師は、終末期を人間らしく過ごすために医師としてできるのはホスピスだと考え、この後、その実現のための施設へ転進します。
 医療の立場からの常識は以下のようなものです。
・病院は治療をするところであり、治療をあきらめた人が過ごす場所ではない。
・医師や看護師は急病患者の対応で超多忙であり、ゆっくり療養するところではない。
・医師は人命救助が原則なので、蘇生処置は義務だと考えている。しかし、無用の蘇生処置は本人を苦しめてしまう。意思表示できなくとも本人の耳は聞こえている。わずか20分の心臓マッサージで口から血はにじみ出るし、静かな顔が異様な形相に変わり果ててしまう。若い医師の蘇生措置の練習台になることもある。末期がん患者にそのような蘇生措置が必要だろうか?
・高カロリー輸液はがん細胞をも元気にしてしまう。放射線治療は正常細胞を火傷させる。
・大病院への転院は治療の実験、果ては病理解剖を強要されることもある。解剖で死因を特定できないと死亡診断書を書かないという脅し。
・家族も本人も自分で判断することを避けて、医師に丸投げする傾向がある。本人も家族も元気なうちから最後どうするのか、十分知識を付けて、はっきりとした方針を立てておくことが必要。みんな自分の事として勉強することが必要。人間はいつか死ぬものだということを学び、そのためにどうするのか、病院や施設に丸投げするのではなく、自分も家族も日頃からどうするのかを考えておくべき。
・万に一つの希望にかけて本人に本当のことを伝えなかった場合、説明と自分の病状悪化にだんだんギャップが生じてきて、ついには関係者全員への不信が増して精神が壊れてしまうことがある。
・日本にはホスピスが圧倒的に少なく、費用的な問題から寄付がないと成り立たない。コンサートも聞けたり、催しや文化行事にも参加でき、家族も気兼ねなく宿泊できるような、病院とは違う機能がホスピスには必要、しかしホスピスは、自然や快適な病室などの環境だけを整えればいいのではなく、不安や不信感を解消させてくれる信頼できる人のいる環境が第一に必要。