「魔女の1ダース」米原万里

「魔女の1ダース」米原万理
 イメージ 1ロシア語翻訳者でテレビにもコメンテーターとしてよく活躍されてた米原万理さんのエッセイです。大多数の人々にとっては、自己や自民族中心に世界は回っているので、それは良し悪しで決められることではなく、相手の身になって考える思いやりには限界がり、相手自らに語らせて、常にそれに対して心開き耳傾ける姿勢であることの方が重要だと教えてくれます。
異文化や異端を極端に嫌らい、異なる文化やものの見方に対してかなり閉鎖的な社会や人間集団というのは、どの時代にもどの民族にもあったし、我々一人一人にもそういう要素があります。だから、まさに魔女狩りのような大がかりで残虐な集団ヒステリー現象さえ成立し得たのです。
モノの見方にはいろんな視点があります。「金持ちだけど病気」と「貧乏だけど健康」、あなたならどちらがいいですか?治らない病気かもしれないから、貧乏でも健康のほうがいい、健康なら働いてお金を稼げるかもしれないからと、考えないでしょうか?でも、お金持ちで健康が一番でしょう。私たちは、実生活で知らず知らずの内に二者択一を迫られているので、ついついベストとは何かについて考える余裕を失いがちで、「第三の眼」が保てなくなっているのです。
また、例えば「おたくの禿頭に髪の毛が三本あるとする。多いか少ないか?」「それは少なすぎる!」と言うのに、次に「今飲もうとしているスープに髪の毛が三本入ってる。多いか少ないか?」「それは多すぎる!」と考えてしまう。いわゆる常識、先入観、思い込みがどれほど当てにならず誤解のもとになっているか。この本は、世の中には絶対というものはなくて、全ては相対的かあるいは逆説的でさえあるということを心すべしと教えてくれます。いままで「正義」や「常識」と思い込んでいたものも、時代や背景によって一変します。異端が行き詰まった社会や文明に風穴を開けてひっくり返してくれるのです。
まさに言いようによる小咄の例として、キリスト教文明圏の象徴であるアダムとイブの国籍をそれぞれの国々が主張します。まずイギリス人が「エデンの園は絶対にイギリス以外に考えられない」と主張します。理由は、リンゴが一つしかない時に、何はともあれまずレディーにお譲りするのはまさにジェントルマンシップだから、アダムはイギリス紳士だったに違いないと。それに対してフランス人が反論します。たかがリンゴ一個で男に身体をまかせる女なんてフランス人しかいないはずだ。すると、そこまで黙って聞いていたロシア人が、立ち上がって自信たっぷりに言い切ります。ろくに着るものもなく裸同然の暮らしをしていながら、食い物と来たらリンゴ一個ほどしかないのに、そこを楽園と信じ込まされていたなんてソビエト連邦の市民以外には考えられないと。誰も反論するものはいません。
また、世界には1500とも3000もの言語があると言われていますが、いずれかで、紳士淑女がゆめゆめ口にすべきでない言葉を口走っているかもしれない怖れがあるのです。たとえば、日本民謡に入る「ホイホイ」という合いの手は、ロシア語では男根を意味する俗語の響きと非常に似通っています。ちょうど「ホイ」と「フイ」の中間ぐらいの音で、形容詞形が「フヨーヴィイ」なので、日本語で旅館の「芙蓉の間」と名付けられた部屋に案内しようとすると、「次の会場はチンポコの間です」と聞こえてしまうのです。また、「かかあ」はロシア語で「ウンコ」のこと、「カツオ」は男根を意味するイタリア語に限りなく近いのです。
また、物事の見方が違う例として、朝鮮は、大戦を起こした責任で民族が二つに引き裂かれるべきだったのはドイツと共に日本のはずだが、植民地だった朝鮮にその悲劇を肩代わりさせたと考えます。一方で、日ソ中立条約を勝手に破ったというシベリア抑留者の被害者意識ですが、ロシアから考えれば、そもそも日本が不当に侵略していた満州にいたから連行されたのではないかと言われれば、我々は被害者の立場ではなく、加害者の立場に一転してしまうのです。だから、第三の眼で物事を考える必要があるのです。
民主主義も短い歴史しかありません。未だに南太平洋に植民地を有し、そこで平然と核実験をやって「安全無害」だとするフランス、先住民を根こそぎに近い形で殺戮し、その土地や富を奪い、アフリカから強制的に連行してきた黒人奴隷の労働で社会インフラを整備したアメリカ、ともに現在の「洗練された」資本主義国になりおおせるのに200年以上もかかっているのです。後発のドイツや日本は、それにわずか100年くらいしかかけられなかったので無理をしました。ドイツやイタリアのファシズムや日本の軍国主義の狂気は、後発国の焦りに他ならないのです。それを、社会主義体制が崩壊した国々は、1020年のスパンで行なおうとしています。「社会的所有」とか「全人民的所有」とか規定されていた富を私有化するための物取り競争が展開されています。しかも一回限りの競争で、これは階級形成闘争なのです。
最後に、ロシア小咄を一つ。天寿を全うしたブレジネフ書記長は、当然の成り行きとして地獄に落ちました。地獄では、どんな罰を受けるか選択することができ、ブレジネフは地獄を一通り見学しました。レーニンは針の山でもがき、スターリンはグルグツ煮えたぎる釜の中で悶えていますが、向うのほうではフルシチョフがマリリンモンローと抱き合っています。当然、ブレジネフはその罰を望みます。しかし、地獄の職員は、「とんでもない。あれはフルシチョフではなく、マリリンモンローが受けた罰ですぞ。」と言いました。視点を当事者から一挙に相手方にズラして笑いを取る方法は、ロシア小咄の常套手段だそうです。