「冒険投資家ジムロジャーズ世界バイク紀行」


イメージ 1ジョージ・ソロスヘッジファンドを立ち上げたウォール街の伝説の投資家が、1990年にバイクで六大陸を旅して、それぞれのお国柄を肌で実感しながら、投資のチャンスがどこにあるかを鋭い視点で分析していきます。
「できる限りこの世界の現実を見ることだ。どのような仕事に就いていようと、世界を自らの目で見ることで人生の成功がより確かなものとなる。世界を見れば、自国のこともわかるようになる。自分自身も知ることができる。自分の強み、弱み、興味、関心がわかってくる。いずれの分野を目指しているにせよ、自分のことがわかるにつれ、成功は確かなものとなっていく。世界各地を旅することが時として難しいのは、言語、習慣、住環境、食物、法律などが違うことによるが、だからこそ旅は楽しく、刺激的で、勉強になるのだ。ジムは旅を単なる冒険としてではなく、地べたから世界を見て、地球を真底から知ろうと考えていた。最良の方法はバイクで行くことで、車窓からとはまったく違う景色を見、匂いを嗅ぐのである。人はまさにそこにいて、その一部になり、見る、聞く、感じる、嗅ぐ、味わう。
 ジムは、共産主義と資本主義の戦いの後には、イスラム教とキリスト教が対立する可能性、ソ連解体のプロセスに要する時間の長さを指摘しているように、先見の明を示している。しかし、彼の投資手法は誰でもが真似することのできない天才の仕事である。世の中の流れ、トレンドを捉えることが大切で、そのためには大局観を持たねばならず、歴史を学ぶことが必要なのだ。大事なのは財務諸表の見方などではなく、市場全体の大きな変化を探ることだ。例えばジムは、ナポレオンの失敗はモスクワ侵攻失敗が契機といわれているが、それがなかったとしても、現在でもフランスがロシアを支配しているとは考えられないと記述しているように、ジムの骨太な歴史観がわかるのではなかろうか。
 1984年にオーストリアハンガリー帝国の活気ない首都だったウィーンに投資の好機と判断し、オーストリア証券取引所を訪ねたところ、そこは沈滞して週に23時間しか開いてなかった。銀行支店長に探りを入れると、自国の株式市場の存在すら知らなかった。すでにオーストリアで大きな変革が起こっていることを調査済みだったジムはほくそ笑む。取引所に登録されているのは30銘柄にも満たず会員は20人もいないが、第一次大戦前のオーストリアハンガリー帝国時代には4000人もおり、中央ヨーロッパにおける最大の株式市場だったのだ。政府は株式投資を奨励するために配当税率を引き下げるなどの法改正をするらしいのだ。念の為、オーストリア労働組合の委員長にも会いに行き、資本主義に反旗を翻す旗手的存在の現在の姿勢についても聞いてみた。彼らは株式市場は嫌いだが、国を立ちいかせていくには必要なもので、政府がやろうとしている改革には好意的だと言う。それによりジムは大金を投ずることに決した。
 1990年と1999年にも日本も訪れている。日本の社会インフラは世界に誇れるものだが、今、日本は失望の淵にある。自殺率は過去最高だし、出生率は史上最低で、100年後は人口が半減する。その不足分を移民で受け入れようとしていないし、巨額の公的負債と融通の利かない規制が問題となっている。人々は経済的に不安なので子供を作らないし、猛烈サラリーマンも激減した。若者はますます働かなくなり、大学生の就きたい職業の一番人気は公務員だそうだ。これからの日本はまったく違った国になっていくだろう。もちろん処方箋はある。企業化精神を育むことである。官僚や老いた政治家は支持率欲しさにいろんな施策をしようとするだろうが、止めさせるべきだ。新しい国づくりは意欲ある若い人に任せるのがよい。日本はアジアの情報発信基地になっているので、みなが悲観的になっているときこそがマーケットの底であり、そこから成長が起こるのだ。こんな楽しみなことはまたとない。(20042月筆)
 また、アフリカを縦断する時に次々と国境を越えて行くのだが、その入出国の手続きの容易さや、特に通貨の両替の容易さ、その国の役人の対応や制度によって、近い将来発展しやすいかどうかの判断材料にする。ホテルなどの宿泊の容易さや民度の程度、食事や通貨の使い勝手、道路などのインフラ整備状況など、もちろん、次の国に出にくかったり、国境検問所の稼働状況も国の機能具合が透けて見える。それぞれの国が持ってる資源はもちろんだが、仮にいい資源を持っていても、それを流通させたり、近代化できる度合いによって、外からの投資を呼び込めるかどうか大きく影響する。その当りを実際に旅行して、お金を両替し、泊まって、食事し、体感しているのだ。そうして、大局的判断から投資するのだ。