「家相の科学」清家清

家相の科学」清家清
イメージ 1名前の通り、家相が単なる迷信だけではなく、長い年月の末に得られた生活の知恵を伝えていることがたくさん含まれています。特に科学的にも妥当性がある項目は、風土や気候に適っているようです。例えば、住む時には日当たりや風当りがたいへん重要で、太陽の日当たりを取り込む一方で、冬の寒風を防ぐにはどうしたらいいか?また、排水の妙、これらのことが鬼門、裏鬼門に総じて関係しています。そう考えれば結構一貫していてわかり易いのです。本書で参考になるところを一部抜粋しました。
「昔から言い伝えられてきた家相の言葉をてがかりに、住みよい家の条件とは何かということを建築的に考える本である。家相は、古代中国で生まれたものが日本の宮廷建築に伝わり、やがて民間にも広まった。一般向けに書かれた昔の家相の本は少なくとも数十種あり、その大部分が江戸中期から末期にかけて出版されたものである。これらの本を徹底的に調べた結果、家相を単なる迷信として片付けられない、中には現代の建築学から見ても十分に通用する真理を含んでいると確信するようになった。建築学的、住居学的に現代の建築の盲点を突き、根拠を持つものが決して少なくなく、むしろ技術や経済性にだけ走って、底に住む人間のことを忘れがちな現代建築に反省を促すものも含んでいる。そこで、建築学から見て科学的根拠のあるものを主に選び、それに社会的タブーを示したものを加えてまとめた。この本は、科学時代の家相秘伝と思ってもらってよい。
鬼門説は家相の最も代表的な迷信で、例えば、西から北にかねて高く、東から南にかけて低くなっている宅地は吉相で、そこに住む人は子孫に至るまで繁栄するといわれている。しかし、いつかサイクルは循環して栄枯盛衰は繰り返されている。家相も、人相や手相などの仲間で、古代中国に生まれた占術だ。相、つまり物事の形に表れたものを見て吉凶を判断し未来を予知しようとするもので、古代中国の思想を支配したのは陰陽五行説である。家相の考え方もこの陰陽五行説によっているが、それがすべてではない。相学が過去の経験を法則化して未来を予知するのだが、家相も古代中国人の住まいについての知恵が基礎となっている。黄河中流地域の気候風土の中でいかに住みよくするか、いかに安全な家を造るかという長年の知恵が込められ、それを陰陽五行説によって飾り、理論付けたものと言ってよい。陰陽説は宇宙の陰(月)と陽(太陽)の二つの原理(相反する二つの性質)から成り立っている信仰で、この二つの原理が循環して融合し変化するところに、宇宙のすべての事象は起こるとする考えである。陽と陰は二つに分かれて太陽、小陽、太陰、小陰になり、それがさらに二つずつに分かれて乾(けん)(北西)、兌(西)、離(南)、震(東)、巽(そん)(南東)、坎(かん)(北)、艮(ごん)(北東)、坤(こん)(南西)の八卦になる。それを組み合わせて使うのが易占いである。二元論の陰陽説に対して、五行説は自然による、木、火、土、金、水の五つの惑星で形成されているとする考え方で、この五つの惑星と恒星の動きが盛んになったり衰えたりすることによって自然の移り変わりが生じて人間の運命が変わるなど、宇宙のすべては循環すると考えた。この五惑星の名称は、例えば火は燃え盛る火を指すだけでなく、熱や光を意味し、人間の楽しみや感情も表す。このように自然の中のすべてのものをその性質によって分け、五行に配した。この五つの要素の互いの関係については五行相勝説と五行相克説があり、木は土に勝ち、金は木に勝つ、火は金に勝ち、木は火に勝つという対立の関係を説くのが相勝説。木は火を生じ、火は土を生む、さらに土は金を生み、金は水を生じるというように五つの要素を循環、併立の関係で捉えるのが相克説である。陰陽説と五行説はそれぞれ別に起こり発展していったが、しだいにこの二つが組み合わされ、神秘的な関係を持つようになった。例えば五行に陰陽を掛け合わせたのは十干で、木の陽がキノエ(木の兄)、木の陰がキノト(木の弟)というように配され、甲、乙、丙、丁、戌、己、庚、辛、壬、癸の十文字に当て、それに十二支を組み合わせたものが十干十二支という六十進法の暦である。例えば2000年は庚辰の年で、庚=金の陽と、辰の性質によって支配されると考える。家相についても陰陽五行に割り振られた方位方鑑によって吉凶を判断し、そこに住む人の運命を占うのだ。
このように中国で完成した家相が日本に入ってきたのは奈良朝の頃と考えられ、はじめは宮廷建築に利用された。家相では、東に川が流れ、西に大道があり、南に平地、北に丘陵がある土地を、青竜、白虎、朱雀、玄武の四神相応の最上の地であるという。平安京はまさにこの条件にぴったりの場所に造られた。北東を鬼の出入りする方向として避けた鬼門説にしたがって、比叡山延暦寺を建てて鬼門除けとしている。貴族や武士たちの家にも採用され、民間にも次第に広がり、俗信、迷信と結びついて人々の生活を強く支配するようになった。
家相は、住みよい家を造るための経験的な知識の蓄積に、陰陽五行説という前時代的未来予見術の装いを着せて家相観の権威をつけたものである。だから、その不可解の装いを外してみると、誰にわかり易い、現代の家にも十分通用する科学的発想を発見することができた。
伝えられてきた家相は以下のようなものである。
・山の尾根が終わった崖の下、あるいは谷の出口に住むのは大凶 
・道の突き当たりに家を造るのは大凶 
・妊婦がいるときに普請するのは凶 
・敷地は、前が低く、後ろが高いのが吉
・台所が南西にあるのは大凶 台所や浴室のように、汚水を流す。敷地の南西に排水するのは大凶 鬼門、裏鬼門は不浄を嫌う。南西への排水が望ましくないのは土地の高低にもよる。家を建てる時は普通、日当たりがいいように北と西が高く、南と東が低い土地が好ましい立地条件だと前述した。そうなると排水管は比較的高い位置となり、台所や浴室などに近い北西の方向にまとめるのが好ましいのは当然である。また、南西は一年を通じて強い西日が射すので、汚水や汚物があると腐敗して悪臭を放ったりする。
・吉相の家に吉相の人が住むのが大吉 土地の相、家の方位、間取りがすべて吉と条件が揃っていても、そこに住む主人の人柄が良くないと何の益にもならない。どんなに吉相の家に住んでも、住人が驕慢な暮らし方をしたのであれば、凶相の家になってしまう。戦争に例えると、敵に対して地の利を得ていても、味方の軍隊の士気旺盛、チームワークが強固でなければ勝てないのと同じである。良い相の土地や家に、良い人間が住んで、初めて幸運を招くことができると言っている。逆に、陰気くさい家は家相が悪いと思っても間違いなく、不幸が続くことが多いが、そういう家でも、住人が変わってすっかり明るい雰囲気の家になることがある。住む人が家相を良くすることもあるのだ。」