ああ言えばこう食う


イメージ 1二人の才女、ダンフミとアガワサワコがくりひろげる、辛辣でセキララでユーモア溢れるやりとりの数々で、往復エッセイはどんどん脱線し、女同士の友情に満ちた罵倒に。
ダンフミ→アガワ「お互い、相手の喋っていること、ぜんぜん聞いてない。自分の口が開いてないときは、いかに相手の話に割り込むか・・・、そればかり考えてる。「口から生まれた双子座」のダンフミではあるが、「天然の饒舌」アガワサワコには、ひっくり返ってもかなわない。だが、「仲が悪い」と思ったことは一度もない。アガワサワコは、ダンフミが二十代後半にしてようよう与えられた天の恵みである。」
「アガワは五十回近い見合いのかいもなく、いまだ独り身でいる。そうからかうと、「そんなにしてないってば!と言う。じゃあどのくらいと訊くと、うーん、三十回ちょっとじゃないかなぁ、と答える。これは、ちと疑わしい。なんとなれば、彼女とであった十数年前から、三十数回という数が不変だからである。」
アガワ→ダンフミ「ダンフミと私の間にも、かつてはそれなりの緊張感が存在していた。きっとあの人は、私と違って幸運にも才能にも恵まれ、いつか大きな幸せをつかむんだわ。そしていつの日か、私を置いて、オトコのもとへ走り去るに違いない。そうなっても決して恨まないから、どうぞお先にね。と、殊勝な台詞を吐いていた。そして、言葉とは裏腹に、そのショッキングな日に立ち向かうべく、それなりの覚悟を決めていた。ところが、ちっともその日がやってこないのである。五年ほど前からだと思われる。緊張のゴムひもがすっかりバカになった。お互い開き直りの年齢にさしかかりつつあったことも功を奏して、全然心配でなくなった。かくして本物の友情が我々の間に育まれ、遠慮会釈なしに、互いを罵倒し合える間柄と相成った。」「ダンフミはもともと気が長いほうである。腹の立つことがあったとしても、その場で怒り狂ったりはしない。空港で荷物が出てこない時も、泰然自若としていた。いっぽう私は、気が気じゃない。バタバタセカセカ走り回り、イライラ足を踏み鳴らし、ブツブツ愚痴をこぼしまくる。一方、女優は平然と、にこにこ顔で事態の経緯を見守っている。そんな時、私はこの人を大物だと思う、心が広いと感心する。その悠然ダンフミが、こと食べるものを決めるときになると、豹変するのである。迷うことがほとんどなく、大勢の食事会でもいつも真っ先に注文するのだ。その早業は、他の時には決して見られない。荷造りが遅く、お風呂が長く、自分の怒っていることに気付くのが遅いダンフミが、どうして食べ物だけはあれほど素早く決められるのか、謎である。ウィーンのカフェでもそうだった。すぐに自分の注文するもの決まり、メニューを置いたとたんボーイさんが来た。そのとき私はまだ決心がついていなかった。私にとって朝食はめったに食べない珍しい行事なのである。だからこそ、いろいろ吟味したいのだ。えーと、うーんとと迷っているうちに、ボーイさんが消えた。なんでそんなことが決められないのよ!と、ダンフミが怒る。だって、ゆっくり決めたいんだもん!と私ムキになる。長く続いた友情や夫婦関係に亀裂が入る瞬間は、こんな時ではないかと思う。」
ダンフミ→アガワ「確かに私は、気が長い。足も長いが、胴も長い。電話も、前置きも、言い訳も、みんな長い。眉毛だって、整えずに放っておけば、元首相の村山さんぐらいの長さになるかもしれない。わが辞書に“短い”という文字はないのである。よって、長く続いた友情は、長いまんま、亀裂が入ろうが、泥沼にはまろうが、延々と続いていく。・・・」
こんな感じで、二人は延々とキャッチボールします。一見、才女でとっつきにくそうな印象を持っていたダンフミが、これほどさばけた人であったか。さらに二人とも会話の返しがとてもうまくて面白い。テレビを通して見るのとは違った素顔に触れられ、いちいち可笑しくて、読みながらアハハと笑ってしまうような、とてもおもしろい交換エッセイでした。