木のいのち木のこころ

「木のいのち木のこころ」イメージ 1西岡常和/小川三夫/塩野米松
私(西岡常和)は古代建築を扱う大工で、千三百年前に建てられて今も創建当時そのままの美しさを持つ法隆寺で、さまざまな先人の技と知恵を教わってきた。それはたいへん素晴らしいもので、この後もずっと受け継がれていくべきものだと思っている。そこには日本の文化と日本人が受け継いできた技と知恵が凝縮しているからである。
 檜は人間と同じで一本ずつが全部違い、それぞれの癖を見抜いて、それにあった使い方をしなくてはならない。そうすれば、千年の樹齢の檜であれば千年以上持つ建造物ができる。法隆寺を造り守ってきたのは、こうして受け継がれた木を生かす技で、数値では表せない、文字で本にも書き残せない、言葉にできなものだ。技は人間の手から手に引き継がれてきた「手の記憶」で、この中に千三百年にわたって引き継がれてきた知恵が含まれている。このような職人の技や勘は学校では教えようがなく、個人と個人、師匠と弟子が生活を共にして初めて伝えられるものである。
口伝に「堂塔建立の用材は木を買わず山を買え」というのがあるが、飛鳥や白鳳の建築は棟梁が山に入って木を自分で選定してきた。「木は生育の方位のままに使え」というのもあり、山の南側の木は細いが強い、北側の木は太いけれども柔らかい、陰で育った木は弱いというように、生育場所によって木にも性質がある。右に捻じれている木だから左捻じれのあの木と組み合わせればいい、というようなことを見分けるのが棟梁の大事な仕事だった。癖というのは悪いものではなく、使い方で、癖のあるものを使うのはやっかいなようだが、うまく使えばその方がいいということもある。人間と同じで、癖の強い奴ほど命も強い、癖のない素直な木は弱い。力も弱いし、耐用年数も短い。
 まずは、自然の命というものに対して、もっと感謝して暮らさないといけない。空気があって当たり前、木があって当たり前と思っているが、水が無かったら命がないし、生命も育たない。今の人は自分で生きていると思っているが、自分が生きているんではなく木や草や他の動物と同じように生かされているということを深く理解しないといけない。こんなことは仕事をしていたら自然と感じることだ。仏の教えの中には、あらゆる世の中の現象は人間の心の中に納められている、人間の心もまた自然の中にある。そのように自分を悟れということだろう。大袈裟なようだが、大工にも自然観が必要だ。自分よ自分自身が生きていくのだから自分自身で悟らないといけないということだろう。木の生きてきた環境、その木の持っている特質を生かしてやらないと、たとえ名材といえども無駄になってしまう。ちょっとした気配りの無さがこれまで生きてきた木の命を無駄にしてしまうことになるのだから、我々は十分に考えないといけない。こういうことは農学校を出て百姓をやらされて初めてわかった。自分で育てたものは無駄にしないし、植物は育てるのにえらく手間やら時間やらがかかる。また、手をかけただけ大きくなる。人間がいくら急かしても焦っても、自然の時の流れは早くならない。急いだら米は実らないし、木は太くならない。
ものを教えたり、弟子を育てるというのも自然に、だと思う。棟梁が弟子を育てる時にすることは、一緒に飯を食って一緒に生活し、見本を示すだけである。道具を見てやり、研ぎ方を教え、こないやるんやいうようなことは一切しない。このように削れるように研いでみなさい、とやって見せるだけだ。見本を見せた後はその人の能力で、いかにどんなにしたところで、その人の能力以上のことはできない。建物を建てるというのは頭の中の知識じゃなく、ちゃんと自分の手で木を切り、削ってやらなければならない。その時「それは知ってます」じゃ、何の役にも立たないのだ。自分で考えて習得していくものなのだ。それと、親方の言うことにいちいち反対しているうちは、親方の言うことがわからない。一度、生まれたままの素直な気持ちにならないと他人の言うことは理解できない。考えるのは自分だから、考えてやってみる。これを何度も繰り返して、手に記憶させていく。自分でやっているうちに親方のやり方に似てくる。近づいていくのだが、時間がかかる。こうした仕事は長い下積みと苦労が必要だ。教わる弟子のほうも大変で忍耐がいるだろうが、教える側も大変なのだ。よほどの慈悲心、親切心がないと務まらない。本当に芽が出てくるまで辛抱しないといけないのだから。辛抱ない親方だったら殴るかもしれないし、修行中の子が世間に出た自分の仲間と話したらやっていられなくなる。自分がまだ親方の家の掃除をしている時、サラリーマンをやっている仲間はもう高い給料をもらっているのだから。ものや技術は教えて教わるものではない。その人が覚えたいと思って、やる気にさせて、個性に合わせて伸びるように助けてやる。おじいさんがよく言っていた、「言うて聞かせて、やって見せないかん。」
私がやらせてもらった塔や堂も、これから時間の試練を受ける。百年、二百年たってどうなっているだろうか、見たい気がする。ただ、百年後、二百年後には西岡がいないから木で塔を造ったり修理は無理だろうと言われるが、そんなことはない。現にそこに塔があれば、木のことがわかる者やちゃんとした仕事をする者は、昔の人はこうしたのかと言って、私らが千三百年前の力強さや優雅さに感心して学んだのと同じようにしてやれるのだ。ちゃんとしたものが残されていたら、そこから学び取ることができるのだ。そのためにもちゃんとした物を残さないといけない。時代に生かさせてもらっているのだから、自分のできる精一杯にのことをするのが務めだ。