2017年12月7日 日野から上醍醐・音羽山へ

すごく天気良さそうなので、前回の上醍醐への縦走の逆ルートを行きました。イメージ 1
 バスで親鸞の生誕地である日野誕生院に行き、そこから東の山並みへ歩いて15分ほどのひっそりとした谷にある“方丈岩”に再訪します。鴨長明が有名な「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。・・・(現代語訳:流れ過ぎていく河の流れは途絶えることがなく、それでいて(そこを流れる水は)もとの水ではない。イメージ 2(河の流れの)よどみに浮かんでいる水の泡は、一方では(形が)消え(てなくなり)一方では(形が)できたりして、長い間(そのままの状態で)とどまっている例はない。この世に生きている人と(その人たちが)住む場所とは、またこの(流れと泡の)ようである。・・・宝石を敷き詰めたように美しい都の中に、棟を並べ、屋根(の高さ)を競っている、身分の高い者や、低い者の住まいは、時代が経ってもなくならないものではあるが、これは本当にそうなのかと調べてみると、昔から存在していた家というのはめったにない。イメージ 3あるものは昨年焼けてしまい今年造っている。あるものは大きな家だったのが落ちぶれて小さな家となっている。住む人もこれと同じである。場所は変わらず、人も多いが、(私が)過去会った(ことのある)人は、2,30人のうち、わずかに1人か2人である。朝に(人が)死に、夕方に(人が)生まれるという世の定めは、ちょうど水の泡に似ていることよ。私にはわからない、生まれ死んでゆく人は、どこからやってきて、どこに去っていくかを。またわからない、・・・)」を書いたとされる場所です。鴨長明は、賀茂御祖神社の神事を統率する禰宜の鴨長継の次男として京都で生まれましたが、後継争いに敗れて出世の道を閉ざされ、出家して東山、次いで大原、のちに日野に閑居生活を行ったそうです。非常に優雅な、世俗を達観した文章のように思っていましたが、出世争いから破れて絶望した果てのものであったとわかると、方丈記をこれまでとは違う感じでとらえるようになりました。
イメージ 4さて、今回は前回気になった炭山からの供水峠での縦走路を上醍醐まで行きたいと思いました。途中の人気の失せた石仏群を越えて、供水峠までは結構あっという間に到着しました。しかし誰にも会いません。谷には鹿か猪がガサガサと逃げ走る音が聞こえて不気味です。供水峠を南北に横切る尾根道は、記憶のように思ったほどしっかりした山道ではありませんでした。それでも踏み跡をたどっていくと、しばらくして鬱蒼とした木々に埋没した山頂らしき石積みに到着します。イメージ 5野岳とぼろぼろになった札がかけられていました。この尾根道はすごく気持ちのいい道だと勘違いしていましたが、ほとんど誰も通らない荒れた山道です。それでもここまで来たからには尾根を上醍醐まで辿りたくて先に進みます。しかし、そのうちに南西の醍醐寺方向へ降りて行きそうなところで、尾根を伝う道を選択しましたが、それが間違いの始まりでした。だんだん踏み跡が薄くなってきて、尾根も左右に分かれて、どちらが上醍醐に連なっているのか木々に覆われて見えなくなり、いったん右に進み、木々の間から見える上醍醐らしき正面の山への尾根が切れていそうで、取って返して左の尾根に戻りました。しばらくは良かったのですが、やがて踏み跡も無くなり、山も急降下して谷に下るようになり、間違ったと悟って急いで戻ります。急な坂を登り直し、先ほどの右手に折れていた東側の尾根へ進みます。イメージ 6赤い杭や、木に白いペンキが塗られていて、それを伝ってどんどん進んでいくと、やがて山を下るようになり、ついには林道に出ました。前回通った上醍醐から炭山への林道です。結局尾根伝いに上醍醐まで行くことはできませんでした。目的を失ってやる気を無くしかけましたが、せっかくの好天だし、最近の運動不足を補うためにも一日歩こうと気を取り直しました。イメージ 7林道をどんどん進んで上醍醐寺の下に到達し、そこからも右手の古そうな山道をどんどん登っていくと、上醍醐寺の一番奥の開山堂に出ました。
もう11時ですが、山頂には大きな木が林立していて、東からの太陽を遮っていたために、今ようやく朝日が出たような感じです。西の方を望めるようになっているのですが、旧巨椋池のあった京都盆地の向こうに大山崎から西山の山並みが見晴らせます。イメージ 8セブンイレブンで買ったパンとお茶を食べてちょっと休憩です。最近節制しているせいか小食で、しばらくして縦走路を進み始めます。そこでようやく今日初めての登山客に出会いました。夫婦連れで、登山客というか、上醍醐の参拝客です。挨拶を交わして私は先に進みます。尾根道へ分かれて20分程進むと、横嶺峠に降ります。そこから舗装した尾根道の林道を進み、途中から高塚山への山道へ分け入り、あの長い谷を下って行きました。そうして桜の馬場に着き、牛尾観音への長い参道の階段を登り、また誰もいません。イメージ 9本堂の前で般若心経を唱えて参拝しました。音羽山への急な坂道を登ります。ちょうど落葉して明るい山道で、案外かんたんに尾根まで登れました。ただ、石山寺へと続く尾根道が意外に長く、1キロ弱ありました。また久し振りに出会った二人のじいちゃん達が先に歩いています。少し行くとその一人が道端で立ち小便していて、そこを通り抜けるとびっくりして、言い訳のように「前回は誰にも会わなかったよな」と相棒に語りかけていました。イメージ 10彼らを追い越してしばらく登っていくと、ようやく音羽山に着きました。風は冷たいものの、あいかわらず山頂からの眺望はよく、北正面に比叡山が真近に見え、西には京都市街が見渡せます。ここはほんとうにいい眺めです。イメージ 11
しばらく眺望を楽しんだ後、大谷駅へ下っていきました。途中の気持ちのいい尾根道も、落葉で枝だけになっていると、逆にちょっと拍子抜けのような感じです。季節によって受ける感じがこのように違うので、それぞれの山にはベストな季節があるのだなと再認識しました。イメージ 12長い下りを行き、蝉丸神社の横に抜けて今日の運動を終わりました。8時半から14時まで合計6時間強の運動で、安易なような行程でしたが結構足にてました。