遥かなるケンブリッジ 藤原正彦

イメージ 1今度は15年後の1987年に藤原正彦氏が家族同伴で一年間イギリスのケンブリッジに研究滞在したときの話です。海外に行くと急に愛国主義者になるというのと、その国を真に好きになるには得難い友人に恵まれるなど人間的要素が不可欠であるというのはアメリカの時と同じですが。
空港からケンブリッジに向かう車窓には美しい田園風景が続き、その自然を維持するには国民にそれだけの精神的、経済的豊かさが必要で、経済原理優先で滅びつつある日本の田園との差を感じます。
家族と共に始めた生活は平穏無事どころか波乱万丈で、通じないアメリカ英語、不味い食事、変人めいた教授陣とレイシズム(人種的偏見)の思わぬ噴出。教授たちや学生たちの様子、大学における揉め事の多くは常に人事絡みで、人事を司る人間に必要なものは、何と言ってもすぐれた大局観と公平さだと考察しています。しかし、身を投げて格闘するうちに見えてきたのは、奥深く美しい文化と人の姿だったというお話です。
 ある日、地元の学校に通っている5歳の二男がいじめに遭い始めます。筆者は奥さんに対して、「藤原家はこう見えても諏訪高島藩の武士だ。イギリスのガキになめられてたまるか。武士の子は名誉のために命を懸けて闘うものだ。武士の血を継いだ次郎を呼べ!」と命令しますが、奥さんに「最下級の足軽のくせに」と陰口叩かれます。息子に対しては「どうして殴り返さない。動物と同じで弱い者はとことんいじめられるのだ。」とか、知っていて助けない長男の事も知り、奥さんに対して「お前が情のある優しい子に育てる、などと何とかの一つ覚えを言ってきたからこのザマだ。我が家は卑怯者と弱虫ばかりだ。総崩れだ。大失敗だ。これからはこの僕が武士の子として強く育てるからな。」といきり立ちます。そうして小さい頃、父新田次郎から教わった戦法を伝授します。最も強い人間だけに殴りかかることと、水車のようにぐるぐると両腕をぶん回しながら、相手に向かってしゃにむに猛突進するというものです。そして「死ぬまで戦え、死んでもママに頼んでまた産んでやるから心配しなくていい。」などとそそのかします。しかし次男は殴られ続け、殴り返さぬまま隠そうとする始末です。そうしたいじめが続き、ついには集団リンチに遭います。ことここに至っては次男だけで処理できる枠を超えていると、ついに筆者は学校の校長に面会して事実を告げ懲罰の約束を取ります。しかし、著者自身がイギリスで格闘してギリギリの生活をしており、何とか自分で戦って解決させようと次男に自分をダブらせて見てしまっていたのかもしれないと気付いたのです。学校でいじめられ、家では父から「戦え!」といじめられていた次男には謝り、これからは父が守ってやると安心させました。
 学界では、ユダヤ人によってもたらされた「Publish or perish(発表せよ、さもなくば滅びよ)」で代表される競争原理によりアメリカが世界をリードしています。馬に鞭を当てて走らせるようなこの原理が戦後の学問発展のために最も効率的で、アメリカの大学だけが大成功を収めたのも事実です。ただ、経済が下降し、走った馬に与える報酬が不足したらどうなるでしょう。また、容易に大量の報酬を得られる場が他にあったらどうでしょう。そして、人類史上、誠に偉大な発見の多くは必ずしもこの原理の下でなされたわけでなく、内発的動機によるものであったことも事実です。やや弱体化したとはいえ、今もなお世界の十指に入るケンブリッジの数学教室は、イギリス紳士の品格と言おうか、競争原理に揺るがないだけの厚みを蓄えていると著者は考察しています。イギリスは産業革命を起こしたが、政策的意図的に遂行されたものではなく、町の発明家による個人プレイによるもので、自由の中で個人が創造的に生きるという気質が、エコノミックアニマルにならずして圧倒的技術優位をもたらしました。アダム・スミスが見えざる手が自動的に解決するとした文化的背景がここにあります。イギリスは近代的民主主義をつくり、フランスは人権思想を、ドイツは哲学や古典音楽を、アメリカは競争社会の思想を作り、映画、音楽、スポーツを世界に広めました。その普遍的な価値に世界は敬意を払っているのです。しかし、伝統と現代をうまく調和させ、豊かで犯罪の少ない社会を作った日本は、混迷の世界を救ういくつかの鍵を持っています。平和や軍縮を語るときには平和憲法が強みになろうし、人権を語るときには白人でないことが有利ともなるでしょう。環境保護では高度な技術が役立ち、軍事力なきリーダーになる資格を十分に備えているのです。もう経済至上主義から脱し、特にアジア諸国に対する罪の償いは、ばら蒔きや謝罪の繰り返しではなく、自己犠牲を伴う無私で積極果敢な人類への貢献を計ることで世界のリーダーとして尊敬されるようになるべきでしょう。イギリスは世界一の繁栄を極めた後、斜陽の道を歩んでいます。しかしかつての栄光に戻ろうとするのではなく、精神的な余裕の中に静かな喜びを見出しているのです。日本はイギリスのいつか来た道を歩んでいるかもしれません。日本人とイギリス人は、心底に無常観を抱いているという点で本質的によく似ています。緊密な交流を続けながらも、なかなか真の相互理解に達し得ないアメリカよりも、日英が深い部分で心を通わせる方がはるかに容易に思えます。イギリスの懐の深い熟年の美学に魅かれるのは、遠い先のことではないような気がすると結んでいます。
最後にイギリス流ユーモアを一つ。「無人島に男二人と女一人が漂着した。男たちがイタリア人なら殺し合いになる。フランス人なら一人は夫、一人は愛人としてうまくやる。イギリス人なら紹介されるまで口をきかないから何も起こらない。日本人なら東京本社にファックスを送り、どうすべきか問い合わせる!」