藤原正彦 若き数学者のアメリカ

イメージ 12005年に一世を風靡した「国家の品格」覚えてますでしょうか?藤原正彦氏の作品ですが、彼かはるか昔、1972年29歳の時に数学者としてアメリカに留学したときのエッセイです。厳格な学者というより、一見ひょうきんな風貌は親近感ありますが、文章にはユーモアは勿論のこと、痛快なキレもあります。彼は新田次郎氏と藤原ていさんの息子なのです。個人的に登山が好きで、新田次郎氏の山関係の小説はほとんど読んでいました。また、老人福祉施設でお母さんのお世話をしたことがあり、背が高くて遠くからもすぐわかる正彦氏にはご家族として何度かお会いしましたが、その後に国家の品格で誰もが知る人となるとは知る由もありませんでした。
1977年にこの本は日本エッセイストクラブ賞を受賞して話題となりました。著者が留学するためにアメリカへ向かう途中に最初にハワイに立ち寄るのですが、観光で訪れた真珠湾ツアーでは日本人一人、敵国扱いの説明に最初きまずかった気分がだんだん日本への愛国心に変わる、なかなか面白い。
また、ハワイからカリフォルニアへ旅立つ飛行場て、万が一飛行機が無人島に不時着するのに備えて買ったバナナ三本の持ち込み拒否されて(果物の病気感染防ぐため)、捨てるか、食べきるか、とにかくその場で処分するしか選択肢がない。朝食後で腹一杯とはいえ、ここで日本男児の意気を見せじと、可愛い空港係官の前で三本一気に頬張り、係官が今にも噴き出しそうになった情景。なかなかウィットに富んでいます。
招待されたミシガン大学での奮闘ぶり、優秀だからこそ言葉の壁を乗りこえてさらに評価される。そのあとコロラド大の助教授に出世し、学生たちに数学を教えます。しかしアメリカ大学教授の実力本位の厳しい社会、学生や子供たちとのふれあいなど、分かりやすい視点で書かれています。
最後にアメリカの若者について、出世物語には飽き飽きし、政治・経済、学生運動、地域運動にも飽きて、もう手に触れるもの以外信用しなくなった。この背景には、60年代の反戦闘争の挫折感と無力感、70年代のベトナム敗戦、さらにはウォーターゲート事件などによる自尊心の瓦解、自分たちが世界で最も強く判断力が正しい、世界の自由主義、民主主義の旗手でも教師でもなかったことをわかったショック、そして物質的な夢を達成した空虚感、これらのことに戸惑い、幻滅を感じ、目標を見失ってしまった。前進する自信を失い、先の目標もなく、そうかと言って最終的に安らげるはずの故郷も持たないアメリカ人、彼らは心底から淋しいのではないかとさえ思える。
アメリカ人は行動することに大きな誇りを持っている。フロンティアスピリットのあらわれであろう。アメリカをアメリカたらしめているのは、何をさておきその国土ではないかと思える。気の遠くなるほど広大な国土、肥沃な大地、豊富な天然資源、これがアメリカに限りない富を与えている。この莫大な富を共有するという一点において国民がまとまり、国家が成立している。この国土こそが、貧困な国土を持った日本人とのあらゆる差異の根本原因のような気がする。一般的には民族の多様性を持ちだすが、それはさほど説得力のあるものに思えない。考えや行動を見ただけでは全く区別のつかない欧州系が8割を占めているのだから、アメリカの多様性を民族の多様性だけに帰着させるのはとうてい無理だろう。そんな状態だからアメリカの国民性などという問題は考えようもない。国民性のないところが国民性とでも言うのが精いっぱいかもしれない。それは日本人がアメリカ人になり切るのを、ある意味で容易にする。周囲の目など気にせず、日本人のままでありさえすればよいのだ、。アメリカに融和するには、日本性を維持したまま、ただ気持ちを開いて彼らに接するのが近道である。こころから御礼する時は、誠意を込めて深々と頭を下げた方がはるかに効果的だ。他人の迷惑にならない限りはすべて日本流で通すのがアメリカ社会に快く受け入れられる秘訣だと思われる。アメリカ人に対抗意識を持っていたり、逆に日本人であることを意識の外に置いたりしたが、どこでも人気者で、誰からも好かれていた。しかし、それでも淋しかったのは、愛の心を持たなかったためだと思った。それがいかなる愛であろうと、愛なしでは人間は人間で有り得ない。人間は、その心の最も奥深い部分を通わすことのできる何かが必要で、その何かは人手も物でもなんでもよい。それが愛ではなかろうかと著者は思ったそうです。
最後に深い考察が書かれていますが、文中で何気に男気を見せる部分も多々あり、こんなに昔から国家の品格を書く下地のあったことを感じます。