1999年9月22日~25日「暴風雨の羊蹄山」

1999922日~25日「暴風雨の羊蹄山」(計99,220円)
922日(水)
 後輩が大きな見込み客を作ってきて後がどんどん無くなってきているのに、支店長のきつい嫌味にも逆らって無理に北海道に向かっている。アカンアカンと思いながらも何もせずに1年を過ごしてしまい、ついに自らを進退極まるところまで追いやってしまった。自ら進んで坂道を転がり落ちているのかもしれない。離婚の別れ際も結局はどうしようもないまま、自ら進んで打開することもなく、成り行きでこの道を歩んでいる。一度、地の果てまで落ちないといかんのだろうか。このままでは駄目だとわかりつつ、どうにもならない。破滅への道を一直線か?家庭の都合を理由に退職し、飛騨の訓練校で木工を1年学んで努力する。人脈も拡げておいて、できれば将来、その技術と日本の伝統的な木の文化の知識を持って海外協力できるようになりたい。最後は木材の豊富な北米で木工の仕事をできるようになるか、北海道で技能一本、何とか日々の糧を得られるようになれないか。建築士の資格も取ってその道のプロにもなりたい。
17:30南海難波 ラピート1,400円、食事3,000
19:00関西空港JAL707便 往復40,800
20:55千歳空港 JR1,040
札幌 サウナ泊3,000

923日(木)
牛丼450円、水・サンドイッチ650
8:20札幌東口トヨタレンタリース
10:50登山口
 羊蹄山はすっかり怒っているようだ。私が逃げるような生き方ばかりをして、ちっとも前向きにならず、どんどん悪いことが襲ってきているように思える。登りでへとへとになって、標高1000m以上は力が入らない上に足もだるくなってきた。上空は風が時折強く不安になる。登ってくる人も少ない。時折下って来た人には「これから?」と不思議そうに聞かれる。しかし、7合目くらいで最後に会った人が、避難小屋には人がいてストーブも焚いているし、視界は悪いが大丈夫と元気づけてくれたので、迷いが切れて頑張って登って行く。9合目の避難小屋の分岐を左の頂上の方へ曲がって登って行くが、途中で旧小屋分岐と書いてあるにもかかわらず、どうせ少し先で合流するだろうとタカをくくってしまい、右上に急斜面を登ってしまう。次第に風をもろに浴びるようになり、たいへんな思いをするようになる。砂滑りのような登りにくい所をおかしいなと思いつつ登り詰めると、そこは旧小屋跡だった。標識のかすれて消えそうな字で京極コース・山頂と示した方に噴火口跡を歩いて行くが、また分岐に出て、そこには何も書かれていない。ただ京極への下山の案内しか書かれていない。
14:40羊蹄山山頂付近
しばらく迷って周辺をウロウロしたが、やはり思い直してもと来た道を戻る。しかし、もと来た道もいくつもの筋に道が分かれしまい、一時また少し登り変えたりして、ホウホウの体だ。そのうちにきちんとペンキのついてある下山路をようやく見つけて下って行くと、何とか本道に戻る。そこできちんと山頂を示した標識があり、悔しくて、疲れているのにまた登り始めた。しかし、稜線からは凄い突風が吹いてくる。それでも吹き飛ばされないように一歩一歩進んでいく。風が止むのをまったりしながら進んでいく。やがてケルンを越えて、標高も1880m位の所で尾根が狭まった。だが風はもう一歩も近づかせまいというほど横殴りに強くなり、止みそうにもなく恐い。身の危険を感じて座って地べたにしがみついていたが、ついに諦めた。先を見ると、雨風が真横に吹き飛んでいる。私のようなふざけた奴には頂上へは近づけさせまいと言っているようだ。仕方なく恐ろしい稜線を降り、谷の方に入ったら風を直接受けなくなり、先ほどの暴風雨が嘘のようになる。でも休まずに下って行く。雨は次第に激しくなり、もうゴアテックスのパーカーも靴もびちょ濡れだ。さらにだんだん薄暗くなってくる。切ない気持ちのままどんどん下る。長い下りだった。晴れていたらなんてことはない道なのだろう。私の行いが悪いせいでとても辛い登山になった。近づくことを拒否されているようだ。2合目からはさらに雨脚が強くなり、真っ暗になりかけて着いた登山口にはもう他に車は無く、私が借りたスターレットだけになっていた。
17:05すっかり雨になり下山
17:30倶知安駅前の定食屋 食事2,800

924日(金)
4:00富川町のセブンイレブンで仮眠 コンビニ1,200
6:00清水町のコインランドリー 600
10:00銀泉台
12:00上川のドライブイン 海鮮丼2,310
12:20愛山渓入口 ラーメン500
15:0015:30岳温泉
17:00美瑛駅前の食堂 焼魚定食1,350
 民宿おおくぼ 素泊り5,750
21:00台風は思ったより早く通り過ぎそうだ。そうだ、もう孤独にも無心の心境で自然に身を任せ、結婚にも焦らずに、子どもができずとも実家は甥に任せよう。実家には親族のために祖父母の家を一軒残しておけばいいだろう。私は割り切って知床か大雪山の近く、もしくは沖縄などの南の島にのんびり暮らしたい。もう失うものはないから世捨て人になってもいいではないか。気楽に考えよう。民宿の主人の大久保さんは、高知の早明浦ダムのある本山村の出身で、若いときにはサハリンに父母が入植していて、戦後にリュック一つで帰還して美瑛で農業をしたそうだ。ひととおりの作物を耕作したが、1988年に農機具などの借金が嵩んだために思い切って農地を手放し、残った家と土地を利用して下宿を始めたそうだ。ちょうどその時に十勝岳が大噴火して、しばらく調査のために30人くらいの人たちが入れ替わり立ち代わり宿泊するという幸運に恵まれたそうだ。今でも年間1000人くらいが泊まるそうなので、500万円くらいの収入があることになる。素泊まりでほとんどコストがかからないので丸々利益だ。おじいちゃんが言うには、人生山あり谷ありだけれども、最後に良くなればいい。けれど、右も左もわからんような時に思い切って決断するのがたいへんだったと言う。最近は関西の人が減ったけど、逆に台湾や香港などの南方の人が、見たことないような雄大な北の台地を求めてよく来るようになったそうだ。私は何を決断したらいいのだろう。

925日(土)
8:20美瑛発
9:0012:00吹上温泉 入浴料600円、ビール400
  ここの温泉はめちゃくちゃ良い。サウナもあり、きれいな冷水もあり、露天風呂は男、女、共同の三つもあって、しかもそれぞれがめちゃくちゃ広い。晴れると十勝連峰を見ながら広い露天風呂には入れる。檜風呂も良いし、こんな快適な風呂に入れてとても嬉しい。宿舎は二段ベッドだけど、カーテンで仕切られてプライベートが守られるし、何よりきれいだ。温泉も露天風呂も含めて大規模でサウナもある。自炊もできて宿泊料の2600円は安い。十勝方面の宿泊基地にはこちらを使い、北は愛山渓のヒュッテを使おう。これなら真っ直ぐこちらに来ればよかった。私もこのような空間を作ってみたい。まずは家造りを習って、北の台地でゆっくりじっくりと自分のロッジを作り、家や家具や自分好みの風呂を作りたい。そして自然を満喫しながら、ゆったりとした人生を送りたい。そのためにも飛騨の訓練校や森林たくみ塾で修行し、その技術を海外にも生かし、スキルを身に付けて50歳くらいには北海道の大雪か知床で自分の気に入った快適な家を建てて暮らしたい。北海道らしいデザインの木のマグカップ、奈良で教わった木組み木工で作るとっくり、和風や流線型で高さも調整できるような行燈、素人がほとんど自分で建てられるような家作りのマニュアル作成、自治体とも連携して北海道移住のためのもっと安い建築の手助けを専門にすること、また、日本百名山の登山シュミレーションゲーム、世界の山登山のシュミレーションのできるホームページの作成など、パソコンでCG利用のゲームも作ってみたい。いつか実現できるように頑張って仕事をしよう。こうなったら残りの人生、とことん自分のやりたいことを追求していこう。
15:40札幌着 レンタカー(スターレット3日間)代19,950
 ガソリン(走行980km65.9L)代6,280
15:55札幌発JR1,040円、
16:30千歳空港着 ビール700円、旭川ラーメン等土産2,940
17:10発 空席待ちで便を早める
19:20関西空港 食事1,840
20:15発 バス1,300
21:10上本町着 ビール360
21:47五位堂着