1999年4月28日~5月1日「大峰奥駈 前鬼~玉置~本宮」

1999428日~51日「大峰奥駈 前鬼~玉置~本宮」(計19,830円)
428日(金)
12:32八木
 ザックを担いで大峰奥駈け完結のために前鬼に向かう。上本町で買った豚肉弁当を入れたまま、あまり胃の調子がよくなくて、大和上市を過ぎたあたりからようやくビールをちびちびと飲む。杉の湯で上桑原行きのバスに乗り換えてからようやく食欲が出てきて、車内で弁当を食べてしまう。
15:30鬼口             
鬼口でバスを降りて、売店兼食堂のような店で少し岳目の値段でビール2600円を買い、林道を歩きだした。途中の前鬼七重の滝は圧巻だったが、暗くなる18時までに着くことができるだろうかと心配で、先へ急ぐことしか頭の中にない。2時間歩いて林道から山道への分岐に着き、山道のアップダウンと暗くなる中を歩いて行くのはしんどいので、林道を半信半疑選んだのは正解だった。30分ほど歩いて行くと宿坊に着いた。まだ明るくてホッとする。
18:00前鬼宿坊 素泊り4,000
 宿坊は相変わらずきれいで、布団にはシーツもかけてあるし、水場も近い。トイレにはペーパーもある念の入れようで完璧だ。中には先に東京から来た夫婦の二人がいただけで、少し話をしたが、ビール2本と梅干を夕食代わりにして早々に寝ることにした。先ほどのバスの中で豚肉弁当を食べたばかりなので腹も空いていない。さらに重いザックを2時間半も担いで歩き、汗もかいてずいぶん疲れたのもあって食欲がわかないのだ。しかしなかなか寝付かれない。あんなに疲れていたのに・・・。夜中トイレに出ると、満月の月明かりでライトが要らないくらい明るかった。前回見た鹿たちは今日は姿を見せない。

429日(土)
 5:00起床、二人の夫婦も早々に起きて布団を畳む。私はきつねうどんとカップスープを食べる。
6:00宿坊発
 前鬼の5人の後継ぎで今日泊まった小仲坊以外の人たちの住居を見つつ、前にも来た憶えのある山道を登って行く。しかし雪解け間もなく、前回人が通ってから時間がたっているためか、わかりにくい山道に途中から鹿の道に迷い込む。戻るのが面倒で、このまま登っていけばそのうちに本道に出会えるだろうとタカをくくっていたら、しまいには行き止まりで藪こぎになる。何度も急斜面を藪こぎしていたら、やがて二つ石の標高も越え、周りの大日岳らしい山も見える尾根に出る。快晴で、そのままずんずん進んでいくと、またまたブッシュとなり、少し広い尾根道になったりしてたいへん苦労しつつ、それでも強引に登って行く。周りの稜線がだんだん同じ高さになった頃、目先の木が薄くなっていき、ついには尾根に近づき始める。そしてあっけなく本縦走路に出た。そこは太古の辻よりも進んだ所で、少し高台になったピークだった。そこから少し進むと石楠花岳に着く。
8:30石楠花岳(標高1472m
 名前の通り石楠花の木だらけだが、まだつぼみも見えない。1ヶ月くらい先に咲くのだろう。太古の辻から見た南奥駈けは笹が多かったが、何となく雑然としていて人の踏み跡が無いようにも思えた。しかし天狗までずっと気持ちのいい小笹の山道が続いていた。少し風はきつくて冷たいが天気はいい。途中でパーカーを羽織って歩く。
9:25奥守岳
9:45嫁越峠、北山村と十津川の間を嫁いでいったのだろうか。
10:05地蔵岳1464m
 少しずつ苦しくなってきて一歩ずつ進むようになる。快晴だったが、後方の釈迦岳の方から凄い風とどんよりした暗い雲が押し寄せてくるので不安になる。でも前に進むしかない。
10:30般若岳(1376m)頂上へ往復する気力が無く通り過ぎる。滝川辻も標識らしいものがわからずにずんずん通って行く。
11:00乾光門(剣光門、昔の宿跡)しんどかったが、水を飲んで休んだりしながらさらに進む。
11:30涅槃岳(1376m)
12:00証誠無漏岳(1301m)すっかりバテバテだ。
12:30阿須加利岳(1251m)遠くに聳えていた阿須加利岳に登り切る。頂上の少し手前に岩の間を登る鎖場があるが、思ったよりも恐くはなかった。
12:50持経の宿(1081m
 荷物を置いて林道を進み水場に行く。予想したよりも水量が豊富だった。平治の宿までは尾根をずんずん登る。けっこうバテていて疲れる。
13:5014:30平治の宿
 期待していたほどでもないが、けっこう小ぎれいで、トイレも水で流す水洗式だ。水場は2分ほど下った所にある。天ぷらうどんを食べる。まだ3時間歩かねばならないので、うんざりする。
15:00転法輪岳、ずっと手前に見えていた小さなピークか期待を込めて勘違いしていたが、遠くに聳えていた大きな山だった。
15:30俱利迦羅岳(1252m)ガレ場の鎖場から鞍部に登ったすぐ右が頂上。そこから怒田宿へはピークを3~4つ越える、長くてしんどい横駈けだった。行仙頂上のアンテナを遠くに見ながら、あそこまで行けるのだろうかと思う。途中で黄色いパーカーを着てストック2本で走って登ってくる人にすれ違う。私にはそのような体力も気力もないなと思いつつ、やっと怒田宿に着いた。
16:40怒田宿、水場は手前から下るように標識が出ている。ここで少し休んで一気に登ろうと思ったが、バテバテで全く進まず、10歩登っては上を見上げてうんざりするのを繰り返す。すごく長かったような気がするが、ようやく登り切った。
17:00行仙岳
 そこから下るが、10分ほどの近い距離ではなく、きちんとした山道をどんどん下らなければならなかった。途中ですぐに林道への分岐を越えていく。さらにずいぶん進んで、ようやく小屋の屋根が見えてきた。やっとのことで小屋に入る。
17:30行仙小屋
 小屋はある会社のおじさんグループが先にいて、目が沁みるような囲炉裏の煙の中で宴会をしている。私はここから5分かかるとガイドブックに書いてある水場に意を決して向かうことにする。地図の通りに笠捨山の方に進み、送電塔まで行ってしまうが、ないのでおかしいと思って戻る。すると小屋の前からすぐ左下に下って行く水場への道があった。ポリタンクを下げたまま降りていくが、5分どころではない。ずいぶん下っても着かないので、もういい加減にしてくれよと思うが水の音は一向に聞こえてこない。それでも仕方なく下って行くとやがて岩場になり、橋を渡って岩を回って行くとようやく着いた。ようやくの水場なのに水量が無く、神綱を越えて水場に靴をどぶんと入れて、ようやく奥の水の滴るところにしがみつき、水の滴る所にポリタンクを持って行くが、手をかざしても水量が少なくてなかなか貯まらない。しまいには左右の両手が肘までびちゃびちゃになる。満タンにするのにずいぶんかかった。ようやく水を確保できたけど、帰りがまた遠い。ただでさえ遠いのに、ポリタンクを下げたまま喘ぎながら一歩ずつ登って行く。先ほどの送電塔が遥か上方に見えた所から登って行き、ようやく小屋に戻れた。
18:10水場を往復
 小屋に戻るとおじさんたちが、もう水は汲んであったから言えばいいのにと歓待してくれる。山小屋を占拠してしたい放題のグループが増える中、嫌な団体で無くて良かった。五目飯まで二杯も食べさせてもらい、私は自分の持ってきた梅干を食べ切る。その後、焼酎のお湯割りとポテトチップスをもらって話をした。おじさんたちは会社の同僚でも、現役は二人だけだ。やがてそのうちの一人が毛布を敷き始めたので、私も荷物を早めに片付けようとしていたら、みんなも整理に取り掛かって毛布を敷くので、私は小屋の入口手前に毛布をした2枚にウレタンのマットを敷いてシェラフを置き、その上にさらに毛布を2枚上掛けする。しかし、こんなに水場が遠いといくらいい山小屋でも暮らすのはとても無理だ。トイレに行くとみんなもう寝始めている。私もヘッドランプを使って手帳に書いていたが、ついにはみんな電気を消したので私もシェラフに潜り込む。
20:00就寝、夜半22時くらいまではすんなりと寝たが、それからは眼が冴えて1時間おきに寝がえりを打つ。2時にはトイレに行くが、これだけ運動したのに張ったままのお腹をさすって再びシェラフに潜り込んだ。トイレに行った時の北の空は、月明かりのためか満天の星空とはいかないが、それでもあまりよく知らない星座がたくさん見えた。明け方こそ少し熟睡できたが、あまり眠れないのはどうしてだろう。

430日(日)
 5:00起床、おじさんたちが先に起きてあっという間に毛布を片づけた。私もクリームスープときつねうどんを食べ、準備を整えて「有難うございました。先に出ますが、バテているので追い越されるかもしれません。」とお礼を言うと、みんな応えてくれて、「私たちはじいさんグループだからゆっくりですよ。」と言ってくれる。今晩は花折塚あたりでテントを張るそうだ。ずいぶん疲れていてどうしようもないが、今朝は快晴で、しかも昨日と違って風も全くない。
7:20笠捨山(1352m
 まだ登り始めなのにずいぶん体にこたえるが、ピークを3つほど越えてようやく到達した所は、とても日当りが良く清々しい大展望の頂上だった。とっても良かった。こんなに風が涼しくて日当りも優しく、青い空だけの大展望ならば暮らしてみたくなる。こういうほのぼのとした情景がたまらない。さて、その先に進み杉木立の中をどんどん降りていくとやがて巻き道と出会い、さらに葛川辻に出る。
7:50葛川辻
 荷を下ろして水場に向かう。足場がとても悪い道だったが、10分弱かけて水を汲んで戻ってくる。そこで一人の男性とであい、さらには葛川辻でその連れの可愛い女性と会う。昨晩は風がきつくて、貝吹金剛の近くの林の中でテントを張ったそうだ。七越峰から来ていてずいぶん疲れたそうだ。途中の水場を親切に教えてもらい、先に出発した。送電線の下を行きつ越えつつして、地蔵の近くに出る。なるほど、昨晩の行仙のおじさんがしんどいと言っていた通りの登りだ。私は道なりに進むが、とても道が悪くて危ない所が多い。少し下ると、ずっと下りになっていて、巻き道だと思いラッキーだと思うが、危なくて険しい山腹をずーっと廻ったら、ついに頂上への分岐に出る。先も長いし、もうとてもしんどくて、登らずに下って行くが、あまりに長く下りおかしいと思うようになる。ジグザグの道をずっと下って行くと二人の夫婦に出会い、聞くと、ちょうどそこが葛川辻との合流する道で、上葛川への下りの本道だったとわかる。少し進むとまた地蔵に登る道があると聞き、しばらく行くと水量のとても豊富な沢に出る。そこからの分岐で迷うが、上への登りの道を選び、山の職人たちが働く杉木立を登って行くと、送電塔も越え、ようやく縦走路に出た。そこからは緩やかなアップダウンだが、疲れているのでヘトヘトになりながら香精山に着いた。ずいぶん廻り道をしたような気がする。
9:40香精山(1122m
 そこからは巻き道を使わずに牛の尾根を通るが、貝吹野のすぐ上から一直線に下るので、少し恐くてしんどかった。巻き道の方が安全だった。
10:20貝吹之野
 さらにそこからは、ゆるやかだけどとても長い下りで、足にマメはできるし、踵も擦りむいたらしくてとってもしんどかった。近いはずの古屋宿跡は結構遠かった。
11:05古屋宿跡
11:30岩の口
 熊の罠のような木組みがあり、鬱蒼とした杉木立の中で落ち着かない。そこから延々と歩くのかと嫌になるが、進むしかない。やがて林道に出会い、ゆるやかな登りを歩いて行く。しかし太陽が照りつけて足は登りでだるく、ホトホト嫌になり、しばらく登ったところにあったパレットの積んだ上に乗って30分くらいウトウトと休む。それからまた熱いコンクリートの上をずいぶん歩いて、花折塚の近くに着いた。
13:00花折塚
 そこからは林道の脇の杉木立の中の涼しい山道を歩く。もうあまりアップダウンは無い。ゆっくりゆっくり進んでいくとまた林道に出会い、向こうの方に見晴らしの丘が見えてくる。休もうかと思ったが、すぐ近くに頂上が見えたようなので進む。しかし飢え(カツエ)坂には参った。小笹の繁るとても緩やかないい坂だけど、疲れているのでほんとうに辛い。何度も休んで、やがて駐車場から道と合流して、少し歩くと誰もいない玉置山の頂上に着いた。
14:05玉置山頂
 間もなく急坂を神社の方に向かって降りていくが、下りの方がしんどくて辛い。10分ほど休みながら大きな御神木の杉まで急降下し、ようやく神社に出る。
14:20玉置神社
 まずはご参拝し、その後、下のところの水場で水をいっぱいに汲む。
15:00意を決して神社の人に宿泊できないか聞くと、本当は駄目と言われる。しかし、バテバテで廊下でもいいのでと頼んだら許してくれた。御礼も良心的で1000円位の寄付でいいと言ってくれる。700円の酒を買って2000円渡して泊まらせてもらった。まだ部屋は使っているとのことで、そこが空くまで神社の日当りのいい所で1時間強待つ。待つ間に靴下を抜いて靴と一緒に干し、先ほど買った酒をちびちび飲みながら明日の行程を確認する。
16:30玉置神社の宿泊させてもらう部屋に案内される。その部屋は炬燵もあって、なんとお茶まで出してくれていた。ほんとうに至れり尽くせりのおもてなしで感謝するしかない。ここは500年前に造られた神社だそうで、道路もないのに標高1000mの所に造ったそうだ。
17:0017:30部屋でお湯を沸かし、赤飯にお湯を入れてできあがるのを30分待つ。さらに味噌汁とラーメンも作って赤飯と一緒に食べる。炬燵が暖かくてとても気持ちがいい。食事を終えて片付けをし、トイレに行って帰ったら18時になった。そして布団に入ってこの記録を延々と書いている。ここに泊めて頂いて本当に有り難い。明日は4時前に起きて、少し明るくなる前には出発して、早く本宮まで歩いて行こう。
19:00就寝

51日(月)
5:10神社に御礼の参拝をして出発する。
5:30玉置辻
 登りになると既にしんどい。杉林の中を一歩ずつ登っていく。
6:40大森山
 長い平らな尾根だが、落ちている杉の葉のせいもあるけど、人があまり入らないようなあまり整備されてない印象受ける。台地の端に来ると急降下が始まってまた疲れる。
7:20笹尾辻、人気がなく雑然としている。
 そこからのアップダウンは少しの高低差でもしんどい。樹林帯で先が見えず、行っても行っても次のコブ(峰)が現れて嫌になる。そのうちに予想外の場所で五大尊岳に着く。
7:50五大尊岳(790m)水をがぶ飲みしてしまう。
 そこから少し登っていくと825mのピークに出るが、そこから蟻の戸渡りという急降下の難所が続く。樹林の急坂を嫌になりながら300m以上を木にしがみつきながら下っていく。とても嫌いな山道だ。やがてようやく傾斜が緩やかになってホッとする。
9:00金剛多和宿跡
 静かな樹林の中でお参りして、少し休んで水を飲む。そこから大黒天神岳への直登を避け、大黒天神の水を飲むために分岐を巻き道のほうに進む。すぐに水場に着いたが、苔岩の間を滑り落ちる水で期待外れだった。でも仕事ができて商売繁盛なるように祈って口に含む。それが大黒天神の怒りに触れたのか、そこからの巻き道はだんだん土砂崩れで悪くなり、ついには大崩のところで道に迷ってしまう。崩壊したガレ場を上に登るが、道らしきものはない。おかしいと思いながら戻るべきか否かを考える。とりあえず、道のあった最後の地点に下ってみると、木に桃色の紐が括りつけられていて、下に降りて向こう側に渡り、再び判りにくい道に出る。そこから少しでまたもとの道と合流するのかと思いきや、何度も谷を越えて尾根を横切っても道はますます悪くなってきて、イライラする。途中でようやく分岐に出るが、下の方への道はとてもひどくて、すぐ上に登ることにした。するとすぐに送電塔に出るが、そこからはまた悪い巻き道をずっと歩いて、また2,3度尾根を越え、ようやく左の方の尾根の傾斜が緩やかに下ってきて安心する。合流したところは分岐になっていて、頂上への道と一緒になる。しかし不親切な案内板だ。これも大黒天神様がそんなに物事は簡単にいかない、逃げずに頂上へ一歩ずつでも登って越えていたらなんてことは無かったのだと警告しているのかもしれない。仕事もそうだと示唆しているのだろうか。さて、その辺りからは時々まるでガーデニングに出てくるような、はっとするつつじや新緑のトンネルの山道で美しい。しかし残念ながら長くは続かない。何とかピンチを脱して本道に戻り、ずんずんと下っていくと、ようやく平坦なところに出た。
10:30山在峠
 そこからどうしようかと思ったが、どうも手持ちのガイドブックの地図や説明が大雑把でよくわからない。道標に従って行くと、本宮、七越への道は誰も通らないので荒れていてよくわからない。頭にきてすぐ上にある林道を歩く。そのような標識をつけておいて欲しい。次に林道が左右に分かれて迷うが、左の七越方面に進む。吹越宿の標識のところで右上に階段があり、そこを少し上ったところに、さらに右に行く案内が出ている。見ると右は下向、本宮と出ているので、迷わずにそちらに向う。当初はいい道だったが、標高がどんどん下がった最後の方は道が荒れて、木の上を飛び越えて何とか林道に出た。その林道をしばらく左方に進むと、道路工事の現場に着いて、おばあさんに聞いたら方向は間違っていなかったようだ。橋に出て川を渡ると、下向橋のバス停だった。時刻を見ると10分後に本宮方面へのバスが来るので、シャツだけ着替えてバスに乗車する。
11:34下向橋バス停 バス150
11:40熊野本宮大社前バス停
 トイレで汗まみれの服をすべて着替えて、ザックを置いといて長い階段を上り、念願の本宮参拝を果たした。
12:10本宮大社参拝
 熊野本宮は崇神天皇の頃からのゆかりで、伊勢七度、熊野三度と言われるくらいお参りが重要視されている。歴代の天皇上皇が何度もこの霊験あらたかな場所にお参りしている。その後の徳川家斉の時代に、将軍命令で紀伊藩主が川の中州中央の大斎原に社を建立したが、明治23年の大水で流されて、現在の川岸に再建されたそうだ。主神は木の神であるスサノオノミコトだ。紀伊の国というのは木の国という意味だそうだ。神様に亡くなった祖母への不義理のお詫びを伝え、父母をはじめとする家族に心配ばかりかけている我が身の不徳を反省し、少しでもまともな人間になれるようお導きをお願いして参拝を終了する。
12:40本宮大社前の喫茶店 焼肉定食800
13:50熊野本宮大社前発 バス840
14:27十津川温泉、公衆温泉300円、ビール・お土産1,660
15:48発 バス2,700
 バスに乗ると、途中から前鬼で一緒に泊まっていた夫婦が乗りこんで来た。翌日は平治の宿に泊まったそうだが、そこには行仙の手前ですれ違った黄色いパーカーの男性も泊まったそうで、彼は昼食はカロリーメイト、朝はラーメンとカンパンというような軽食だったそうだ。この夫婦は翌日に笠捨を越えて行ったそうだが、あまりのアップダウンに嫌になったそうだ。そこで地蔵から貝吹野に降りて上葛川の民宿で1泊し、さらに翌日に私が玉置神社から本宮めざしていた頃には、玉置山までは登ってみたものの、もうそこで嫌になって折立に降り、温泉に入ってバスに乗り込んできたところだそうだ。それを聞くと、私はよく本宮まで縦走できたものだと思う。それと3日間とも快晴に恵まれたので幸運だった。これで大雨に降られたりしていたらとても本宮まで我慢して行けなかったかもしれない。今回も紙一重のところで完登し、目的地へ辛うじて到達できたのかもしれない。本宮大社は立派な神殿だったが、その周囲は思ったほどは賑やかでなく、食事するところも少なかった。温泉もバス停近くにある十津川の方が時間を潰し易そうだ。水の不自由な田舎暮らしはいやだとも思ったが、帰りのバスから見た山の中腹にある民家が新緑に包まれているのを見ると、やっぱり暮らしてみたくなる。
18:40五条 巻き寿司720
19:00発 JR480
19:32高田
19:56大和高田
20:00五位堂着