「おじいさんの台所の死」1993年4月10日 佐橋慶女

   おじいさんの本音と、終末期の世話をせざるを得なイメージ 1かった子供からの本音が書かれています。おじいさんが日記に綴った本音は、子供は掃除や洗濯、食事の洗濯をさっとまたたく間にしてくれるのは有難いが、じっくりと話し相手になってくれない。家事なんかはどうでもいいから、対等に話を聞いてくれたり、世間の情報を話して欲しい。誰もこの老人の気持ちを理解してくれようとしない。本心は自分の家にいたいが、子供は誰も戻って来れないし、この家で面倒見てくれるものがいないことが私の一番の不幸な点である。ここに家族に囲まれて住むという幸せな老父になれなかったことが不幸の所以であり、息子を頼りにできない私の人生は失敗であり、不幸な人生だと思わなければならない。しかし、このように息子たちの家族と一緒にいたいと夢見ているが、だけど待てよ。食事の味のつけ方が不満であっても、寝起きの時間に気配りがあっても、おじいちゃんの後の風呂は汚いと孫に言われて後に入る遠慮があっても、いちいちどこに行きますと断る面倒があっても、食べたいものが食べられなくても、何事も我慢することだらけでも、それでも同居したいと夢見るだろうか。これが毎日毎日だったら、双方に飽きがきてうまくいかなくなることだって出てくる。我慢と忍耐はそんなに長くは続かないから。気まずくなっても逃げ場がないから、気づまりになってしまう。たった二三日でも、食や味の献立に遠慮して我慢して食べていると、早く一人になりたいと我がまま心が生まれてくる。風呂だって老人が先に入るとお湯が汚いと嫌われて・・・遠慮が要る。おじいちゃんは口が臭い、頭の毛をよくシャンプーしなさい・・などなど、うるさく言われると、孫でもムッとするものだ。こんなことを考えると、やっぱり一人暮らしがいいとも思うが・・・。
 逆に、このおじいさんの最後のお世話をすることになった独身の著者からの本音は、親の世話は一番身軽な子供にすべて押し付けられるのに、残されたものを始末して配分する時には平等に、いや、独身で家族なきゆえにむしろ軽くあしらわれてしまう。親たるもの、「最期をみてくれるものに、一番厚く」生前、随時に有効なる書き物にしておかなければならない。この頃はすべて平等が原則になっているが、体験者からすれば、これはおかしなことである。特に財産のこと、その分配がいちばん大切で、仏壇や位牌などの取り扱いも軽視できない。殊に本人に死の予兆がある場合には、周りは死の宣告をするような罪の意識が働いて、どうしても必要なことを口に出しそびれ、暗黙の了解のまま放置してしまう。その暗黙の了解が間違いの元になる。残されるもの、逝くものが死をもっと重く見、まだ元気な生前のうちに、いずれは誰しも覚悟しなければならぬことについての決定を遺しておかないといけない。
父であるおじいさんは病院に入るのを拒んだ。家で死にたいと願っていた。しかし、我が家で家族に看病されて逝くのが果たして本人にとって最高なのかどうか。父の場合は望みどおりにできなかったので悔いとして残っているが、他の人の場合はどうなのか。それぞれがときの情況に応じて判断し、決めていくほかには術がないとしか言いようがない。家族があり、子供があり、財産がある人ならば、思いのとおり、死にたいところで死んでいくのもいいことだ。迷惑を周囲にかけない限り思いのまますることが最善かもしれない。けれども、家の畳の上がいいか、ホームや病院のベッドで死ぬのがいいか、どちらが幸せなのかは残されたもの、死を看取る側の判断に委ねるしかないと思う。生きている間に、死に方、生命の引き際のことを十分話し合っておくことも大切だと思う。生前に聞いておかなければならないこと、言っておかなければならないこと、話し合っておくべきことはたくさんあるというのが、父や親しい人たちの死に直面して深く考えさせられたことだ。それをきちんと文章に残しておくことが大切だ。多分・・・と互いに推察し、思い込み、自分の物差しで測ってしまうと、問題がいくつか残されてしまう。あとでそのことを考えればいい・・・ということが、死後に大きく響いてきてしまう。