「隣の国で考えたこと」岡崎久彦 1983年7月10日

  韓国と言えば、マスコミからの情報では、イメージ 1元徴用工強制労働や従軍慰安婦の賠償請求でいつまでも経ってもゆすりを続けるようなややこしい国民だという印象を受けざるをえません。貧しさから被害者面して金持ちの日本から少しでも金を出させようとごねまくっている、そんなイメージです。また、植民地化で日本がわが身を削って多額の投資をしたからインフラが整備されたのだと、日本のすべてを否定するなら、その投資を返してから文句言えよという反論にも一理あるように感じていました。
 しかしこの本を読んで、事実な何なのか、彼らの立場もまずは理解しないといけないと反省しました。著者はイギリス、フィリピン、アメリカ、韓国の大使館勤務を経て、在アメリカ大使館公使、外務省調査企画部長を歴任し、日本を含めて各国の状況を客観的視点で見ています。
 たとえば日本人の特徴を子供に例えると、幼年時代から小学校を出るまで近所の子供と遊ぶことを一切許さず、両親の厚い保護の下で育てられ、中学校から急に社会生活に入ったけれども、友達と付き合うよりも試験勉強に打ち込んで、試験毎に他人の羨望するような成績を上げていった子供と思えば良いと評しています。そういう子どもは自己中心的で、他人の気持ちが全く分からず、周囲との調整が不得手で孤独に悩みますが、他面、個人の能力では他に優越し、その間の感情で揺れ動いているような人物のはずです。チヤホヤされればすぐにその相手を度はずれて好きになり、ちょっと嫌われるとプライドを傷つけられて不和の関係を増幅してしまう性格でしょう。要するに、近所迷惑な人物で、それが日本の姿なのです。
 韓国との嫌悪関係も、韓国についての日本人の無知もひどいものですが、韓国の方々の日本に対する知識も一部に偏っており、別の意味で問題があります。戦後の日本は幕末から明治を経て戦前まで連続していた韓国を植民地とした古い日本とはまるで国が違ったようになっているのです。韓国の年配の方が記憶している日本とはまるで違うということをわかってもらうよりほかありません。
  日本人が無知であることの例として、韓国を併合したことについて、日本では合意の下で保護条約を結んだということになっていますが、実際は猛烈な抵抗もあったのです。しかし、対外開放が遅れて国力が低かった韓国は抵抗できる力もなく、半ば強制的に併合されて独立を失ったことも、歴史を普通に考えれば理解できることです。日本が韓国を併合しなければロシアの植民地になったという議論も、ロシアが領土としようとしたことには異論はないものの、それでは日本は併合しか選択肢がなかったのでしょうか。それ以外に韓国の独立を保全する選択も理論的にはあり得たはずです。韓国の独立保全を旗印に日清、日露の戦争を戦った日本が、勝利して優位な立場になった途端に併合してしまったのは、韓国の多くの人たちが背信と受け取ったのも当然です。善意の日本人の中にも同じ気持ちの人がおり、東洋平和と韓国独立に貢献しようとソウルに通信社を設置した西阪豊も、志と異なる保護条約調印に失望して割腹自殺をはかりました。もし日本が、韓国の独立と近代化を一貫して支持し、その政策の枠の中で後の韓国の指導層を盛りたてていれば、韓国の民心が一変し、日本と協力しての近代化する方向に流れた可能性は充分あったでしょう。
  伊藤博文を暗殺した安重根はテロリストの一言で斥けられますが、約束に反した強引な併合への抗議だと理解すればどうでしょうか。彼は特に反日的な人物であったわけではなく、裁判での抗弁も終始理路整然としていて、単に自己弁護ではなく、深い信念に基づくものと解せます。日本の原罪は、それまで二千年間他国の属領になったことがなく、現に独立していた国を、その意思に反して併合したということで、あとはいくら善政を行っても、その恩で恨みを消すことはできないのです。一度他人の自由を強制的に奪って奴隷にした以上、その自由を奪われた人にいくら前より美食や美衣を与えても、やはり恨みを消すことはできません。その恨みが消える時期が来るまで、与えた衣服の生地の質や仕立や、自由を奪われる前の衣服との比較はどうだなどと言ってみても、感情的なしこりはひどくなるばかりで、何も建設的なことはないのです。
 要するに、韓国の歴史は、植民地時代の故意の抑圧と無関心によって、一般の人々の中に基礎知識が甚だしく欠如し、戦後の政治的・心理的な複雑で面倒臭い背景から敬遠され、異常な空白状態に置かれています。むしろ、植民地化する前の明治の人達の方が韓国のことを良く理解していました。日本海海戦に勝利した祝宴で、東郷元帥がネルソンや李舜臣より偉大だと賛辞を贈られたところ、東郷元帥はきっとなって、李舜臣は自分と異なって、自国の陸軍は負け続け、背後に自分のような国民一致の支持もなく、党争も足を引っ張る中で勝ったのだから、自分など到底及ぶ所でない名将だと述べたそうです。
 韓国と日本は長い歴史の中で対等に付き合ってきました。むしろ近代以前には日本の方が大陸の進んだ文化を教えてもらっていました。日本も維新の時代、尊王攘夷の旗頭の薩長が外国との戦争に敗れ、西欧文明の威力に目を開き、一転して尊王開国となりました。もし一時的にも英仏に勝利していたら、日本の開国は遅れていたでしょう。日露戦争に日本の近代化が間に合ったのはギリギリのタイミングだったのです。一方、韓国は、アメリカを基準にすれば西欧との接触が日本より20年近く遅れ、開国は30年近く遅れました。これには地理的に日本への接触が先になったという理由もあります。また、大型船がソウルなどの内陸都市に近づきにくいことや、偵察に来た米仏艦隊をたまたま斥けることができたのも、返って開国を遅らせました。しかし、近代化に一歩遅れたために劣等民族扱いされたその無念さ、屈辱感、怨根は想像にあまりあるものがあります。
  最近の若い韓国人の中には、何の先入観も持たずに日本を理解しようと来る人もいますが、何よりも日本人の優越感にコツンときて、これに反発しているうちに日本人の韓国蔑視観、偏見、差別のどうしようもない深さに気がついて、日本人を本当に憎むようになり、反日になって帰国します。そして日本人は韓国人が日本人を憎むということが原因で、韓国人を憎み返すことになります。韓国も今ひと息経済成長を続けて、在日韓国人が何も蔑視に堪えて日本にいなくとも、韓国でも良い就職の機会があるようになれば、日本に居残るかどうか別にして、蔑視観も自然に無くなるのではないかと思います。そして、この経済発展に日本が積極的に手を貸すことは必要なことです。韓民族は日本の助けがなくとも早晩は日本との差を詰める意志と能力を持った民族です。それを助けるのは、民族的にもたった一つの親類の国である日本であるというように考えるべきではないかと思います。韓国の近代化の最後の仕上げに日本が手を貸したということが、日本に対する韓国の怨根をも最終的に過去のものにすることを期待します。