「凍」沢木耕太郎 2008年11月1日

 イメージ 1山野井泰史と妙子夫妻が、ヒマラヤの高峰ギャンチュンカンに登り、前後9日間に亘る不屈の戦いで登頂を果たしたものの、双方とも足や手の指に重い凍傷を負って帰還したノンフィクションです。どれほどの困難を伴ったかは本文にあるとおりですが、人間の身体としてこれは驚嘆すべき偉業なのです。
 ただ、解説した池澤夏樹氏によると、もう一つの点でこの記録に心動かされるのは、彼らが真の意味で自由なことと言います。人生を設計し、あることをするのに他人が提示する条件を容れた方がずっと楽だという場合でも、苦労を承知で自分たちだけでやる方を選びます。彼らは、頂上を踏もうと意思する者が自分たちだけで身軽に登り始めて、速攻で登ってすばやく降りるアルパインスタイルを選択した登山家です。登山隊という組織を結成して大人数で分業して一部のものが頂点を目指す極地法ではなく、困難な場面でも行くか戻るか判断するのも自分たち、すべてが自分の中で完結しているから自由な登山になります。有名な植村直己は、単独行のイメージが強くあります。彼の時代には極地法が主流で大規模な登山隊に参加しましたがうまくいきませんでした。我儘な性格というのではなく、植村氏はむしろ献身的過ぎたのです。率先して荷揚げに務め、目立たないように働き、最後の登頂も人に譲る気でいるのに、その段階になって体力を残しているのは彼一人。それで登頂に成功すると自分の名前ばかり報道されて困惑し、一人でやった方が自分に合っていると納得して集団の登山をしなくなっていったそうです。山野井夫妻は名誉欲で能力以上のことをやるようなこともなく、山に登る喜びは自分たちの中で完結しており、七大陸最高峰制覇などという、登ったという事実を作るためだけに面白くない山に登るのは好きではないのです。
  このような彼らが手足の指を失うくらい賭ける山はいったい何なのでしょうか。単なる達成感だけでは理解し得ません。