「アウトサイダーからの手紙」犬養道子1990年3月10日

  イメージ 1著者は大正10420日生まれで、犬養毅の孫です。津田塾大を中退して欧米の大学でまなび,各国を歴訪。昭和33年「お嬢さん放浪記」を発表。社会,文化,女性など幅ひろいテーマで評論活動を続け、私たちが日本に住んでいて当たり前だと思っている習慣が海外から見るとどうなのか、何が本質なのかをよく考えさせてくれる本です。
この本は1983年に書かれましたが、あとがきに、日本人、わけても大都市に住む日本人の、住は、食は、発想法も戦後人工的に作り上げられた面を多分に持つ慣習も、このままでよいのだろうか。特に老人問題の解決への線上にある共同生活の根本的要素は、現状を放置する限り、建物をいくら建てても作り出せないのではないかなど、相当前から30年以上経過しても変わることのない今の問題を本質的に見通しています。
日本に久しぶりに帰って来た時、あらゆるものの騒音がひどいと感じた。新幹線の中でもひっきりなしに通る売り子の掛け声。もしそれを廃するとすぐに考えられるのは、「せっかく土産を買うつもりだったのに、黙って通ったから気がつかずに買えなかった」という苦情だ。電車で忘れ物をした時、自己責任だということを「そりゃ私も悪いでしょうよ、忘れたんだから。でもね、一言、忘れ物をしないように、席の上や下をよく見て下さいとアナウンスしてくれたら、わたしだって・・」と駅員に血相変えて文句言う女性。「アナウンスはありましたよ。うるさくって嫌になるほどありましたよ。忘れものをしないようにって」と口をはさむと、「いいえ、私には聞こえませんでした。聞こえるようにアナウンスするのがサービスじゃありませんか。この忘れもののね、半分の責任は国鉄ですよ。」冗談じゃない。オピニオンリーダーであるべきの新聞でさえ、その気はうかがえる。子供がデパートのエレベーターに足を取られて巻き込まれてけがをした時、その母親がいかに注意深かろうと、そのエレベーターが世界一の質であろうと、そういう災難はありうる。生にリスクは付き物で、リスクを全部なくそうとしてかかったら、生は委縮して病んでしまう。「日本人の甘えの構造」で、こちらは考えなくても良い、公共団体や交通機関や企業がきちんと先手を打ってやってくれる、誰かが言ってくれる、叫んでくれる。それが当然なすべき正当なサービスだ。親切の表現だ、正当なサービスなら多ければ多いほどいい。そんなことになってしまう。
好むと好まざるとにかかわらず、老人が増えていく時代にあって、一人に一人の付き添いなど考え得べくもない。二十世紀の夥しい人間は、いつか共同生活の老人ホームに行くに違いない。それなら幼い時、若い時から「共同生活」のための躾と訓練をしておかねば、自分も耐えられず、他人も傷つける不快・孤独のさみしい老後を自ら作ってしまうのではないだろうか。
私の住んでいる数人の老人が住むスイスの下宿は、彼女らが共同生活をうまく暮らしている。まず波風を立てない。愚痴を言わない。彼女らはここにいつまでもいるのだ。だから、噂うわさに時を使い、好みに合わぬ献立を一いちあげつらうことほど、共同生活を嫌なものにしてしまう早道はないと知っているのだ。それは言いたいことを我慢しているような次元ではなく、神が私のような至らぬ者すら受け入れて下さった、だから互いの至らなさをあげつらうより、互いの善さを見出してお互いに受け入れ合う、キリスト教への深い信仰心が根幹にあって、ひとりひとりを共同生活の健やかな一員にしているのではないかとしか思われない。
その老人ホームは、フランス語の最後の磨きや栄養士の免状を取るための寄宿生の実習学校が別棟にあり、その学生らが老人たちの援助をする。経験のない十七、八の少女は、実際に老人に接することで多くのことを学ぶ。家政学校実習と老人ホームの組み合わせは実に巧みだ。幼稚園も隣にあり、幼児の遊び場とホームの庭は続いていて、幼児はそこにおじいちゃんやおばあちゃんがいて見てくれているのが嬉しく、老人も幼い子らの遊びを眺め、時には一緒に遊んでいる。しかしそこには、西欧的な合理精神による、いい意味での割り切りがあり、べたべたしない。ここは「老人ホームの施設」ではなく、「家庭」なのだ。何も家政学校に限らず、日本中夥しく散在する女子学校や花嫁学校に隣接し、そのなかに溶け込む形で中産階級の老人ホームをあちこちに作ったら、ひとつの解決の道が開かれるのではないか。日本はきちんとしたことが好きで、幼児は幼児、青少年は青少年、老人は老人と、皆が区切ってまとめてしまう。あまつさえ、「若者のそばに老人に来られちゃ困る」などという考え方すら持っている。日本では「学費払っているのに、うちの娘は見ず知らずの他人の老人の女中代りにされている」とか、娘本人も「老人の便器まで洗わされた、ひどい」などと親の前で叫び出しかねない。老人の側からも「教材にされてるのだから、もっと家賃を安くしたらどうだ。」とか言いかねない。
今のままで行く限り、日本人が老人ホームの共同生活に入る日は「覚悟の要る日」であり、老人ホームは「頑張って耐える」場になりがちなのではあるまいか。我慢も不要の、共同生活とは名ばかりの自分勝手を享受できるのは、大金を持つ老人だけではないのか。
また、日本人は何かにつけて「頑張る」ことを奨励する。それでは長続きしない。がんばるは頑なに張り詰めるということで、そのような凝り固まった心身では能力は発揮できない。だから我慢は頑張りでは不可能で、むしろ、さらりと、淡々と「自分を忘れる」とき、可能になる。頑張りは閉鎖で、自分を忘れるのは開放、方向は180度違う。
食事一切つき特別老人ホームに入るのを勧める世話焼きもいるが、日本の微に入り細をうがつ管理は、何のことはない、全体主義的統制に等しく、放っておくことイコールサービスとは天地の隔たりがある。ヨーロッパでは考えられぬ大金を入所金とやらの名目のもと支払う。中に入ってみても驚く。こう奉られて、大事にされて、裏から言えば縛られるんじゃないかと思った。それでいて、欧米では想像もつかない野放図はちゃんと残されている。一握りの施設の見学だけで一概には言えないが、自由と規律の土台観念が出来ていないのではと結論付けた。それとなく聞いてみると、出身校などで知らぬ間に「閥」ができているらしい。そんな所に入ったら私の肺機能は一週間で活動停止する。スイスでは、規律といっても、朝は大人数のコーヒーが沸かしていて、パンとバターとジャムと果物が置いてあるだけでいいのだ。コーヒーが嫌な人は自分でお茶や紅茶の葉を持って行って、自分で淹れる。コーヒーを飲まないのだからその分金を返せなどと細かいことは誰も言わない。そのような大雑把だから、長続きするのだ。
また、日本から旅行で来ている老人の集団の服装など全体のイメージや、案内されたことのある日本各地の老人ホームは、記憶に残された色彩が暗く地味に徹していた。拷問で有名な国の政治・思想犯の最たる拷問の一つは、無色(人間の眼と心理に無色と感じるのは白に近い灰色だそうだ)の部屋に人を入れて、常に300ワットの電灯で照らし続けながら放っておくことだそうだ。数日ののち、いかに強健な精神の持ち主でも正気を失う。その「無色」「灰色」に極めて近いのが、日本の「老人の色」「老人ホームの色」なのではないか。友人や知人たちが一人また一人と欠けていく寂しい年代に入った人々が、生彩に乏しい「暗い地味な色」「中間色」「であるというのは、いっそ酷なことだ。