「ピカソ」 2000年10月16日 飯田善國著②

「立体派」は「青の時代」や「桃色の時代」から決定的に飛躍して、感情と決別して、ロマン主義と別れました。19世紀末に出現した流派で感情を動機としなかったのは後期のセザンヌとスーラーだけだったので、その意味でもこの二人が立体派の先駆者と言えます。イメージ 1セザンヌは近代の終わりであり、現代の始まりで、解体は彼から始まりました。彼の言葉で有名なのは「自然は球体、円錐、円筒として取り扱わねばならない」です。立体派の教義に利用する意味で言ったのではありませんが、自然を雑多な外観に迷わされることなく、本質的な構造または構成としてならばそう見えると言ったので、サント・ヴィクトワール山は無数の球・円筒および円錐のこだまし合う複合体として表出されています。これらを無限の一点で結合させるために強調されているのが、彼の画面全体を見えないリズムと緊張で内側から規制している垂直性です。ただ、ある意味でセザンヌは最後の遠近法主義者です。しかし、彼の遠近法は非情な対象によって分断されており、中心点はあるにはあるものの正確には曖昧です。もはや、レオナルドなどの遠近法とは異質なものです。近代の安定した遠近法の絵画はすべて事物の個別性を前提にしていました。しかし、後期印象派のゴーガンやゴッホはそのあたりが怪しくなってきます。ゴーガンの世界では事物は色面のアラベスクによって境界が曖昧となっており、事物の個別性は不確かなものと成ります。ゴッホでは、彼の激しいエートスによって事象の一切は内面化され、事物は虚無を通っての永遠、永遠によって粉砕される虚無に向って運動させられます。このような中では事物の個別性は無意味です。ゴッホの絵画の本質は、事物の個別性を超えることにあり、彼のエートスが事物の個別性を破壊して、事物全体の融合、あるいは流動化による運動へ向わせました。これは事物の個別性を明確化する方向とは逆であり、ゴッホ20世紀へ一歩踏み込んだ意味です。セザンヌ1898年から数年にわたって描かれたサントヴィクトワール山とシャトー・ノワールは、個々の事物の個別性は辛うじて残っているとはいえ、もう名目だけのものとなっているのがわかります。さらに1903年から4,5年かけての風景画は、事物がもはや一つの符牒、あるいは記号ごときものとなります。後期印象派の画家たちの作品において、いずれも事象の個別化が曖昧となり朦朧となってゆく事情は、偶然の一致といったものではなく、何らかの時代意識の変動と傾斜があったと見なければなりません。ゴーガン、ゴッホセザンヌ3人は、その無意識の、予期しない先駆的表現者だったのです。セザンヌの描く絵は事物の個別性の明確化という事態からは遠ざかり、無数の色面の筆触の内部に事物の個別性はゆっくりと埋没していきました。彼は自然の真実を追求しているうちに、意図しないまま物質を発見してしまったと言うかもしれません。物質とは個別性を持たない、最後は素粒子とかエネルギーに還元されてしまう非存在です。個別性の解体が世紀末の必然であったとしたら、それを極限まで推し進めたセザンヌピカソやブラックに発見されるのは時間の問題だったかもしれません。ピカソは「物質」および、その形態または存在様式としての「物体」を掴み、それを絵画の中に投げ入れました。このようにピカソやブラックは、セザンヌやアフリカの彫刻の中に今までの美術に存在しなかった事物の新しい見方(視覚の方法)を発見しました。彼らの絵を審査したマチスが、「あなた方は四次元を探しているのですね」と言って「小さな立体」と記者に語ったのが立体派命名の由来と言われています。
 さて、作家が事物の全面を描きながら、心の奥の深層では事物の見えない背面をも描出したいという熾烈な願望を抱き続けているように、絵を見るほうの側にも似たような衝動が匿されています。画家が見えない事物の背面を描こうとしてさまざまな工夫を凝らしてきた上で、見る人間もまた描かれた事物の背面をも見たいというひそかな衝動を作者と無意識に共有することになります。しかし、キュビズムが事物の前面と背面図、さらにでき得れば側面図をも結合して、事物の完全な三次元解体と再組織を成し遂げたと主張したのは、理論家の過信と鑑賞者の思い入れの相乗作用かもしれません。そのような理論的には可能で、ピカソやブラックもやろうと思えばできたのに、彼らはやらなかったのです。ピカソは、従来の絵画の「眼だまし絵」だったことに飽き足らず「精神だまし」の絵をやってみたかったと語ったことがあります。鑑賞者がキュビズムの絵に対象の背面まで描きこまれていると安易に信じ込んだとすれば、この事態にほくそ笑んでいるかもしれません。解り易く言えば、六面体の箱を平面に図示しようと思えば、それを分解して同一平面上に並べればいいのです。ピカソがそれをやらなかったのは、その作業が易し過ぎたからかもしれませんし、他の理由があったのかもしれません。分析的キュビズムがやったのは、対象を多視点から眺めることであり、そのフォルムを分析して、それらを再び同一平面に組織することでした。対象が多視点から眺められるというのは、そこに異なった時間の流れが同時性として多層的に空間化されるということでした。一見同時性として一元化されて見える時間が、多元化されて、同一の空間に匿されていることを意味し、それぞれ異なる時間が画面の中の分割された平面に隠匿されていることになります。それを眺める者は、そこに隠され、空間化されている時間を順を追って体験していくことを意味し、視覚による歩行、あるいは視覚による肉感的な時間体験となるのです。このことを最もよく示してくれる実例が「セレの風景」で、本来人間の眼から透視できない風景の多元性と多層性を様々な視点から眺めた部分の風景として分割し、その部分部分をもう一度ひとつの画面の平面上に、平面の連続として感受し得るように再構成したものです。したがってこれを見る人は、視覚の歩行者としてこの絵の任意の部分から歩き始め、この風景の内部空間を視覚の肉体を通して順次に一つの記号から次の記号へと歩行して行くように誘導されます。これは実に不思議な、そして素晴らしい時間経験となります。ここでは時間と空間の経験は統合され、同時的な時間・空間経験となり、今までの写実主義絵画では決して味わえなかったものです。時間が入ってくるというのは、絵画の中に詩や音楽に近い要素が入ってきて、絵画が変質したことを意味します。また、詩の方法であった暗喩や隠喩、象徴・比喩・直喩、記号・言葉・暗号・信号・漠然とした指示などが使用し易くなったことを意味します。絵画は詩と音楽に近づくのです。キュビズムの絵画は、分析的キュビズムの段階に入って完全な平面化の断行により、面と線によるリズムの構成が始まり、それとともに時間化が始まるのですが、時間の経験と言っても音楽や詩における現実の時間の流れとして感覚されるのとは違います。空間の内部を視覚が歩行することを意味し、あくまで想像的経験の中の時間で、解り易く言えば、時間の空間化として意識されるのです。絵画という想像的空間の中で、空間の中を歩行する意識が時間を経験し、この時間を経験する意識が同時に空間を経験する意識でもあるという二重性は、現実の風景の中を歩行している時にも味わう経験で、ピカソの「セレの風景」は現実のそういう風景体験を芸術の世界に移植した極めて独特な、新しい絵画で、キュビズムの作品群の中でも一歩、未来派の絵画(パウル・クレー)を予告したものとなっています。
「ギター」という作品は、題名がなければその主題がギターだと誰も気付きません。草色に塗られた三角形はむしろキャンプの天幕のように見えますが、「ギター」と題されることで意味を換え、見る人は構図自体を何とかしてギターに見ようとして苦心惨憺し、そう思って見ているとこの構成全体がなんとなくギターに見えてくるから不思議です。この複雑で厄介な意識の運動そのものは、かなりのエネルギーを必要とします。ギターの特徴である曲線も茶色も使われていないのに、題名(言葉)が接点になって奇異な印象を与え、意識に緊張を生み出します。このように事物がその本来あるべき位置からひどく離されて置かれていたり、あるはずのものは不在だったり、倒錯されていたり、切断されていたりすると、それを見る意識は意外性に打たれ、なぜそのようになっているのか考えようとします。そして、ばらばらに分解されたものを統合しようとする激しい意識の運動は、詩そのものです。キュビズムの絵画では、一つの形態が他の形態の中へ、現実には起こりえないような仕方で侵入していったり、干渉したり、突然出現したりします。自然主義写実主義の絵画で行なうことが不可能であった手法が可能となったのは、キュビズムの絵画が敢行した「平面化の徹底」という事態によるものです。不可能を可能にすることは一つの解放でとなり、意識は自由の空間を得て羽ばたいていきます。しかし、宇宙空間で重力から開放された宇宙飛行士のように、ある不安に捉えられるようにもなります。
 ピカソが黒人彫刻やセザンヌ研究に始まって、初期キュビズム・分析的キュビズム・総合的(バロック的)キュビズムを経る全過程を通じて、最後に到達した「結論」とも言うべき作品が、第一次大戦開始の翌年に描かれた「アルルカン」です。イメージ 2キュビズムが追求した平面の秩序の発見という目的の最終駅を示しています。手前にアルルカンの緑と赤色の市松模様の服を着た人物がおり、首と頭は褐色に塗られ、丸い眼だけ描かれています。唇は長い首に蝶ネクタイのように描きこまれ、背後には影とも解釈できる灰色の方形が斜めに嵌め込まれています。その後ろには白と赤に塗り分けられた方形の人物が影の部分と交差するように斜めに置かれています。この絵で重要なのは、「アルルカン」を描いているという事に由るのではなく、ピカソが人物をまるで一枚の紙切れのように物質化(あるいは非物質化)して描いたという事実にあります。人物というにはあまりに簡略であり、人体というのにはあまりに薄っぺらく、もはや人体というよりひとつの符牒のようなものです。ししかし、人物を表しているという事実は残り、それが紙より薄い存在物となりおおせて我々の眼前に置かれた、これは半ば幽霊のような、透明人間のようです。「桃色の時代」のアルルカンたちの優秀に彩られた肉体はどこにいってしまったのでしょうか。「アルルカン」がピカソの視線に対して持っている距離(厚み)、それから彼の背後の空間の距離、彼の前に広がっている前景の距離といったものはすべて消去されて、零に無限に近づいています。ここに描かれた人物は物質でさえない、影のようなもの、符牒のようなもの、極めて「無」に近い何ものかですが、「無」そのものではありません。なぜなら、ここに描かれた形態と色彩は、見る者に現実の「アルルカン」を連想させるからです。「無に極めて近いもの」が「無から最も遠い存在である現実の事物」を想像させるということ、この変換におけるゼロから無限へのエネルギー位置の飛躍の可能性こそ、キュビズムが成し遂げた想像力変換装置の最高の素晴らしさなのです。この作品は、キュビズムを研究し、数々の新しい発見を成し遂げてきたピカソが書いた、造形的、美学的(同時に哲学でもある)報告書です。キュビズムの絵画は、事物を分解して、平面に置き並べ、それを造形的に構成することによって、新しい認識の地平を拓き、新しい美学を創造し、絵画と彫刻の創作における大幅な自由を獲得しました。これは20世紀における人物と事物との関係の認識と表現の基礎文法となるものでした。ピカソが破壊したのは、事物の外観・その形態(形相は残る)と遠近法です。ピカソの新しい逆遠近法とも言うべき視覚的原理、距離の縮小の方法は、事物の距離を縮小しただけでなく、物質そのものとの婚姻を可能にしたのです。
 キュビズムが究極において発見した真理は、「事物は解体できるが、形相は解体できない」ということです。解体しても解体しても最後に彼らの頭脳のなかに解体を拒む事物の「形相」が残ったからです。「壜」をこなごなに砕いても、「壜」という言葉を聞いたとき直感的に思い浮かべる「壜の形(=形相)」は残るのです。「形相」とは「本質的な形態のイメージ」をも意味しています。20世紀は、明らかに「物質」というものの存在が強く意識された時代でした。神の観念に替って登場してきた「物質」と、その集合としての宇宙。「人間と神」の関係は、「人間と物質」あるいは「人間と宇宙」の関係に置き換えられます。物質は崩壊してゆき、ついにはエネルギーと化して消滅するというアインシュタインの「特殊相対性理論」が発表されたのは1905年です。新しい世紀は、新しい認識の形式と、新しい表現の形式を要求しますが、ピカソはそれへの可能な一つの道標を示したと言えます。
 さて、距離がゼロまで到達した運動は、自然な反動として距離の伸展へ向うほかなくなります。一方の極をきわめた振り子は、別の方角へ向かって揺れ動きます。自ら望んだものとはいえ、その禁欲的な態度で、キュビズムにはどこか太陽の光線が不足していました。ピカソは、キュビズムをくぐり抜けた感覚と論理で捉えなおし、新しい古典主義に進みます。新古典主義の作品の中の女体の美しさを眺めてみると、ここでは生命と物質が合体して夢見られる現存となって現れ、物質の厚みは十分に恢復されました。しかし、この物体の距離を伸展しつつある期間中に、思い出したように距離の縮小に向ったりもしています。1919年「恋人たち」やイメージ 3












イメージ 4「仮面をつけた音楽師たち」、などは、再び物体の距離がセロに近づいています。ピカソの内部に、事物の距離を縮小したいという衝動と、伸張したいという欲望の二つがせめぎ合いながら闘っていることを意味します。




イメージ 5新古典主義傾向が終わる1925年に描かれた「ダンス」は、何か劇的な不吉なものの兆候のようにして突然出現してきます。











イメージ 6そして29年には、「赤い肘掛け椅子の裸婦」という、激しい攻撃的な作品が描かれました。女は巨大な口を天井へ向けて開き、八個の歯は眼に見えない何ものかへ挑みかかっています。二個の乳房は首の両側に左右に垂れ下がり、もう一個はお腹の上にくっついています。右足の付け根は右腕から出ているように見え、ピカソは意識して三つの乳房、三本の脚に見えるように操作しています。キュビズム発見の歴史の中で、形態の分離・移動・転位・接合・延引・消滅・出現、といったあの空間の詩学を自由自在に適用していることを示しています。この女の裸体は、人間の裸体であり得る限界まで変換され、ほとんど爬虫類かかまきりのような怪物に近づいています。にもかかわらず、なおそれが「人間」の、しかも「女の裸体」であるという事実によって、劇的で激しい、破滅的な印象を我々に伝えるのです。この奇妙な肉体は、「爬虫類」という遠い存在と、「人間」という身近な存在とを結びつける不思議な「記号」と化しており、その与えるメッセージは多義的であると同時に分裂的です。ピカソの内部で何が起こったのでしょうか。彼を怒りへ、懐疑へ、幻滅へ、否定へと駆り立てる激しい火が燃え始めているのがわかりますが、それが妻オルガとの決定的な不和からきているのか、時代の亀裂と不安からきているのか、正確にはわかりません。女性像の否定的側面のひとつの極北を示すものと考えたほうがよさそうです。
イメージ 7ゲルニカ」については、多くのことが多くの人によって語られてきました。しかし、語られれば語られるほどその謎めいた側面が現れます。このような作品の多義性、謎めいた象徴の多義性こそがこの作品の魅力なのであり、その普遍性を保障してきました。1937フランコ将軍に加担したドイツ空軍によって、兵士でない普通の市民、女や子供、老人が多数殺傷されました。そのゲルニカの悲劇を聞いたとき、ピカソの内部に激しい憤怒の爆発が起きたのです。ピカソはこの大画面を灰色と黒の色調で統一し、鋭い、引っ掻くような線が画面を自由自在に切り裂いています。そこに現された馬、母と幼児、女の顔、兵士は、例外なくすべて断末魔の苦悶と苦痛の叫びを上げています。唇は大きく開けられ、歯はむき出しに、舌は斜めに飛び出し、手の指は互いに違った方向へバラバラに歪んでいます。眼は逆さまになり、眼球は火花を吹いて突き出し、髪の毛は切断された軟骨のようです。これらの苦悶の表情は写実主義の手法によらず、彼がキュビズム展開期に発見した数々の手法による想像力の世界に浮かんだものの抽象です。この阿鼻叫喚の惨劇の光景は、自然主義的写実の方法によって表現されたら通俗的な悲劇の解説になる危険をまぬかれ、芸術家の想像力によって捉えられた人間的な悲劇の凝縮され、純化され、象徴化され、最高に簡潔で力強い表現へと結晶することができています。ピカソが「ゲルニカ」で訴えようとした真の動機は、近代戦争の匿された残虐性そのものであったと言えるでしょう。
 キュビズムの絵画で行なわれた「事物」の「分離」「接合」は、ほとんど暗喩の形で行なわれたため、見る人はピカソが行なった手順がほとんどわかりません。だから、ピカソ自信がその手順を踏む時に味わったような「時間の快楽」を、見る人がその通りに味わえるという訳にはいきませんでした。ピカソが行なった手順と手続きは複雑すぎたのです。だからこそ、キュビズムは「絵画のための絵画」と呼ばれたのです。キュビズムで絵画の基礎的文法を作り終えたピカソは、以後、それらを現実に適用する時代に入りました。イメージ 81931年に描かれた「肘掛け椅子に座る女」では、正面の顔と横向きの顔を一つに合体させて描く着想を発見しました。現実には有り得ない奇怪なはずの女の顔が、少しも奇怪に感じられないどころか、むしろ端正で麗しい美貌として感じられるように造形することに成功しています。これは、顔を構成する要素を分解して必要最小限の記号に分類し、すべての構成要素が必要最小限の線と面に要約されることによって、作品の印象が極めて鮮明なものとなり、かつ、各部分の形態は互いに照応しつつ実に見事な全体の均衡と調和を達成しています。そして、この絵の最も重要な点は、横顔のマリー・テレーズが次の瞬間正面を向いたことを意味しており、顔は時間、つまり「運動」を取り込んでいるのです。時間が空間化されており、驚くべき発明です。「空間化された時間」の作例は、ピカソの他の作品にも認められますが、「青い葉飾りをつけた麦藁帽子の女」や「横たわる裸婦」のように極端に行なわれると奇怪なものになり、ことに後者は実に奇怪で不安な情緒を呼び起こす絵です。1937年に描かれたドラ・マールをモデルにした有名な「泣く女」は、泣く女という生物学的現象の冷静な、鋭い観察であり、その形態的な観察をまとめる際に用いられる手法は、彼がキュビズム時代に鍛え、手中に納めた、空間の詩学のさまざまな方法です。泣く女の顔の筋肉の運動、その痙攣、こぼれ落ちる涙の形態と角度、皺くちゃにされたハンカチの鋭い三角形の連続からは、女の内部の苦悩が物理的に伝わってきます。かつてどんな画家もこれほど見事に劇的に正確に、「泣く女」を解剖し、表現した人はいません。イメージ 9
 ピカソは、物質が優位を占めるこの世紀にあっても、「詩の原理」を人間が手放さない限り、人間がは生の側にとどまり、生の拡張を成し得ることをその創作と生活において示しました。この世紀が生んだ奇怪な人間のイメージから、最も美しい人間のイメージまでの全領域を示し、それを世界への贈り物とし、我々はそのイメージを共有することによって、彼から影響を受けました。「詩の原理」をてこにして現実を変形する喜びを教えましたが、四次元を視覚化する喜びこそ、子供の創造する喜びであり、詩人の喜びであり、創造する人間の感覚であることを示しました。後代の人々が20世紀について思索するとき、ピカソの創造したかずかずのイメージ無しに20世紀を想像することは不可能でしょう。我々は20世紀という奇怪な時代をこれほど明快にイメージし得たでしょうか。ピカソ20世紀という時代の匿された真のプロフィールを岩層の底から掘り出した男で、彼が示した奇怪な肖像は我々の自画像なのです。