「春の数え方」2005年2月1日 日高敏隆

イメージ 1日本を代表する動物行動学者のエッセイです。椎名誠が解説しており、自然科学の専門家としての鋭い分析力を持ち、文章もうまく読みやすい、それでいて視点が学者のそれではなく「人間の視線」で書かれています。また、この本を読んでいると、日本がやみくもな経済成長の過程で失ったものがあまりにも多すぎることを知らされ、暗澹たる思いに沈むとも評しています。ただ、そうであってもわずかに残された里山や、都市の小さな公園、無意味で無思慮な開発郊外の片隅に、きちんと遺伝子を継承して、いくつもの小さな生命が息づいていることも教えられ、いささかの安堵も胸にすることができるとも言っています。
 冬を越す昆虫たちの多くは、ただ冬の寒さに耐えてじっと眠っているのではありません。彼らにとって冬の寒さは必要なもので、摂氏5度以下の低温に何十日かさらされていることによって体内で何らかの変化が進行し、その結果、冬の冬眠から醒めて春を迎えることができるのです。冬の寒さに遭わせたらかわいそうだと、ずっと春と同じ25度の温度に保っておいた実験室のサナギは、春になっても親のチョウにはなれず、そのまま眠り続け、そして何年もサナギのままでいて、ついにやせ細って死んでしまいます。だから、暖冬が何年も続くと、多くの虫たちは滅びてしまうかもしれません。ましてや地球が恒久的に温暖化したら、生物の多様性などは失われてしまいます。冬を乗り切るために寒さによって眠りから醒める休眠という仕組みを進化させるkとおなく、ひたすら寒さにじっと耐えているハエヤゴキブリなどの虫たちばかりが生き残ることになるかもしれません。
そのような「生態系」が一つの「系」、システムとして一定の調和を保っていると考えたら、それは大いに問題だと筆者は述べます、そこにいる虫たちは、互いに食い合い、襲い合いして、熾烈な競争にそれこそ明け暮れているのです。それどころか、同じ種類の虫どうしも、食物や異性をめぐって激しい競争を続けており、自分の子孫を残せるのはその競争に勝ったものだけなのです。違う種の生物とのたえまない闘争、そして同じ種の仲間どうしとの絶え間ない競争、日夜それが繰り広げられているのが「生態系」の実情で、その結果行き着いている状態が、我々の幻想としての「調和」であり、それが自然の論理なのです。そう考えると、生態系の調和を乱すなとか、自然に優しく、自然と人間の共生とかいう言葉が、何を意味しているのかわからなくなってきます。人工的な自然ではなく、人間の活動の場からの距離に従って推移帯が形成され、その推移に応じた多様な生き物たちが思い思いに生きていく、そのような「人里」こそ、自然と人間の共生といえるものではなかろうか。きちんと管理された庭園や公園は、いかにそれが自然らしく見えようと、けっして現実の人里ではなく、人々が求めている心の安らぎや喜びを与えてくれるものではありません。自然と共生するものではないからなのです。人間は今、自分たちの真の幸せのために何が本当に必要なのか、ちゃんと考えてみるべきではないだろうかと提起しています。