2003年8月18日~21日「種池~針の木~船窪小屋縦走」

2003818日~21日「種池~針の木~船窪小屋縦走」(計42,557円)
818日(月)
5:00起床、迷ったが、太り過ぎた体を鈍らせぬ為に意を決して、昨晩準備したザックを背負って始発に乗る。
5:46下山口発
曇天の下、天候の回復に不安を持ちつつ国分寺に行き、牛丼を食べてJRに乗車した。天候を見て一日遅らそうかといつもの優柔不断が出るが、成り行きでそのまま立川、甲府と進んでいく。天気が悪そうだが、焦らずに行ける所まで行こう。
8:39石和温泉JR4,310
12:03信濃大町着食事1,546円、食料1,081
12:40
13:20扇沢
14:00
雨が降っていて迷うが、強行して登山する。
18:10種池山荘泊5,600
財布の中までビチョ濡れになりながら、何とかヘロヘロになって山荘まで辿り着く。装備が重いせいもあるが、けっこうしんどい。やはり7年前よりも体力がかなり落ちている。雨で荷が重くなったせいもあるかもしれない。しかし、疲れた。登山地図の時間どおりが精一杯であった。 

819日(火)
ガスの中で、夜半は時折り大雨で天気が悪い。
5:00起床
背中が痛い。左足かかと裏にマメができている。久し振りの重登山靴に足が負けた。靴下も二重に履くべきであった。しかし昨日はしんどかった。針の木小屋で働いていた兄ちゃんと二人残され、いろいろ話をした。そして、その後とんでもないことになると知らずにスタートする。

6:20種池山荘発、小雨が降っている。
8:208:50新越山荘水150/1L
9:50鳴沢岳、雨が止まない
11:00赤沢岳、バテバテ
13:00スバリ岳
鞍部で風雨が強くて恐怖を感じる。進むしかないが、スタミナ切れで、登りは5分進むとしんどい。ほんとうに身の危険を感じる。誰もおらずに気持ちが負けそうになるが、時間は早いし、とにかく一歩ずつ進むことにする。

14:05針の木岳

14:55針の木小屋素泊り6,100円、ビール21,200
15:30濡れた服を着替えて乾燥室に干す。
16:30自炊(うどん、ラーメン、スープ2杯)
食べ過ぎて、小さくなった胃には酷だった。気分が悪くなったが、トイレはあいにく外だから、雨が降っているので傘をさして行かなければならない。この小屋はイマイチだ。 

820日(水)
5:00起床、雲が流れて晴れそうだ。低い雲がどんどん流れている。迷っているうちに5時に起き、とりあえずうどんとラーメンを食べる。相席した九州から来た兄ちゃんは烏帽子に行くと言う。昨日にずぶ濡れになった靴はせっかく乾きかかっていたのに、一晩下に置いといたせいか、湿気が降りてまたずぶ濡れになっている。完全にやる気をなくしたが、蓮華に行かないとまたこのコースを来ないといけないので、思い切って登ることにする。荷も担いで登り、頂上で先に進むか、戻るかを考えることにする。いつもの優柔不断の先延ばしだ。
6:00出発水200
さっきの兄ちゃんは20分ほど早く登っていて、上の方に見える。小屋からの急登を登り、ピークらしきところに行くと、それからしばらくなだらかな高地を少し進んだ先のピークが頂上だった。老人三人連れはもうちょっとなのに、そこで諦めて引き返してしまう。

7:007:50蓮華岳、ずいぶん迷うが、頂上にいてしばらくすするとどんどん雲が流れて裏銀座の方が見えるようになり、最初は赤牛がのぞいていたが、やがて薬師から水晶、そして槍、穂高の山塊まで見え、ついには富士山まで見えて大パノラマになった。そこで意を決して先に進むことにした。蓮華の大下りを降りていくが、下の方を見ると気がくらみそうになる。ただ、鎖などがあまりなく、思ったより簡単にどんどん下っていけた。そして最下部に降りたら、今度は上へ上へ登る。北葛へは四つのピークを越えなければならない。まず一番しんどい大下りの後の登り返しを登り切り、そしてようやく最後の登りを一歩一歩、北葛目指して登っていく。少し登っては休む休みで、かかとのマメも痛い。

9:40北葛岳、両足かかと裏にマメ、左のくるぶしも痛い。
北葛から七倉へも急降下で、下を見ると恐ろしいほどの標高差だ。危ない岩を下って行き、何とか登り返した。天気がいいが、疲れてとてもやる気をなくしてしまう。先の船窪小屋で休んで下ろうかと思う。

11:50船窪小屋(2450m)ビール21,200円、水300/1.5L
小屋に着いて水をもらい、表でうどんを食べてゆっくりする。すると、鉢の木方面から一人、一人と到着し、いろいろと話をしていて、結局、あまりにも天気が良くてもったいないので、私もみんなと一緒に小屋に泊まることにする。

13:00船窪小屋で泊まることにする。128,500
14:0015:00ポカポカと天気が良くて、ザックの中の濡れたものをすべて出して干した。その間もみんなといろいろ話をする。そうしていると、さらにポツポツと登山客や下山客が集まってくる。やがて西の方の雲行きが怪しくなってきたので、ザックを小屋に入れた。そして炉端に座ってみんなで話をしたりする。食事のセッティングをする30分はみんな布団の方に戻って、一瞬横になって休んだ。

17:15夕食
夕食は品数がとても多く、御飯には古代米が入って少し紫がかっている。味噌汁は玉ねぎなどの具のたくさん入った田舎風で旨かった。今年は小屋の50周年で余計に豪華なようだ。おかずはメインがキノコ、カボチャ、アザミの天ぷらで、それに赤にんじんから作った味噌の入った豆腐、野菜の煮物、山草などの入った酢物、山わらびの煮付だった。奈良漬風のウリとダイコンの漬物は辛いけど食べ放題で、御飯も味噌汁もお代わりする。しまいにはミョウガの胡椒漬けを2個もらうが、1個でビール1本飲めるくらい辛かった。

18:30食後ゆっくりしていると日没になり、みんなで外に出る。夕陽を撮ろうとしたが、雲が厚くてきれいには見えなかった。夏は立山の方に沈むが、冬になるにつれてスゴ乗越の方に沈むとようになるとご主人が説明してくれる。小屋に戻り、またみんなで囲炉裏を囲み、ネパール土産だという紅茶をもらいながらいろいろ話をする。そうして食事の後片付けの済んだ女性スタッフが南米の楽器チャンゴラで「コンドルは飛んでいく」と、もう一曲テンポのいい明るい曲を演奏してくれた。アコンカグアにも登ったことがあるスーパーウーマンで、今年でこの小屋で4年目になるそうだ。冬は好きなことをしているそうで、面白い娘だ。この変わった楽器を習っている仲間たちが、登山経験もないのにこの小屋まで登ってきて、ここで演奏したそうだ。彼女は一見、坂本冬実風の、岡山支店にいた女性職員に似ていて、大人しそうだが、芯の強い女性だった。

20:00あっという間にお開きとなり、消灯前に雰囲気のあるランプの灯をストロボをたかずにカメラで写す。そして、みんなと外に出て満天の星空を見上げる。北斗七星がくっきりとわかるが、あとは星が多過ぎて、線を引いて解説しないと星座がわからないくらいだ。ただ、北東から南西にかけての天の川ははっきり見えて、とても神秘的だった。その後はみんな小屋に戻り、食べ過ぎで苦しみながら一気に眠ってしまった。 

821日(木)
2:30くらいから眠れず、ウトウトしていた。
4:20起床、トイレに行くと、朝食の準備を始めていた。外は吹きつけるような小雨で、これは駄目だと縦走を諦める。みんなで朝食を食べて、どうするか悩んだが、その間にみんながどんどん出ていく。日本ヒマラヤ何とかの仕事をしている山の会のトマトをくれた威勢のいいスーパーおばあちゃんも、鉢の木から一緒だったおじさんも、早くも出ていく。次に3人のおばちゃんと名古屋のじいちゃんが出発し、私ともう一人の男性だけが残された。彼とはいろいろ話をして住所を交換し、槍方面の地図やガスをあげた。彼一人だけ烏帽子方面に向かうので、みんなで小屋の前で記念撮影して見送る。ここでは見送りの時と出迎えの時に鐘を鳴らしてくれる。

7:10船窪小屋発
私は山の会の二人を残してガスの中を降りていく。天狗の庭までの下りは美しい石庭のようで感じがいい。その先で、先に出発していた名古屋のじいちゃんに追いついた。
10:30七倉荘入浴料400円、ビール・行者ニンニク1,000
荷物を片づけて靴を脱いでいたら、あのエアロビのおばちゃんらが風呂から出てきた。彼女らを見送ったすぐ後に、案外早く名古屋のじいちゃんが降りてきた。そして風呂に入った。透明だが天然の熱い湯で、湯量が変わりながら噴き出している。日焼けした肩などが痛く、冷水で冷やした。名古屋のじいちゃんといろいろ話しながら、体を二度洗って風呂を上がる。そして、1時間後と言っていたタクシーが律儀にも来てくれて、12時過ぎに乗車する。
12:10発割り勘のタクシー代2,840
タクシーの運転手もおじいちゃんで、葛温泉のことや、昔の装備のない頃に重い荷物を背負って烏帽子から槍ヶ岳まで縦走したことや、今年は7月のシーズンから2回しか晴れなかったことなどを聞いた。

12:45信濃大町着天ぷらそば・ビール800
13:17発JR7,330
16:01八王子着
17:00下山口の自宅に到着
家に戻ってまずは洗濯をして、布団を干して片付けする。足のマメや手の怪我、メガネの破損など、あれ以上の登山を続けるのは難しかった。天候は一日待てば良くなった。烏帽子までの一日を雨の中我慢すれば、その先の裏銀座高天原は大晴天だったかもしれない。しかし、仕方がない。またいずれゆっくりと、船窪小屋のようないい山旅を送りたい。