1992年5月4日「那須三斗小屋温泉とジャンボ干しブドウ事件」

199254日「那須三斗小屋温泉とジャンボ干しブドウ事件」(計7,340円)
4:30小岩発 
5:09上野 JR 2,880円 弁当 1,200円 今日は凄い1日だ。東京を早朝に出るが、何度も布団に戻りかけた。昨日夜半に何度も目が覚めて熟睡していない。けれどまだ休みもあるから、一気に体を起して出発した。途中小山のあたりまでは晴れていたが、宇都宮を過ぎて山間部に近づくにしたがって天気が悪くなってくる。列車の外に見える道路や屋根などの景色が、いくぶん雨に濡れて光っているように見える。しかし走っている列車の車窓には水滴が飛んでいない。きっと夜半に降って止んだばかりなのだろうと、都合よく理解する。しかし、列車に沿って走る車のワイパーが動いていることに気がつく。そして決定的にも、車窓に水滴が激しく散り始める。もうだめである。仕方ないから次の那須塩原で引き返そうかとも思う。だが、明日は晴れるのがわかっているから、黒磯のひなびたビジネスホテルでも見つけて一泊し、明日登ってもいいような気もする。そんな、どちらとも決められないまま黒磯に着いてしまう。改札を出るまでまだ迷っている。向かい側のホームには新宿行きの特急が停まっている。
7:45黒磯着 着いたホームの電話で天気を聞いてみると、1度数しか残っていないカードがピーピー音を立てて知らせるように、北部は曇り時々晴れ、山沿いは雨か雪が一時降るという相変わらずの予報で虚しくなる。とりあえずトイレに行こうと改札のあるホームのトイレに行く。みんな清算に並んでいるのを見て、何となく出ようかなという気がしてきた。用を足して改札越しに空を見ると、青く晴れている。ここまで来たのだからとにかく行こうということになり、清算所で定期券を見せて、東京からの運賃2,880円を支払う。雨上がりの空のように、微妙な陽射しが駅前のアスファルトのところどころにある水溜りをキラキラと輝かせている。もうここまで来たら行ってやれだ。バス発車まで30分近くあったので、向かい側の立ち食い風の店へはいってそばを食べる。旨い。食べている途中で別のおばさんが今日の分らしい弁当を20個ほど持って入ってくる。思わず一個買い、その後トイレで用を足してバスに乗り込む。
 8:15黒磯発 バス 1,200 バスはいっぱいの人で、こんなに多くの人が登るのであれば嫌だなあと思いつつも、半分近くが那須サファリで降りてしまう。いざ少なくなるとかえって淋しい気もするが、人の心の移り気というものか。那須へ行く途中にはアカマツの林があり、有料道路に入ってからはダケカンバの林が枯れて美しい。はるか遠下方には那須平野が広々と見える。こんなところに別荘を持ち、休みには静かに閉じ籠るのもいいような気がする。たったこれだけで那須が気に入ってしまった。
9:30那須山頂駅
イメージ 1  山頂駅に着くと、強風のためにロープウェイは止まっていた。昨日と同じ気圧配置なので昼過ぎまで無理だという噂である。まあ歩いていけばたいしたことないやと、高をくくって三斗小屋方面目指して登り始める。
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疲れが抜けていないのと、日頃の運動不足のせいか、最初からとても苦しい。こんなことではもういろんな山へ行くことは不可能である。少しトレーニングについて考えねばならない。このままでは唯一自然に触れられる登山にも行けなくなってしまう。少し登ると雪道となる。
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そして天気も急速に悪くなり、3ミリくらいの雹が降っている。前に鳳凰山で雪の中をスニーカーで無理して登り、何度も滑った悪夢が思い出される。嫌な予感がする。少し登ってロープウェイの高さ近くに来て低木地帯が終わりかかる頃、ついに雪に足を取られる。よほど帰ろうかと思う。でも、年配の夫婦を含めてみんな登っていくので、上に行けば何かあるかもしれないというのと、ここで止めるのも悔しいと思い、すこしずつながら上へ押し上げていく。
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やがて尾根の中央に峰の茶屋らしき屋根が見える。もうあそこまでだ。もう少しだ。そう思うと、滑りそうな岩場にも、前の人たちの後を辿ってなんとか頑張り、やっと辿り着いた。
10:20峰の茶屋
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 そこはきっと売店なのだろうと思ったが、なんと吹き曝しの屋根のみで、つまり、ただの風除けでしかなかった。三斗小屋方向からは強風が吹きあげてきており、とても進む勇気が出ない。が、それでも女性三人などの先行して降りていく人がいるので、意を決して強風の中、谷底めがけて一歩一歩降りて行く。
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 途中四人連れの最後尾のおじさんから、ここからの下りは滑るからたいへんだよと脅されるが、すぐそこに避難小屋が見えているし、かえって山にたたきつけられる向きの風だから、谷底へ吹かれる登りよりも楽なはずだと確信して降りる。しばらくすると、低木が周りを囲み出して、もういくら強い風がきても大丈夫と安心する。そして、そのうちに避難小屋に着く。広くてきれいであるなら少し休もうかと思ったが。入口に人が見えていっぱいそうで、挨拶するのも面倒くさいのでそのまま進むことにした。そこからの道は容易で、ある程度平易な山道を、同じ高度を保ちつつ辿っていくようで、ある程度気分よく進んで行くと、予定の時間通りに三斗小屋温泉に到着した。
11:20三斗小屋温泉 煙火屋と大黒屋の二つの木造で古い建物がある。
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 まるで湯治宿のような温泉宿がある。小屋の裏手には湯気の上がるお湯が湧き出ている。秘湯ムードが出る。ただ外から見ていると、本当に粗末な旅館で、豪華な宴会、温泉旅行というものを期待してはいけない。来る前は、泊まれるものなら泊まらせてもらおうかと思ったけれど、昼前でもあったので、そのような気も起こらず、そのままUターンして沼原への分岐を目指す。
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 分岐では先行していた二人連れがまっすぐ峰の茶屋を目指すのを見送り、一人、足跡のほとんどない沼原への道を辿る。地図で見るとあまり高度差はない道をずっと行くようだが、そうではなく、川を越え、尾根を登るハードなコースだ。
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また、途中の人のものにしては小さく、間隔も短い足跡が点在している。そのうち何匹にもなって、その道のあたりをじゃれ合って足跡だらけにしてしまっている。当初、人の足跡の上に雪が降り、跡が小さくなったものと思っていた。しかしそのうちに人の跡もわかりにくくなってくる。一方、動物の足跡は時々人道と重なる部分でくっきりと見え、よくよく見ると爪三本の動物の跡だ。危ない!熊かもしれない。そう感じた辺りがちょうど谷で、そのすぐ上方にドサッドサッという、熊が跳ねてじゃれたような音がした。人の足跡も消えかけているから、もう恐怖のどん底になる。狂ったように唄を歌い(どんな時も、どんな時も、最後に愛は勝つ!、負けないこと、逃げ出さないこと等)大声を張り上げて最後の尾根を登る。
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登ったところで牛首と沼原への分岐に着くが、牛首への登り道は全く見えない。仕方なく、沼原への道をしばらく歩いてみたが、道らしいものが良くわからないところに、動物の足跡がくっきりと見える。沼原へはあと1時間近くあるから、とても進む勇気は出ない。動物の足跡は沼原の方に向かっているので、このまま進めば追いかけることになってしまう。限りない不安から、遂に私ともあろう人間が撤退を決めた。
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だが、これまで来た道にも熊がいるかもしれない。とにかく急いでもと来た川を越え尾根を登る。1時間近くロスした。最後の川を越え尾根を登る辺りから安心したせいか、急に疲れがこみあげてくる。あおの牛首への分岐では、とにかく熊が怖くて三斗小屋への分岐まで早く戻りたかった。が、そこに着くと、今度は早く避難小屋に戻って休みたかった。弁当を食べて栄養を補給したかった。足はつりかけてパンパンで、一歩進むのも苦しい。見覚えのある小川を二つ越えて、少しずつ進んで、茶臼岳を間近に見上げるようになって、やっと着いた。小屋に入って休むことにする。熊の足跡だと思ったものも、熊にしては小さすぎる。私の手の四分の一くらいの大きさなので、鹿やキツネ、せいぜいイノシシぐらいに考えた方がよさそうだ。しかしその時は、そのようなことを考える余裕はまったくなかった。
13:3013:50避難小屋
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 昨年行った朝日連峰の小屋のように綺麗であれば、着替えもして、少し寝て休もうかとも思ったが、予想外にボロボロの小屋で、モルタル臭くてとても両手両足を伸ばしてゆっくり休むような気分になれない。ビールを飲んで、弁当とパンを食べ、早々に帰路に着く。しかし、そこから峰の茶屋までの登りがまた異常にきつい。一歩一歩足を引きずって行く。ただ、ダケカンバの低木群を抜けたあたりから、後方から吹いてくる強風がかえって後押ししてくれるようで、一気に尾根に登る。しかし、あと10メートルくらいのところで、風は人をも吹き飛ばすくらい強く吹くようになる。一度身を屈めて少し待つ。しかし止みそうにもないので、意を決して立ち上がり前進する。
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やっと尾根に着いたが、その時、想像を絶するようなもっと強い、人間をも谷底にたたき落とすような風が吹く。峰の茶屋の風除けはもう10メートルくらいの先なのに、身をうつ伏せにして風を待つ。しかし、その風は小さい石をも吹き飛ばすくらいで、頭にパチパチ当って痛いし、恐い。ちょっと止んだような気もしたので、このままでは埒が明かないので進む。そこで風を除けていた人たちが「ご苦労さん」と迎えてくれる。
14:10峰の茶屋 風が物凄くきつい
イメージ 13 やっと生きた心地がした。そこで風や人々の動向を窺う。たった今、強風と闘ったばかりなので、すぐそこから降りる気にもなれない。そこにいたおじさんやおばさんたちも、そこまで登ったのはいいが、風が強くてそれ以上先に進むのを考えているらしい。そこで一人のおじさんが「帰るか」と言って煙草を一服し始め、もう一人のおじさんはリュックの中からナイロンの包みを取り出しこじ開けて、中のレーズンの化け物のようなものを周りのおばさんに配り始めた。嫌な予感がしたが、私とも目が合ってしまい、私にも勧める。私はレーズンは大嫌いなのだ。食べると吐きそうになる。しかしこのような状況の場合、断るにはたいへんな勇気がいる。しかも遠目に見るそのレーズンの化け物が、果たしてレーズンなのかどうかの確証もない。だから有り難く戴くしかない。一つのつもりが、もう一つ取れと強要される。おじさんはとても優しい。にっこりと強要する。私も顔を引きつらせながら(相手には愛想笑いに見えたはずだ)、もう一個戴く。なぜ顔を引きつらせたのかというと、一個目の手に取った感触がぶにょっとしたレーズンそのものだったからだ。でもこうなれば仕方がない。早く処理してここを去るしかない。風が今にも止むかもしれない。そうしたら一瞬も間をおかずに出発せねばならない。だから思い切って一個食べる。何ともなかった。ああよかった。ついでに舌が寒さと風と疲れでマヒしている間に、もう一個口の中に放り込み、急いで消化しようとした。がその時、ガリっと音がする。何と石だ。うわぁっ、こんなことまでして口の中にレーズンの化け物を残し、私を殺そうとしているのか。もうとてもやりきれない。悲しさと共に逆上して、強風の中を逆行して下り、帰途に着いたのであった。ちなみに石と感じたのはジャンボ干しぶどうの種であると考えるのが理論的だと、後から思った。このことから干しぶどうに纏わる不幸を想い出した。中野区野方の田中さんのところでも、レーズンのたっぷり入ったパンを出してくれたことがある。時間がないから頂いて持って帰ると言ったけれども、若いからそのまま一口で食べなさいよと強要され、抵抗できずに一気に飲み込んでしまったころがある。お世辞でとても美味しいですと言うと、次回訪問した時にもきっちり同じレーズンパンを出してくれたのには閉口した。けれど、忍耐強くて向上心の強い私は、これも苦手なレーズンを苦手でなくすようにという神様の思し召しだと思うことにした。レバーの場合もそうで、私はレバーのあの生臭いようなどろっとした味が苦手だ。けれどレバーは髪の毛にはとってもいいそうだ。筍やシイタケも小さい頃は嫌いだったが、酒を飲むようになっていろいろなものが食べられるようになった。そこでレバーも食べず嫌いだからと自分を説得し、今では毎日仕事の後で皆で飲む居酒屋の炉津久(ロック)会議でも、必ずレバーを食べるようにしている。
  少しして彼らが断念して、帰途へ着くと同時に、私も歩きだして下る。考えているよりも下りは距離も早い。確かに強風で前にいる親子連れが吹き飛ばされそうになっているが、少し下ると風も弱まり、すいすいと下ることができる。恐らく登りの時は足元は雪で滑り、風は向い風で、しかも雹混じりだったから、ちょっとした距離もずいぶん慎重に進まざるを得なかった。雪の崩れそうな谷や、濡れてつるつるに凍った岩場、登るときに滑った雪の道も難なく越えて降りることができた。下の頂上小屋が見えると、余計もうすいすいだった。半日も日射しがあって雪が融け、歩き易かったのも一因だ。
14:50ロープウェイ那須山頂駅
15:20那須山頂駅発 バス1,200円 ジュース150
 ゴールデンウィークの渋滞で、一軒茶屋から東北自動車道の入口までずっとノロノロ運転のため、所要時間は倍の二時間かかった。それだけの時間があったからこれだけ記録できたのだが、書くことに熱中していたので、その時間もあっという間に過ぎたのかもしれない。
17:30黒磯 そば、ビール 710
 黒磯ですこしブラブラしようかとも思ったが、電車の中でビールでも飲んでゆっくりすればいいという気もあったし、ちょうど快速が間に合う時間だったので、そのまま乗車することにした。靴下とパンツをトイレで履き替えて、時間があるので改札横のそばを食べたが、まだ列車は入ってこない。ゆっくりと階段を上がり、空いていそうな後方車両の乗車待ちの列に並び、三番目に立った。しかしまだ列車は来ない。そのうち場内放送で、強風のために架線にビニールが引っ掛かり、復旧のために20分ほど列車が遅れているということだった。向かい側の白河から福島行きも待ち切れずに発車してしまう。だんだん並ぶ人も増え、ざわざわしてきた。その間を利用して私はキオスクでビールを1本買ってくる。やがて列車が到着したが、ボックスシートではなくロングシートで、しかも乗る人が多くて満席で、とてもビールを出して飲むような雰囲気でなかった。ひたすら人が降車してガラガラになることを祈る。
18:20
その後、何年もたってからジャンボ干しぶどうではなく、プレーンの干したものがあることをお坊さんに教えて頂いた。