1991年5月24日~25日「尾瀬ヶ原」
21:40小岩発 フィルムとパン 1,000円
22:10上野着 弁当、ビール2本、ポカリ3本 1,500円
22:51上野発 JR 2,470円 夜行の旅も久し振りだ。あと30分くらいで沼田に着く。ウォークマンで聴いた松山千春の卒業は、懐かしい雰囲気を想い出させてくれた。昨年の北海道は人も多く、特に札幌はもう都会で、都会の孤独をひしひしと感じた。それに対して山は、あったかい自然の心の感じられる大地の温もりを想い出すことができる。今、尾瀬に向かっているが、ふるさとはやはり北海道なのであろうか。あの小さな田舎町、網走も羅臼も稚内も小樽も根室も斜里も旭川も、すべて、温かく私を迎えてくれる。小さい頃、尾瀬は憧れで、いずれ必ず行きたいと思っていた。しかし、四国や関西からははるかに遠く、手の届きにくい場所だった。そこに今向かっている。言うなれば、長年の夢が実現しようとしている。けれどもこの10年でいろいろたくさんの経験もしてきた。大雪も登り、視野を広くした。もうこれは一つの通過点に過ぎなくなってきている。それはそれで自分が大きくなっているのだ。
1:42沼田着 バス2,000円
3:10大清水着 3:20くらいから、真っ暗な林道を進み始める。4時くらいになってようやく少し明るくなりかけ、一ノ瀬を越える。
そのあたりから山道となり、ようやく高地の樹林帯となる。最後に林道を交差するところから急坂となり、そこを登り切り尾根を伝っていくと、残雪がちらほら見えるようになる。辺り一面20~30メートルぐらいしか視界が利かず、霧に覆われている。
鳥海山の最後の登りも霧で視界がなかった。しかし、ここは目的地に山荘や人がいるという安心感もあるし、崖の上ではないこと、雪に覆われた山地がしんと静まりかえってはいるが、鳥のさえずりが活発で、大窪寺の山上の正月の雰囲気に似ているなど、まったく心が安らいでいる。
残雪に覆われた三平峠を降り、三年下に着くと、山荘がある。湖はないと思っていたら、すぐそこが霧ではなく湖だった。
少し向こうにぼんやりと浮かびあがるように岸が見える。蜃気楼のようだ。絵を見ているようだ。霧の尾瀬は、それはそれなりにたいへん素晴らしい。めったに見ることのできないものを見れた。三平峠付近の残雪はとても神秘的でよかった。まったく寒いわけでもなく、登山で汗ばむ体がちょうど冷やされて涼しいというくらいだった。また朝は風がないので、余計にやりやすいのかもしれない。尾瀬沼は霧に覆われているが、対岸が白い霧の中にうっすらと浮かびあがっていて、ヨーロッパの古城のような風景だった。その時点では霧も深く、とても天気が良くなりそうにないので、燧ケ岳登山は諦めて、沼尻から見晴らしへ抜けることにした。
5:20三平峠発 少し行くと前方の空に青空がのぞき始め、やがて後方の太陽も顔を出し、ブナ林が生き生きと輝き始める。新緑を木の花のようにつけていて、それが前方に帯を為すように見える。まるで明るい黄緑の靄がかかっているようだ。また、落葉樹の枝の先には新芽が出ていて、これも清々しい気分を出してくれる。このような感覚をいつか味わったことがあるように思った。鳥海山だったであろうか。
11:30発
12:00戸倉着 670円
13:50沼田着 トイレでシャツを着替えて、顔も洗った。雲は掛かっているが、相変わらずたいへんいい天気だ。燧ケ岳や至仏山へは登れなかったが、これが体力の限界で、帰ったらゆっくり寝よう。
14:06沼田発 JR230円
高崎着 そば270円
15:35高崎発
17:00上野着 かねてから憧れていた尾瀬に行った。夜半から、残雪あり、霧あり、そして水芭蕉も咲き、午後は快晴になっていろんな表情が見れた。しかし、大変な努力をして到達していないためか、また疲れたせいか山にも登らず、以前ほど感動が内から湧きあがらない。何でもそうかもしれないが、目的を持って、できるだけ多くの努力を費やしてこそ、大きな達成感、感動を得られるのであろう。これからは偶然に感動を頼るのではなく、自分の手でとてつもなく大きな感動、夢を実現すべきではないだろうか。山に登ることや旅をすることも視野を広げていい。ただ、日常の生活も貴重な時間を使っているのだから、正しい方へ一歩ずつ前進し、そちらでも素晴らしい感動を手にすることができるように歩んで行かねばならないのではないだろうか。