1995年8月11~15日「南アルプス縦走」④

199581115日「南アルプス縦走」④(計32,480円)
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15:00三峰岳(3000m
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15:55間ノ岳3189m急な岩峰を伝って来た後の頂上は比較的広々として気持ちいい。
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17:05北岳山荘着 素泊り2,800円、ビール2本等1,400
 御飯を炊く気力ない。部屋は満員で暑く、シェラフを脱いで寝る。男の汗の臭いで充満して寝心地が悪く、1時間置きに目が覚める。

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 4:00山荘発
 4:50北岳頂上(3192m)日の出に間に合った。右手に富士山がくっきり浮かび、正面眼下に鳳凰三山、その向こうに奥武蔵連峰、そのさらに向こうに太陽が出ようとしている。日本第二位の高峰北岳山頂から日の出の太陽に願ったのは、人を妬んだり愚痴ったりせず、全てのことに心から慈しみを持てるような人間になりたいことと、早く身分を安定させ、自分も楽になりたいし、両親も楽にさせたいということだった。
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 5:00ご来光
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イメージ 155:23吊尾根分岐にデポした荷物を回収して下山
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 8:10広河原バス停(1550m位)
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ビール600
 バス2,150
 晴天の広河原を後にして間ノ岳北岳を見返した時、あそこを歩いたんだなという実感が湧いた。北岳の八本歯のコルを下るときには、右下方に見えた北岳山荘も小さくなり、そこに泊まっていたんだな、よくやったな、もうすんだことか、というような、いろいろなわけのわからない妙な気分にもなった。とても苦しかった。ここまで来るのに甲府からバスで2時間もかかる。しかし、これでしばらくは南アルプスに来ることもないだろう。こんなに遠い思いをしてこのバスに乗ることもないだろう。そういう変な気分に見舞われる。終わったという、達成したという安心かもしれない。
イメージ 2410:40甲府着「トンカツ和幸」2,010
11:40発 ビール他480
14:10東所沢着
 今回の快速登山ではかなり体力をつけることができたし、多少のことでもやれる自信がついた。途中寒くて眠れなかったり、疲れで息がゼエゼエして息を吸っても酸素を肺の奥まで吸い込めなかったこともあったが、それらを乗り越えて完登できた。しかし日本の山は急過ぎる。山が険しくてアップダウンが激しいし、特に聖岳から百間洞までの切り立った痩せ尾根には参った。南アルプスでは、広い尾根が間ノ岳の一角にしかなかった。藪をかき分けて行ったり、群がる虫を払いのけたり、はたまた、左右のどちらかが大崩壊して切れ込んでいる尾根のように、高所恐怖症と闘って進むようなところも多かった。私の理想は、草原のような尾根をぷらぷらと歩くことだ。何の心配もなくキリマンジャロのようにのんびりした所をゆっくり歩いて行きながら、知らないうちに高度を上げていくような、スケールの大きいところを歩きたい。なかなか鳥海や大雪のような広々とした山はないものだ。世界中にはまだまだ知らない所がたくさん残っている。アフリカでも南米でも、チベット、ネパールでも、そしてヨーロッパでも、まだまだ知らない雰囲気や世界がある。国内百名山はあくまで体力強化で、いずれ海外登山への練習のつもりでやっていきたい。それをいずれ経験できるためには、それができるような身分にならないといけない。どこからも必要とされる人間にならないといけないが、そのためには自分で考えられるようにならないといけない。至極もっともで、自然の成り行きに従って、いろいろなものの動きをみること、大局観で考えることだろう。考えようによっては簡単なことで、自然の流れに従えば、信念も揺らがないし、迷わない。途中で多少のブレがあっても我慢できる。それができるようになれば、営業でも十分やって行けるだろう。宇宙から帰還した宇宙飛行士が見て来たものが何だったのか。いかに人間が小さい生き物であるかを自覚するのは難しい。今しかできないことは、自分の可能性をどんどん伸ばすことかもしれない。仕事や自己啓発も今しかできないことなのだ。