1996年8月30日~9月5日「北アルプス縦走」④常念から穂高岳

1996830日~95日「北アルプス縦走」④(計73,750円)
94日(水)
6:45常念小屋(2466m)
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イメージ 18:15常念岳2857m)
イメージ 3 朝食べたカレーが吐きそうで気分が悪い。高山病か。完全にスタミナが切れてしまっている。とてもどんどん行く元気がないが、でもとりあえず降りるしか選択肢はない。横尾まで頑張って下ろう。
イメージ 411:40蝶ヶ岳分岐(2625m)
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イメージ 7 分岐からの下りは樹林帯の中で本当に苦しかった。足は痛む上にだるいけど、休んでも治るものではない。ただただ高度計と睨めっこしながら2時間根気強く下って行く。
13:5614:30横尾(1615m)ラーメン・ビール・ビスケット1,600
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 よく横尾まで下れたものだ。しかし、最後の穂高への気持ちが急に弱気になってきた。上高地までは3時間、涸沢へも3時間。同じならいっそ頑張って登り、涸沢で早く寝て休んだ方がいい。そう思って出発した。
15:50本谷橋
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イメージ 617:40涸沢ヒュッテ(2300m) 素泊り・ビール他5,800
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イメージ 14 ここはタコ部屋のようなところで宿泊客で満杯だ。ヒュッテという洒落た名前と高い料金でだまされた。失敗だ。涸沢小屋に行こうとしたが、さらに丘の上まで登らないといけなかったし、奥穂へのルートも定かでないので手前にあるこちらに来てしまった。山小屋にもいろいろあるものだ。ただ、食堂の辺りは雰囲気はとてもいい。寝る部屋がタコ部屋なのだ。足に怪我していてしんどうので余計被害者意識にかられる。無理に無理を重ねてここまで来た。しかし、出直して再び上高地に来るとしたら交通費だけで3万円強、諸経費も入れると4万円以上かかる。さらに上高地に来るのに9時間もかかるのだ。しかし、今日はさんざんな一日だった。足が痛いだけでなく、スタミナが切れたのと、胃の調子も悪くなり、やはりかなり疲れているのだろうと思う。それを考えれば本当によくここまで来た。登る途中でいろんなことを考えた。たった一歩がとてつもなく痛くて辛いのに、それに13時間も耐えたのだ。こんな苦しい思いをするのなら、取引先に商売してくれとか、彼女に結婚してくれとか、率直に言った方が早いのではないかとも思うが、ただ、目的意識が違うかもしれない。すべてのことにこの厳しい山と同じような目的意識を持つことができれば、おそらくできないことは何もないだろう。それは人生最大の課題かもしれない。容易にはできないもので、一生かかって追及していくものかもしれない。明日の登りにすべての願掛けをして、当分の山登りのクライマックスにしたい。今はストーブの前でただれた足を温めているが、少し熱いくらいだ。このヒュッテの売店で売っているお土産で、まあまあいいと思ったものは、丸太切状の形のコースターと、山男をモチーフにした版画のハガキだ。しかし、風景をスケッチしたハガキにいいものが見当たらない。もう少し繊細で、河合玉堂のような日本画風にアレンジしたアルプスの山の絵ハガキがあればいいなと思う。今、衛生放送のテレビニュースでアメリカがイラクを攻撃したのを見た。もうすぐ19時になる。ゆっくり眠ろう。

95日(木)
 昨晩トイレに行こうとして真っ暗な中を起き上ると、足首の方にプチっという音がして痛く、見ると血が流れていた。トイレットペーパーで包んで応急処置をして布団にもぐりこむが、こんな状態でほんとうに穂高に登れるのだろうか不安になる。でも行くしかないのだ。
今日は奇跡がいっぱい起こった。昨晩裂けた靴ずれのところの出血が朝には治まっていた。寝ていても両隣のおっさんのイビキが酷くて寝れたものではなかったが、朝も何とか起きられた。
4:30起床 足が白血球の匂いで臭い。入口の土間で塩ラーメンを食べるが、散々迷った末に、足の負担も考えて荷物をヒュッテにデポし、軽身で奥穂高岳に向かった。
5:30涸沢ヒュッテ発
イメージ 15 まだ山頂の方は雲に覆われていたが、涸沢から登って行くところは明るくて問題ない。雨が降らなかったことだけでも有り難いことだ。雪渓跡を岩の道を辿りながらどんどん標高を上げていく。半分ほど登った標高2600mからは島のような景色の尾根の急登だ。途中ですれ違った青年が、上はガスっていて天気が悪いことを伝えた。しかし私にはそんなことは問題ない。とにかく雨に降られたりせずに頂上に辿り着き、奥穂高岳神社に結願したいのだ。だから多少天気が悪くても、そんなことはいいのだ。まだまだ上は遠いと言われた尾根の終点をめざすが、だんだんガスが上がってきて穂高山荘が見えるようになってきた。下りですれ違ったもう一組の老人のうち、一人は「これから天気が良くなるようですが」と言って励ましてくれる。ものごとを肯定的に言ってくれた方がずいぶんいいと実感する。そうこうしながら、思ったよりも早く穂高山荘に到達した。
7:20穂高山荘、急に頂上のガスが晴れてきた。
イメージ 16 ガスがずいぶん晴れてくるが、この山荘から上はまだ霧の中だ。太陽に当りながら少し休んで水を飲む。そして意を決して頂上への急登に取り付く。
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最初から岩登りで、鎖、梯子を伝うが、ある程度まで登るとそこからは岩のガレ場で、ガスが晴れそうになったり、またガスに包まれたりしながら、ようやく頂上らしい分岐に着く。頂上はそこから左に曲がってすぐで、ついに穂高岳神社に着いた。
8:008:16奥穂高岳3190m)
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イメージ 19 祠への登りを探すが、ぐるっと一周回ってしまう。実は最初に来た方でよかって西向きだったのだ。登った時にはガスに包まれていたのに、祠に最後の御礼をして結願したが、長かったせいか、後ろで待っていたお兄ちゃんが祠を昨日改築したところだと教えてくれ、パチパチと派手に手を合せて拝んだ。あたりをゆっくりと見て写真を撮る。槍の矛先がかすかに見えたので、雲の切れ間を狙って写真を撮るが、なんと見る見るうちにガスが飛び始める。槍ヶ岳の稜線のところを雲がどんどん這うように上がって過ぎ去って行く。少しずつ矛先を見せていた槍ヶ岳がだんだんと姿を現し、ついにはすべての視界が開ける。奇跡だ。北穂高岳からの縦走ルートもすべて見えるようになった。さらに西穂高岳への難路も見える上に、上高地まで全容がはっきり見下ろせるようになる。圧巻だ。ちょうど今登ってお参りした瞬間から晴れだした。たった一瞬の差で、昨晩穂高山荘に泊まって早朝に登っていたらガスの中だった。奥穂高岳への最後の登りで私とすれ違って降りていった人たちも、一瞬の差でこの大展望が見られなかった。しかもガスが晴れる直前に、西穂高の方を向いて座っていると、またブロッケン現象に会って光の虹の輪が一瞬私を包み込む。さんざんの苦行の末のご褒美としか思えない。何かの暗示だろうか。こんな奇跡的なことは何かの偉大な力を感じざるを得ない。今回の登山は、楽しい夏休みではなく、完全に修行だ。とても辛い修行だったが、なんとかやり終えることができて本当によかった。頂上から絶景の写真を撮りまくり、頂上に別れを告げて帰途に着く。これからの下りも大変で、ゆっくりと足をかばいながら、でもずんずんと進んで降りていく。もう槍ヶ岳への視界は完璧だ。
イメージ 248:44穂高山荘着 そうして静かな穂高山荘に降り、水を一服飲んで休憩する。足は何とか持ちそうだ。足には無茶使いして申し訳ないが、涸沢までもうひと頑張りしてもらおう。そして急な尾根を下り始める。
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 行っても行っても、すぐ下に見えている涸沢が近づかない。これから登ってくる人たちに、今すごくいい天気になったところで、早すぎても遅すぎてもガスが晴れずに駄目だったと励ました。そうのように何人かの登り客とすれ違って、さらにどんどん下って、ようやく岩尾根に降りる。しかし、まだ涸沢まで標高差300m降りなければならない。足をかばいつつも、もう飽きて飽きて仕方がないカールの岩斜面を下って行く。途中からヒュッテへのパノラマコースに行くべく右に折れる。しかし私にはまったくパノラマなんて感じじゃない。苦心惨憺の末にようやくカールを降りてヒュッテに戻った。
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イメージ 2610:0010:35涸沢ヒュッテ おでん・生ビール1,150
 デポしたザックはちゃんと小屋の入口に朝のまま残っていた。トイレに行き流しで顔を洗ってコンタクトレンズを装着し、荷物を整理する。ポカポカと昼寝したくなるようなとてもいい陽気だ。展望のできるこのヒュッテには人が45人しかいない。一段落した後、ヒュッテで卵、大根、竹輪のおでんを食べて生ビールを飲んだ。ザックには涸沢の冷たい水を一杯入れる。そうして思いザックを背負っていよいよ帰途に着く。今までの急な岩場の尾根よりははるかに道がいいのだが、いかんせん足が痛い。でもどんどん下って行き、途中で登ってくる人たちに道を譲りつつ下って行く。真っすぐ降りて左に折れたところ、標高2000m台になった地点で、また登って来た人たちがいて、道端によって道を譲り「こんにちは」と挨拶した。そうして通り過ぎるのを待っていたら、最後の女性が「ひょっとして」「もしかして」とモゾモゾ言っている。さらにその女性をやり過ごす時になって「ひょっとして古家さんじゃないですか?」と言われるので、サングラスを外してみたら願掛けしていた彼女だった。これが奇跡でなくてなんであろう。先に歩いていた二人は両親で、私のことを会社の先輩で瑞牆山へも連れていってもらった人だと紹介される。「こんな所で会うのなら、もっと早く知っていたらご一緒したのに」とも言われる。私は今から下山することを話すと、彼女は日曜には家に帰るので電話すると言って別れた。
12:35横尾
イメージ 28 横尾から上高地までの約10キロ強、3時間の歩きは死ぬほど厳しかった。たくさんの観光客に抜かれるが、足が痛い上に荷物も重く、バテているのでマイペースで休まずに歩き続けるしかない。途中何度も挫折しそうになるが、この苦しさを病気で苦しんでいるおばあちゃんの病気回復に捧げたい。そのためにも頑張る。
13:40徳沢、バテバテだが、上高地まであと6.4キロ
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イメージ 3015:35上高地 ソフトクリーム270
15:50発 バス2,500
16:55新島々
17:20発 ビール・お土産940
17:49松本着
18:04発 しなの28号 JR13,280
20:15名古屋着 弁当1,350
20:29発 ひかり269
 米原を過ぎたあたりだが、新幹線で座っているのだけで精一杯の感じだ。まだ先はあるが、何とか無事に岡山に辿り着きたい。
21:39新大阪着 赤福1,120
21:55発 ひかり93
22:49岡山着