1995年11月11日「八ヶ岳赤岳」

19951111日「八ヶ岳赤岳」(計18,240円)
1110日(金)
会社で株価ボードの付け替え工事があり、早帰りで6時に出て家に帰り、食事をして新宿に向かう。
22:23東所沢JR3,910
23:16新宿ビール460
早めに着くが、しばらくして乗ろうとする電車が入ってくる。列には数人しか並んでいないが、1号車の端まで歩いて待っているとドアが開き、出発の25分前には乗車できる。待ち合せの友人がいないか自由席車両を行ったり来たりしてもいない。ビールを飲んで待っていても来ない。構内地下の交番に行ってもいない。おかしいと思うが仕方ない。ホームに立って待っていると、10分前にようやく友人が姿を現す。新しい靴にアイゼンが合わなくて、いろいろやっているうちに駄目で諦めて出発し、その上、みどりの窓口高田馬場でも新宿でも閉まっていたので遅れたそうだ。やっと来たので私もほっとして、取っていた席に座った。ビールを飲みながら少し話をした後、眠るが、立川からおじさんが入って来たので、席を譲って、四人掛けから二人掛けにして寝た。なかなか眠れないうちに甲府に着き、人がどんどん降りていったので向かい側のクロスシートに移ってようやく熟睡できた。
23:50発急行アルプス 

1111日(土)
2:55小淵沢少し仮眠取る
腕時計の目覚ましがピピッと鳴って起き、友人も起こして、10分くらいして小淵沢に到着する。改札には人がいない。待合室にシェラフを敷いて井上靖の「ある落日」を読み切り、2時間くらい熟睡した。
6:10発タクシー1,700円(3,370円の半分負担)
明け方にタクシーに乗って観音平をめざす。下界は晴れているが、山の方は雲に包まれている。粉雪が舞い始めて嫌な予感がする。途中の弥清水で水を汲み、飲んでみるととてもうまい。水商売の人がここに汲みに来て、ミネラルウォーター代わりに使っているそうだ。さらに車でしばらく進むと、道が終点になって観音平に到着する。
6:40観音平(1600m
そこで下車し、タクシーの運転手が「お気をつけて」と去って行った後、雪が舞っていて寒いのでオーバーズボンを履いて、スパッツも付け、ザックカバーを被せて出発した。じっとしていると寒いけれども、少し登っているとけっこう汗をかいて暑くなってくる。押手川のボロボロの簡易式トイレの分岐を越えて、800mくらい登って行って、ようやく青年小屋に着いた。
9:009:30青年小屋(2460m
イメージ 1  避難用の方に入ると、中でテントを張っているお兄ちゃんがもそもそと出てきて、どこからどこに行くのか聞いた後、またテントに入った。外が吹雪なので良くなるまで待つのだろう。結局一日中良くならなかったのだけれども。小屋でみかんを食べ、腹が減ったのでパンも食べてお湯を沸かしてコーヒーを飲み、お腹を膨らましてから身支度をする。素手にすると凍り付くようで痛い。温度計は零度以下だ。しかし、体も温まったので出発し、そこからは300mくらい岩場をゆっくり登って行き、閉鎖されている権現小屋に着いた。
イメージ 210:35権現小屋(2700m
少し休むが、寒いのと高度が高いために高山病の初期症状のようで、結構疲れてフラフラになるが、出発してすぐ上の山頂から一気に下り出した。恐ろしいほど長い。ワイヤーの梯子を下ると、そこからも急な下りで、一気にキレットまで行けるのかと思うとそうではなく、また同じくらい登り直したりしながら標高が2600mを下り出した時、キレットへの下りが始まった。鎖場を通って何とかキレット小屋に着いた。
11:58キレット小屋(2470m
キレット小屋も閉じられていて、薪を積んだ手前の所に座って休み、クリームあんぱんを一かじりする。そして赤岳への登りを進み始め、100メートルくらい行くとガレキの登りとなり、ついには岩場をどんどん直登するようになっていく。ペンキのマークも消えかかっているが、踏み跡を探してなんとか登っていくとしばらくして左下に鎖の登りがあり、そこに人がいた。登り切って分岐に出た時にその人に聞くと、そちらが行者小屋への道だそうだ。あと少しを高山病でフラフラになりながら、登り切ると頂上に着いた。
14:05赤岳頂上(2889m

イメージ 3
  頂上の祠に百円ずつお賽銭を奉納して手を合せ、登山の無事と今後のことをお願いし、友人と写真を撮って、手が凍えながら下り始める。
イメージ 4
  さっきのおじさんが休んでいた鎖を伝って岩場をどんどん下って行く。阿弥陀の分岐から文三郎尾根を下って行くが、雪の斜面で滑り易くゆっくりと下って行く。その上に高山病のせいか力が入らない。友人はどんどん先に行く。道は階段があったり、とても整備されている。今頃になって晴れ間がのぞき始めるが、はるか下の方に行者小屋が見え、上を見上げると硫黄山が見える。そこからかなり下り、やがて行者小屋に到着した。
15:15行者小屋(2340m
イメージ 5     小屋の入口で少し休むが、小屋は緑色のペンキとアルミサッシのせいですごくきれいに見える。入口奥の食堂はストーブが焚いてあり暖かそうだ。しかしここは温泉でないので泊まらない。弥清水ほどうまくない、雪解けのような味のする水を飲んで出発し、どんどん歩いて赤岳鉱泉に着く。
15:50赤岳鉱泉2200m)素泊り5,200
イメージ 6    昔来た時にボロボロだった印象があるが、ここも緑色のペンキに塗られていてアルミサッシの窓でとてもきれいだ。入口に立って写真を撮ってもらい中に入ると、風呂は116日で終了していた。こんなことなら赤岳展望荘に泊まった方が良かった。なんということだ。利用客が少ないと鉱泉を沸かしても採算に合わないのかもしれない。大広間に荷物を降ろすと、56人くらいしか人がいない。空いているのはいいのだが、だだっ広い部屋にストーブが一つでは何だか寒い。荷物を整理した後に自炊室に向かうと、途中に漫画ばかり置いてある部屋があり、懐かしいポーの一族のシリーズが置いてあった。
17:2018:00御飯を炊いて夕食
自炊室に入ると先客がいて、奥に詰めてもらって、我々は手前のテーブルに座った。とても寒いが、ストーブがつかないのだと言う。御飯を炊き始めて、友人がそのストーブを粘り強く点火していると、当初、青い火がずっと点いていてガス臭く、駄目かと思ったが、15分くらいすると赤い火に変わり、ようやくストーブを点けることができた。そのストーブの上でレトルト用の湯も沸かす。御飯の方は30分くらい五合炊いたけれども、煙がまだ水臭い。もう少しのような気がするが、友人がいいと言うので火から降ろし、鍋を変えてレトルトを温める。私が持参した自動で暖められる日本酒はぬるカンにしかならない。たぶん寒いから駄目なのだろう。御飯は五合も炊いたので量が多すぎた。親子丼を食べた後、さらに辛い麻婆丼を食べる。友人は親子丼と中華丼だ。明日の弁当の分を取っても御飯は残ったので、最後は味噌汁につけて猫飯のようにして食べ切った。腹がいっぱいになり過ぎて、ただでさえ熱くなっていない酒を飲む気になれず、食堂に戻ってストーブに当たり直す。テレビがちょうど夕方6時のニュースを流していて、山口議員が逮捕されたと報じていた。こんな所にテレビがあるのも驚きだ。しばらくすると友人がうとうとし始めたので、大広間に戻ってストーブのそばで手袋を乾かした。しかし、手袋の中の布がこんがらがって先まで抜けない。そうこうして乾かしているうちに本でも読もうかとも思ったが眠くなり、毛布を二重に敷いて暖かくして眠りに着いた。友人と私は二段の上段のほうに二人だけで寝る。今日はけっこうきつかった。2000m以上は雪が舞っていて寒かったので、ホカロンあればいいと思った。 

1112日(日)
5:40の目覚ましが鳴るまで熟睡する。体がだるくて起きられずに20分くらい横になったままでいると、友人が起きているので、私も仕方ないと思いつつ起きる。
6:00起床
自炊室でうどんを作り、出来上がるまでの間にトイレに行ってコンタクトレンズを装着しようとしたが、水がないので目薬で目を洗って水なしでレンズを装着した。戻ってきたらちょうどうどんが出来上がっており、熱々を食べる。腹は膨れるし、とても旨い。コーヒーを飲んでから部屋に戻って準備して出発する。
7:00赤岳鉱泉
誰かが既に登って行った跡がある。静かな樹林の中を500メートルくらい登って行き、分岐に出る。
8:15硫黄岳分岐、周りの眺めは素晴らしかった。赤岳も手に届くくらい近くに見える。西の方に独立して雄大に聳える山は御岳山だ。いつか登るだろう。穂高から槍へのごつごつした山なみも見える。
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  そこから15分ほど登ると、横岳から続いているケルンの登り道にぶつかり、大噴火口のある頂上に着いた。
8:35硫黄岳頂上、大快晴
イメージ 9     頂上で周りを見渡すと、以前に恐ろしくて引き返したところは結構向こうの方で、そこを少し我慢して越えれば、すぐ赤岳だった。あの少しの間の横這いが恐くて行けなかったのだ。
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イメージ 11  寒いので下ることにする。直下に夏沢峠が見えているが、登山道は思ったよりもきちんと整備されている。30分ほどで小屋に着くが、小屋は114日で閉鎖されていた。
9:05夏沢峠
樹林の中を少し登って行くと、しばらくして平坦なとても気持ちのいい尾根になる。そこを少しずつ歩いて行くと、オーレン小屋のある分岐となり、右に折れて根石山荘の風が強い鞍部を越えて根石岳に登る。
さらにアップダウンして東天狗に登り切る。
11:00東天狗
イメージ 12    そこから下って天狗の庭の方に分かれ、岩だらけの所を降りてどんどん進むが、少しアップダウンがあって道がわかりぬくいため、途中から私が先頭に立つ。友人は膝を痛めるようなこのような岩場の下りが苦手なのだ。途中、あと少しの所で道を間違えるが、何とか元に戻り、一気に黒百合平に降りる。天狗の庭は本当に天狗でないと歩くのが辛いほど岩だらけだった。
11:3512:50黒百合平
イメージ 13     お湯を沸かして弁当とポタージュスープとリンゴを食べる。その後、荷物を詰め直して渋の湯に下って行く。岩ばかりの下りが30分も続き結構嫌になるが、唐沢鉱泉への分岐が岩になっていて前に通った時の記憶が蘇った。そこからずいぶん尾根を歩き、さらに分岐に出て右下に下り始める。その頃から便意をもよおしてくるが途中で小便でごまかそうとしても小水が出ない。仕方なく我慢して下って行く。ようやく渋の湯の赤い屋根が見えてきて、ようやく着いた。
12:5014:50渋の湯、入浴料800円、ビール350
イメージ 14      手前の山荘は閉まっていたがホテルは開いていた。入浴料は800円だが、荷物は外で整理して入ってくれと冷たく言われ、少しムッとする。中には行ってみると、お風呂は木造の感じのいい温泉だ。バスの時間があるので結構長い時間入浴する。手足の末端が痛い。ふやけるほど入って2時過ぎから20分くらいかけて体を洗う。スリムな友人もいつもより長めに入るが、やはり先に出てしまう。風呂から14:20に出て着替えてゴミを捨てていたら14時半になり、バスの発車の20分前でちょうど良かった。しかし、風呂場で見た自分の頭の薄さにはショックを受ける。前頭部から後頭部にかけてちょんまげのようにすごく薄くなっていて、これはまずい。少し節制するか、早く女性をだまして結婚してしまうしかない。風呂から上がって荷物を入れ直し、そうは言っても懲りずにビールを買って旅館の前で友人と記念写真を撮ってバスに乗る。バスから見た奥蓼科は杉がもうそろそろ紅葉で茶色になっていて山がとてもきれいだった。50歳になったらこのようにきれいな山を絵に描きたいと言うと、友人に沢野ひとしみたいにか?と返されるので、あれは素人の絵だから嫌だと言った。蓼科山と次回来る霧ヶ峰を後にして茅野に向かう。茅野に着いたら、ショッピングセンターを通って駅に出るようになっていた。
15:40茅野着バス1,100
駅に出て乗車券売り場に並んで友人が切符を買い、私はドムドムハンバーガーを買った。回数券があったそうで、余った分が次回の美ヶ原に使うことにする。電車は20分遅れたけれども座ることができた。
16:10発JR3,800円、ハンバーガー・ビール400
17:55八王子そば他520
19:05東所沢
今回は雪の中をよく登った。歩き出すと体が温まるからフリースとパーカーで十分だ。もしそれでも寒いようなら、さらにダウンのチョッキなどを考えればよい。下にトレーナーを着て、それで汗を吸収してもいいかもしれない。問題は立ち止まった時の体中の冷たさと、手が凍り付いて痛いくらいになることだ。だいたい山小屋泊まりであればこれくらいで十分だけれど、シェラフを冬用にしたりテントを持って行くのならばプラスアルファを持って行ける荷置枠があるといいかもしれない。それなら普段の旅行でも使っている人もいる。それからストックはやはり必要だ。今日は朝から快晴だった。暑くなると思ってフリース抜きで、シャツの上にマウンテンパーカーを直接着た。風がある上に、立ち止まった状態では少し寒いが、あとは十分だ。冬の山は晴れているととても歩き易く、静かな上にぜんぜん汚れない。見晴らしも澄んでいて、遠くまで一面見渡すことができてとてもいい。晴れた日を選んでむりをしなければ、かえって冬山の方がいいのかもしれない。雪の中をしんしんと登っていく良さがやっとわかったような気がする。この半年の百名山登山と山小屋の利用でずいぶん色々な経験ができたし、装備も整った。ザックはアコンカグアに行く特にもっと大きいのがいるかどうか考えよう、それをみてからキャスター付きの荷枠にするかどうかを考えよう。ピッケルとストックはそれぞれ必要かもしれないが、日本国内ならストックで十分だ。ピッケルモンブランに登ることがあれば、その記念にスイスで買いたい。冬用シェラフは毛布がない山小屋では必要かもしれないが、今のところ大丈夫だ。しかし、本格的に登ったり、今持っているものが駄目になったらもっといいものを買っておこう。1万5千円くらいなので、一度呑みに行くことを考えれば安いものだ。アイゼンも買ったので、これで登山の装備は結構揃った。あとは冬の間にジョギングをして体を絞っておくとともに、ゴルフも練習して多少なりとも上手くなっておきたい。